ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

嫌な奴!

2015-10-31 10:09:12 | 実例体験観察
最近知り合った人の様子が気になってなんかスッキリしてなかった。

心が晴れない、という感じ。

これは何だろうと自分の心をノートに書いてみたけど、

その時は見えなかった。

そうしたら、昨日、夕飯の支度をしているその時、

私はあの人があまり好きじゃんだ!

苦手なんだ!という思いがぱっと浮かんだ。

その後、次々とその人の悪口を言ってみた。

スカッと言ってた。どす黒くなかった。

すると、それから、なんだかすごくスッキリしてきたんだ。

その人のことが全然気にならなくなった。

頭に浮かばなくなった。


思い出すとそれまでの私は

その人に対して、えっ?!それどういうこと!??

と思うようなことが続いてあったんだけど、

けれど、そんなはずはない、とそれを打ち消していたんだった。


苦手、嫌な奴、好きじゃない、という自分の気持ちが見つかったら、

その人のことが気にならなくなった。

どうでもよくなった。


これはどういうことか・・・

ひとのことをこんなふうに思ったのは本当に久しぶりだから、

自分のそういう気持ちに気付かなかったのか・・

まぁ、ひとと会うということがあまり無い暮らしだからね~

・・・けど、それよりなんかあるぞ・・・・・

人はどうあれ、自分がどうするかだけだ・・みたいなのが私は強くて、

まぁ、それはそれでいいんだけど、ちょっとずれていたんじゃないか・・・

いわゆるいい人をやっていたんじゃないか・・・

うん、そう!そうだね。

なんだか一生懸命いい人をやっていた。

なんかバカみたい、と思った。

嫌な奴は私でありました。






妄想

2015-10-20 15:16:34 | 実例体験観察
ここ2,3日、妄想だな・・と自分で気が付いてた。

自分のした行為によって、仕事先のその人があ~だこうだ不快に思っているんじゃないか・・・

これだよこれ。たち悪いねぇ、こういう思いって。

頭ではきっと妄想だろう、自分の思い過ごしだろう、って思ってるんだけど、

気になる思いはなかなか消えない。

何故こうなるのか・・・振り返って観てみた・・・

自分でも、その行為をしてたとき、すっきりとした気持ちでやっていなかった・・・

それがなかったら、こんなふうにはならないと思う。

かといって、いわゆる悪いこと、不正な事をやったわけじゃない。

自分の不得手さを隠そうとしてた・・これがあった。

格好よがってる自分なんだなぁとも思った。

隠そうとしてる、その不自然さを相手が感じて、(それはわからないことだろうけど)

何か誤解したんじゃないだろうか・・・(これもわからないことではある)

嫌われたくないというのが強いのか?とも考えた・・・

それも勿論あるだろうけれど、

私はその人と仲良く自然にやっていきたい、それなんだ、と思った。

そういう思いがなかったら、こういう妄想なんかも起こらないはずだから。

昨夜そんなふうに自分の心を整理整頓した。

そう思ったら、これからは自分の不得手さも堂々と出して、

在りのままの自分でやればいいんだ、とそこに帰れたような気がした。


今日、その人と会ったとき、その人はいつもと変わらず接してくれて、

やっぱり私の妄想だったんだろうな、と思った。

まぁ、それもわからないことではあるけれど、

どっちでもいいや。

今日は自分の不得手さも明るく出して、

その人と話し合いながらいろんなことをして、

いい時間を過ごせたなぁと思った。

やっぱり人と一緒に過ごす、という経験はいろんな思いが出て来て、

いい機会になるなぁと思った。





仕事が始まった

2015-10-11 17:53:35 | 日々の暮らし・思い出
久し振りの仕事が始まったよ。嬉しいな。

夏に友人宅で家事手伝いなどして、やっぱり働きたいなぁと思っての実現。

ここは過疎地の田舎なので私が働けるような店も会社もなく、

車で1時間近くかかる市で探そうかなと思ったこともあるけど、

それを考えると・・・やっぱりちょっとうんざりし、

この自治体のシルバー人材センターに登録したんだ。

見事初仕事を仰せつかりました。

そのことを娘二人にメールで知らせたら、二人とも・・・

お母さんがシルバー!!!???

