海と空

天は高く、海は深し

宗教と民族性

2005年07月25日 | 宗教一般

 

国民や民族の根本的な性格を規定するのは、その民族や国民が歴史的に形成してきた習俗や伝統である。そして、その習俗や伝統にもっとも大きな影響を与えてきたのは宗教である。なぜなら、宗教とは民族や個人が持つ思想の中で、とくに、生存の目的や人生の価値について、さらには、人倫関係を規定する倫理思想の体系であるからである。

 

だから、逆にいえば、個人や民族の性格は彼らが、どのような神、どのような宗教を持つかによって規定される。そして、論理的に、人間が人間である限り、すなわち、精神的な存在である限り、神なくして、宗教なくして生きることができない。

 

だから、個人や民族がどのようなものであるかは、その個人や民族の保持している神、宗教がどのようなものであるかによって決まる。それらの信者の崇拝物、すなわち、神を見れば、その個人の価値観や人生観、さらには世界観や人間観が分かる。もちろん、神や宗教は、必ずしも、いわゆる「宗教的な形態」をとるとは限らない。歌手や俳優やアイドルや会社や、金が実質的な宗教であるということもある。

 

その典型的な例を、具体的にあげるならば、オーム真理教や創価学会や共産党、戦前の国家神道などをあげることができる。その具体的な崇拝物は、松本千津夫であり、昭和天皇であり、具体的な個人である。また、それは会社という組織だったり、国家であったり、共同体であったりする。そこで会社教や池田大作信者、毛沢東信者などと呼ばれたりする。要するに論理的には宗教とは民族や個人の究極的な目的や価値観を規定するものである。必ずしも、オーソドックスな宗教の形式をとるとはいえない。

 

そして、それらの思想が人間を人間たらしめている。それらを欠いた人間は、もはや本質的に人間ではありえない。動物である。

 

日本人の宗教は何か。日本人は歴史的に統一された支配的な宗教は持たなかったと言える。というよりも、絶対的な宗教、一神教と歴史的に出会うことがなかったために、神仏冥合などのように、異なった神々が並存し、共存してきた。仏教や儒教が、そして、土俗的な神道などの倫理や教えが渾然として日本人の宗教意識を形成してきたと言える。そのなかでも、仏教や儒教がもっとも日本人の宗教意識の形成に大きな影響を与えたということができる。思想的には、仏教や儒教が卓越していたために、圧倒的な影響力をもって流入してきたといえる。空海などは『三教指帰』でその思想性を検証しようとした。

 

明治維新においては、国家神道として、構成された。このときに、従来の仏教は「廃仏毀釈」によって、排除された。歴史的には、天皇制国家と並んで福沢諭吉が、明治維新後の日本人のもう一方での精神的な支柱となった。彼は、のちに円の基軸的な紙幣である一万円札の肖像写真に使われていることは周知のところである

 

そして、現代日本人の宗教は何か。戦後は民主主義の流入と資本主義の発展とともに、金が神であるとする価値観が支配的であるといえなくもない。マモニズム、金銭崇拝である。 金が現代日本人の多数の宗教となった。今まで押さえつけられてきた金銭教の蓋が開けられ、開放されたのである。一方で、伝統的な既成宗教は、現代の日本人に対して、ほとんど影響力を持たなくなった。それに代わるものとして多く登場したのが、さまざまな新興宗教である。

メモ:

宗教についてヘーゲルは次のように言っている。人間を人間たらしめるのは一般に思想であり、具体的思想であり、さらに詳しく言えば、人間が精神であるということである。

 

 

 

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