これは2011年にここに書いたものなんだけど、
今、ちょっと時間が出来たから過去のを読んでいて、
もう一度出したいなと思ったんだ。
最近は深く思考することもなく、
生活に流されて認知症発症かと思うくらいの自分なので、
ちょっとカツを入れようと、自分の過去のブログを訪ねたんだ。
読むとなかなか面白く感じる。
なるほどなるほど・・なんて。
どの瞬間の過去の私も、今ここの私とは別人だから、
気にせず、書くよ、面白いってね。
以下がそれ。
私が頼んだわけじゃないのに、対向車はちゃんと反対車線を走ってくれる。
(なかには、そうしないで事故になることもある)
頼んだわけじゃないのに、うちの隣の家は火事を出さないでいてくれる。
(延焼することも世の中にはある)
頼んだわけじゃないのに、私が出かけるのに必要な道路を造ってくれてある。
頼んだわけじゃないのに、上空を飛ぶ飛行機はこの家に落ちてこないで飛んでくれている。
(住宅地に飛行機が落ちる事がある)
頼んだわけじゃないのに、
欲しいと思っている野菜や米や味噌しょう油、
本やいろんな物を誰かが作ってくれている。
頼んだわけじゃないのに、
うちの前の道を突き抜けてうちの部屋に車が飛び込んでこない。
頼んだわけじゃないのに、私にちょうどいい服を誰かが作ってくれている。
それぞれのひとが自分のやれることを、している。
私が死なない為に、飛行機のパイロットは操縦しているわけじゃない。
隣の人は私が死なない為に、火事を出さないわけじゃない。
たくさんのひとが
私を助けよう、とか、生きてもらいたいと思って、
何かをやっているわけじゃない。
こういうのって・・
私が生きていたくて、生きていることを叶えてくれてる。
他力本願 という言葉があらわすもの なのかと思う。
「おかげさまで」という日本語も、
こういうことを知っているのかな。
自分の幅で自分が生きているだけでいい。
人の役に立つことがあったとしたら、それは結果に過ぎない。
役立つために何かをする ということも勿論あるけど、
無理もせず、自分が自分のやれることをやるだけで、
結果として、ひとの幸福にも積極的に関わっている・・?
・・のかなぁと思う。
と、ここまでなんだけど、読んでみて加えたくなったよ。
最後の、「結果として、人の幸福にも積極的に関わっている・・?」
なんだけど、それもそうだけど、
何気なく生きているだけで、
人の不幸にも積極的に関わっている、こともあるのか?!