なんだか、まだまだお母さんは老人ではないと思ってたんだろうな。

でも、もうシルバー人材センターに登録できる資格が十分にあるんだよね。

実際、働ける場がみつかって本当に嬉しい。

はるか昔から働くことは好きなんだ、わたし。

夫としか話をしない生活ではちょっとやばい。認知症になりそう。

・・・友人宅で暮らしてそんなふうに思ったしね。

今回の仕事は家事手伝い。

80代のその家の女主人が病気のせいでか、家事が出来なくなったので、

食事を作ったり、掃除したり、洗濯したり、買い物したり、の作業で2時間という予定。

けど、今までの2回は食事作りと結構広い木の床の雑巾がけと彼女とのお話。

おかずを作って一段落したとき、

そうなったら声掛けようかとスタンバイしてたみたいな感じで、

ちょっと休みなさいと言ってくれた。

話しがしたい、そんな感じがした。

話す相手が居なくて寂しかったんだろうなと思った。

久し振りに、老人のお話を聴かせてもらう、という経験。

そして一緒に何度も笑った。

なんだか、嬉しかったなぁ。


この仕事、大いに自分の頭の刺激にもなるし、身体も動かせるし、

その上お金も貰える。

いいことづくめで本当に嬉しいよ。

週に3回で一回2時間だから、ずっと仕事してなかった私にはちょうどいいかも。


それともう一つ、これをすることで今までしていた他のやることもぐっと色づいた、

というような感じがあるんだ。

なんでだろうね・・・

お嬢さまことば速修講座

2015-10-07 16:58:40 | 本を読んで
さっき皮膚科に行って待合室にあった「お嬢様ことばの速習講座」という本を読んだ。

とても面白かった。

文章もお嬢さま向けの言葉遣いで書かれてある。

もう15年も前に出た本みたい。

「ございます」という言い方は元々「ごぜえますだ」から来ていて、

(ホントかなぁ!?)

