聡明な母
2025-03-15 | 家族
昔のお母さんは何でも出来た。いつも手を動かしていた。どこのお母さんも働き者だった。
毛糸でセーターを編んでくれた。古いセーターは毛糸のパンツになった(笑)。
今では何でも100均で買えるけど、物のない時代、物を大事にしていました。
後に機械編も始めてせっせとセーターを編んでくれた。
新婚間もない時に、タートルネックの青いセーターを夫に編んでくれました。
お義母さんに編んでもらったと愛用。今でも箪笥の中にあります。
母はおしゃれで、洋服は洋裁をしていた友人に頼んで妹とお揃いで作ってもらった。
布団の綿入れもしていた。
せんべい布団に新しい綿を入れる。布団を部屋中に広げて。
普段の着物も浴衣も縫っていました。着物の洗い張りもしていましたね。
着物を解いて洗って干す。庭いっぱいに着物が干してあった。
季節季節の行事も大事にしてくれました。
正月、お雛さま、七夕、お月見、クリスマス、ご近所総出で餅つき。
料理も何でも手作り。お彼岸の母のおはぎは絶品だった。
電子レンジもオーブンも無かったのに。お料理上手。

近所に制服が可愛いキリスト教系の幼稚園があった。
躾もきちんとしていたので、母は迷わずここに入れてくれました。
エルマナと呼ばれる外人の修道女が先生だった。外人の同級生もいました。
今は幼稚園~高校の小さな女子一貫校になっている。
父の枕もとを歩くな。畳のヘリを踏むな。玄関の靴を揃えなさい。
父より先に食べるな。目上に丁寧に。トイレ掃除。言葉使いや挨拶。
ほんとに公務員の普通の庶民の家庭だった。
戦後の物のない時代に、懸命に育ててくれたこと感謝しかありません。
何より毎日の生活を楽しく大事にしてくれました。
兄妹仲良く。人さまに迷惑をかけないように。
お見合い結婚で、豪快な父を支えた綺麗な母だった。
聡明で心が広い。近所の方からも慕われていました。
葬儀には兄の関係もあったけれど、500人以上の方が見送って下さった。
何だろう。朝から母の事を思い出した。
この年になっても母の足元にも及びません。