第一章 国王の憲法
時代はヴェルテンベルグに新しい課題とこれの解決への要求とをもたらした。その課題とはヴェルテンベルグ地方を統一して一つの国家を形成するという課題である。これまでドイツ帝国は不合理な制度であると呼ばれ、その制度の不合理さは、少なくとも才気において煥発な一人の a
歴史家によって、「無秩序(アナーキー)を憲法化したもの」としてまことに正鵠を得た特色づけがなされたほどであるが、こうした不合理な制度もついにはそれ相応なそして外見的にも不名誉極まる終焉を遂げるに至った。その後、これによってかってのヴェルテンベルグは、b
以前の二倍以上に領土を拡大させたばかりではなく、かってはドイツ帝国の封土であった諸地方を含めてその領土の全体は従来の従属を断ち切って、君候が国王の尊厳を獲得するとともに、主権としての一国家の地位に上ったのである。すなわち、もともとドイツ帝国は単に帝国(ライヒ)という c
空虚な名前だけを保有するものに過ぎずして実際には存在しないものであり、そしてこの空席を充たしているものは現実のドイツ諸国家であったが、その内の一つを占めるに至ったのである。(s 10)「ドイツの国法学者は主権の概念と連邦規約の意義についてさまざまな著作を怠ることなく d
書き続けているが、偉大な国法学者はパリにいます。ドイツの諸侯は自由な君主制の概念を未だ理解せず、まして、この概念の現実化を試みてはいません。ナポレオンはこれらをすべてを組織づけなければならないでしょう。」「予は貴下の君主を主権者にしたのであって独裁者にしたのではない」235
フランス革命は全ヨーロッパを揺るがした。ドイツに英国に、澎湃として捲き起こる近代国家形成の動きをヘーゲルは情熱的に弁護する。・・明確に組織づけられた国家体制の歴史的な成立は数世紀にも及ぶ経過を辿っている。しかし、その中心をなす視点は極めて単純である。a
すなわち一方では中間項である貴族が持つ勢力と彼らの不遜な要求を抑制して、彼らに対する権利を国家をして得さしめようとする政府の努力であり、他方では、同じく中間勢力である貴族に対抗するとともに、時にはまた政府自身に対しても抵抗することによって自己の市民権を獲得しまたそれを主張するa
第三身分、そしてまたしばしば自らをもって国民と自称する人々の努力である。ここに一瞥すると、国家体制はさまざまのものの寄せ集めとして成立したように見られる。・・時代の精神的発展は国家の理念、したがって国家の本質的統一の理念を産み出した。・・特権打破という基本的意図をヘーゲルも a
王案と同じゅうするものであるから、それに対して基本的な賛成を惜しまないのである。変容の理由は議員に要求されるべき能力と団体主義である。民衆は意思を持っていても、何を意思しているのか、何が自分たちにとってよいかも知れないが、これを認識するところに議会における使命があるのに、 b
財産とか年齢とか規定が直ちにかかる能力を、またこれを識別する能力を保障するものとは限らない。だから被選挙権人たるためにはもとより、選挙人たるためにも「ひとかどのもの」である事を、しかも公共的職務に関する意見、技能、徳性においてそうであることを試験済みのものであることを要する。a
だから選挙権が認められていないのにヘーゲルは反対して、今日の官吏はもはや昔のように朝廷の召使いではなく国家公務員としての職務上、もっともよく国家的感覚を鍛錬されているものであり、イギリスやフランスのごとき大国とはちがって官吏を除くと国家的感覚に富んだ有能の士を得る可能性が b
非常に少なくなるから是非とも官吏に被選挙権を認むべきであるとしている。・・議会が市民社会と政治国家との媒介機関たる所以があるのである。25歳とか30歳とか不動産収入200フロリンとかいう数的な規定では国民は各自孤立したアトム的個人の集合として取扱われているが、c
これがフランス的抽象というものである。かかる立場からでは議員の公共的国家的精神が保障せられえないことになる。議場に対立のあることは却って討論の有効にする所以でもあるが、しかし、対立も国家的統一の枠内に留まるべきである。・・しかし、およそ国家的制度に関しては、単なる希望や要請に d
留まることはできず、生起すべきものが現実に生起することを可能にする方法を選ばなくてはならないのであるが、かかる方法としては、右にいったごとく自治団体や裁判所や職業団体としての役員として試験済みであるものに選挙権、被選挙権を与えるという団体主義を取る外はないのである。313