それは目下の人が目上の人に言う言葉で、

お嬢さまが使うコトバじゃないのだそうだ。

なので、お嬢さまは・・・「存じます」。


そして、なにより重宝する言葉遣いは・・「恐れ入ります」と、

「わたくし」。


「すみません」という言い方は謝りでもなく、お礼でもないので、

使うことはないそうです。


上に書いたように、お礼の言い方も「ありがとうございます」ではなくて、

「ありがとう存じます」か、

ただの「ありがとう」か、

「どうもありがとう」。。


それに、決して「わたし」や「あたし」ではありませんの。

そうそう、このありませんの、の「の」が美しいと存じますわ。

それが『ことのて』という章に載っていて面白く存じましたわ。

「この絵のなんと素晴らしいこと」の 語尾についている『こと』。

「他に何かありますの」の語尾の『の』。

「これでよろしくて」の語尾にある『て』。

こういうものを上手に使うとお嬢さまの香りぷんぷんでありますの。


それとなにより、ゆっくりとしゃべること。


この本を読んでいる間中、朝の連ドラ、いいえ連続ドラマの花子とアンに

出演されていた柳沢白蓮役の仲間由紀恵さまのお顔が浮かんで来て

しかたありませんでしたの、わたくし。

 
言葉というのは不思議なものでございます。

荒くれ男にこういうものの言いようをすると、

あっという間に大人しくなってしまうものですわ・・・


宇宙の相互作用と同じかと存じますことよ。

保ち合いの理とも言うのでしょうか。


影響されやすいわたくしのこと、なんだか途中から速修の効果?が・・・


けれど、元が元ですので、まだまだ練習が必要かと存じております・・・

ではまた後程 ごきげんよう・・・



人のことばを深読みすると感情が悪化する ②

2015-10-03 16:51:15 | ひとの幸福
この前『人のことばを深読みすると感情が悪化する』ことについて思ったことを書いたけど、

こういうのもある、と思ったので書くね。

人が言った「アレがいいな」という言葉をそのまま聞かずに、

そうは言ったけど本当はアレじゃなく、

~がいいと思っているんじゃないか・・などと深読みすることがある。

遠慮してそう言ったんじゃないか、本心は違うんじゃないか・・なんて。

こういうのがあの本でいう深読み、という奴なのかな・・・

でも、そう“深読み”しても感情が悪化することはないわな・・・

いや、「遠慮なんかして、イヤな人!」なんてふうに感情が悪化する場合もあるか・・


前にも書いたことがあるけど、

どんなことでも、そうしてることがその人のその時の意思・意志。

例えば遠慮の気持ちで「アレがいい」と言ったとしても、

遠慮したい、という意志でそうしてるわけだ。

アレがいい、の、意思じゃなく、そう言っているという意志。

そういう自分の意志に無自覚な場合もあるだろうとは思う。

でも、遠慮してたにしても、自分の意志で遠慮してるんだから、

ひとがそれを深読みなどする必要はないと言えるな。

遠慮 を例に出して書いたけど、

本心じゃないことを言ったとしても、

何かで、それを言いたかったという別の意志があるはずだ。




物事に動じる・動じない

2015-10-03 14:29:59 | ひとの幸福
中学の頃、物事に動じない子だった・・と友人が言ったけど、

どういう物事に動じなかったのか、わからない。

その後の人生、いろんな物事に動じっ放しのような気もする。


この前、何かの時、「どうしよう どうしよう!!」と狼狽えた私を見た、

久し振りに会った友人に「認知症が始まったか」と思われたけど、

幾つかのそういうことには前から動じていた私だったんじゃないかな、と思ったよ。

友はそういう私に会ったことがたまたま無かっただけのことかなぁと。

まぁ、だいぶ脳力が落ちている、という気は確かにあるけれどね。

昨日の夕飯のメニュウがなかなか出て来ないことなんかしょっちゅうだし。


「誰ソレは物事に動じない人だ」・・と言っても、

それを言う人がその物事に関しては動じるので、そういう発言になるのかなと思う。

人によって、動じてしまう物事は違うだろうなぁ。

何に動じているのか・・・

よくよく自分を観てみると・・・見える見える、自分の不安感。

あ~なったらどうしよう!・・・どうしよう、って言ってるけど、

どうしよう“!!”であって、どうしよう“??”じゃないんだよね、これは。

あ~なった時に、どうしようか、考えようっていう冷静な考えから来るコトバじゃない。


不安感が生まれるのは、どうなってもいいという覚悟がないからだと思う。

これは自分はどうなってもいい・・という覚悟であって、

ひとはどうなってもいい、ということじゃないと思うんだけど、

自分が~なる、ということは必ずひとに波及するものだ。


どうなってもいいという覚悟は、やるべきことは全部やりきって、

あとは天命を待つ、という心境なんだろうな。


不安感があるうちは不安感を利用して、

やりたくてやれることはやりきらなくちゃ後悔する。


十分生きて、進歩や成長が要らなくなった死を待つ床では

全ての不安から解放されるんだろうなぁ。







中学生の自分

2015-10-01 16:36:47 | 日々の暮らし・思い出
8月に中学の時の仲の良かった同級生3人と会った。

多分30年振りくらいだ。

その3人は皆東京のその市に住んでいるから互いに見た目の変化を知っているけど、

最初パッと見たときすぐにはわからない人がいたのには自分ではびっくりした。

彼女がその場に来ることはわかっていたのに、わからなかった。

年月というのは凄いもんだなぁ・・・


そこで中学の同級生と会ったわけだけど、

同級生だけでなく、中学の頃の自分にも会った。

あの時、ナンタラちゃん(わたしのこと)がどうしたこうした・・・

あの時、ナンタラちゃんはあ~したこうした・・・

あの時、ナンタラちゃんがあ~だった、こうだった・・・

憶えていることもあったし、忘れていることもあった。

それぞれが自分の関心のある辺で出来事を憶えていたのは面白かった。


その頃の私(彼女らがとらえているところの)は、

明るくて、物事に動じなくて、元気で、面白くて、アホだった・・・

その頃の私はまだ劣等感など微塵もなかったことだけはよく憶えている。


あの、天真爛漫だった私・・・

でも高校生になって劣等感の塊になって・・・

その後も楽しいこと苦しいことどうしたらいいのかわからないこといろいろあって、

今の自分がここに居る。

もう中学生の頃の自分は居ない。

もう高校生の頃の自分は居ない。


でも、久し振りに会った友人らは私に会ってあの頃と変わらない、と言った。

天真爛漫なままで生きてきたわけじゃ、絶対ないけど。

いろいろいろいろたくさんたくさんの物事が起こって今の私が居る。

人生は面白い。