雨の日も風の日も ららる~♪

気ままな毎日を綴ります。

記憶はいつから

2023-07-18 | 日々
人は何歳くらいから記憶があるのでしょうね。
幼稚園は学校に上がる前の1年だったから5歳。
幼稚園のことからはしっかり記憶がある。
急こう配の坂の上のカソリックの幼稚園。途中で休憩しながら通いました。
教会でお祈りの時間も時々ありました。みんなキリスト教には無縁でしたが。
クリスマスにはキリスト誕生の劇をみんなで。馬小屋で生まれるお話です。
制服が可愛くておしゃれだった。母がこの幼稚園を選んでくれました。
ビロードの紺の丸い帽子が可愛かったなあ。
写真を撮る時は女の子は白い大きなリボンをつけました。
普段は兄の後ろをついて山を駆け回っていました。
先生とクラスメイトの外国人を身近で見ました。日本語を話すので驚いた。

そうそう4歳年下の妹が生まれた日のことはしっかり覚えてます。
自宅出産。ご近所総出で賑やかなことこの上ない。では記憶は4歳からです。
近所の子たちと、まだかまだかと庭から部屋を覗いて叱られた。
「こどもはあっちに行っときなさい」。
生まれたばかりの小さな真っ赤な顔の妹、覚えてます♪
妹には生まれた時のこと覚えているんだからね~と威張ってます(笑)。
60代で亡くなった両親の自宅葬も、ご近所総出で賑やかに見送って頂いた。
・・・あれから約70年。なんて遥かな昔なんだろう。記憶の彼方。
こんなに長い時間を生きて来たのですね。

*いくら67年も前といえども人さまの写真を掲載してはいけませんね。
 白い大きなリボンの写真削除しました。

慌てるな

2023-07-18 | 日々

「慌てるな」これは高倉健さんの最後の言葉だったそうです。
先日「徹子の部屋」で、最後を看取った養女の小田貴月さんが聞き取れたのがこの言葉。自分に言っているのか撮影現場の誰かに言っているのかは分かりませんがと話されていました。
健さんにこんな女性がいたのですね。初めて知りました。見たことのない屈託のない笑顔の健さんの写真。貴月さんとの幸せそうなツーショット。プライベートの健さんはおちゃめでおしゃべりだったそうです。妻でなく養女。そんな形も驚きでしたが。お二人で良い時間を過ごされたのですね。
健さんは悪性リンパ腫で83歳で永眠。私と同じ病。この言葉に健さんのどんな思いがあったのでしょうね…。命を頂いた者。何故か残る言葉です。せっかな性格を自認。落ち着いた人を見るとほんとうに羨ましい。
「慌てるな」。時々健さんの声が聞こえてきます。