かくヘーゲルは選挙に関しては団体主義を取るために、王案に比して却って反動的のように見えるのは事実であるけれども、しかし、自治団体や裁判所や職業団体の役員選挙という下級選挙に関してはフランス的方法に意義を認めることによって、すなわちその補充権を拒否することによって特権打破の態度を
貫いているのである。
政論二においてヘーゲルを苦しめた選挙法問題はここに彼としては一応最終的結論に達しているが、それだけにまたすでに政論三にも潜在的にあった議会の規定がここに明確に現われている。それによると、議会は「君候と民衆との間の媒介機関」
(das vermitelnde Organ zwishen Fürst und Volk)である。だからまた自治団体や職業団体の役員に被選挙権・選挙権を与えるということは、それらの団体に政治的な意義を与え、国家のうちに編入することを意味する緒であり、またこれと同時に、
団体の内部では自治を承認し奨励することは、政論の主張したごとくであろう。論旨の第四は国家と歴史との関係である。フリードリッヒ王が15年10月16日の勅書において欠陥の多い旧憲法に基本的な変更を加えることなくして、それを新ヴェルテンベルグまで及ぼすことは出来ぬと説いたのに対して
古法党の指導者ボリーは答辞において民族は歴史を奪われるわけには行かぬといったことを捉えて、ヘーゲルは民族は国家をなしてのちに始めて歴史を持つのであって、それ以前には歴史を持たぬと言うべきであろうと反論している。つまりヴェルテンベルグはフリードリッヒ王によって始めて
独立国家となったのであるから、それ以前には奪われる歴史も待たないということなのである。ここには晩年の「歴史哲学講義」に見られるところの「歴史は国家から始まる」というテーゼの形成せられつつあることが示されているが、それでは国家の歴史は基本的にいかなる段階を持つかというに、政論の
三の結論がこれを示している。そこでは再建されるべきドイツ国家の組織が説かれるのであるが,しかし、またこの組織によって先立って権力的英雄による統一が要求せられている。すなわち民族はまず英雄の権力的支配によって統一づけられて外部への独立を獲得し、その後漸次内部の組織を整えてゆくという
二段階があるわけである。この段階づけは理論的には『法哲学』の対外主権と対内主権の区別になるものであるが、かかる二段階の観点から、ヘーゲルフリードリッヒ王の事業を見て、憲法原案の公布までは対外主権確立の時期であり、そうして原案の公布によって対内組織を整えてゆく時期に
移ったというのである。そうして彼はまさにかかる立場から古法党の国家契約説をも批判している。君候と民会とが契約を締結するということは、君候が皇帝の封臣、いな陪臣すなわちボヘミヤ封臣であったときにのみ意義を持つことである。なぜなら、その時にはもし違反があれば、皇帝に
また帝国最高裁判所とか帝室裁判所とかに提訴し、その判決を求めることができたからである。しかし今や皇帝なく帝国なく、ヴェルテンベルグは独立国家となったのであるから、国家契約説は効力を持たぬというのである。(ibid s 315 )