5ヵ月半の赤ん坊に初めて、夏みかんを食べさせているビデオを見た。
母乳以外の物を口に入れるのは生まれて初めてらしい。
「夏みかん食べてみようか」と母親は声を掛ける。
夏みかんの房を赤ん坊の口の傍に持って行く。
赤ん坊は口を開ける。
みかんの少しを口に入れる。
口をくちゅくちゅさせている。
何ともいえない複雑な顔をする。
母親が「酸っぱいねぇ!(^^)」と言う。
もう一度みかんを口に持って行く。
口を開け、くちゅくちゅさせている。
同じように眉毛が下がるようなへんな顔つきをする。
母親が「酸っぱいねぇ!(^^)」と言う。
酸っぱい→もう口に入れるのは止めよう。
酸っぱい→イヤだ。
こんな展開、判断は無いように見える。
口に入れてへんな顔をして、すぐにまた口に入れるのだから。
酸っぱい という言葉の意味も勿論わからないだろう。
何かが口に入る・・
それを見て「食べてみよう」なんて思うわけじゃない。多分。
口の傍に来たので、自動的に口を開ける、そんな感じがする。
ただ、「そういう味がした。」赤ん坊の脳は・・・そんな感じかなぁ。
何かをする→それについて、大人が何か言う。
その何か(物事)と その言葉や態度 を、
同時に体験することを何度も何度も何度もすることによって、
段々と、物事と言葉(思い、見方)がくっ付くんだろ。
物事とそれについての意味を知るんだろう。
母親は「夏みかん食べてみようか」と声かけていた。
いつか、その物、その味が「夏みかん」という言葉で、
喚起されるようになるのだろ。
どんな物もどんな出来事、現象、物事も、
それ自体は元々どんな意味も無い。
良いも悪いもない。
ただ、在る だけだ。
こういう赤ちゃんを見るとそれがよくわかる。
物事、(物や現象)を周りにいる大人がどう観ているかが子どもに伝わる。
大人が子どもを創っている。
「子供は親の言うようにはならないけど、親のやるようになる」
という昔からの言葉もある。