海と空

天は高く、海は深し

1月17日(金)のつぶやき

2014年01月18日 | Myenzklo

先日にツィートでたまたま【焼野のきぎす @kuzukazura】というツィートを読んでいた時、このツイッター主が「「みことのり」を読む」というサイトをもっていて、そこで明らかにされている憲法論や戦後民主主義観が私に近いように思った。また、そこで展開されている国家研究や


明治憲法研究などの論考も非常に優れていると思った。私自身はこれまでの経緯から、ヘーゲルの「法の哲学」の立場を支持しているけれども、またそこから、現行日本国憲法よりも大日本帝国憲法の優越性を、実定憲法に対する自然憲法の優越性と認めているが、この私の憲法観と佐藤雉鳴氏のそれと一致する


点は多いように観じた。サイト「「みことのり」を読む」で展開されている論考にも優れたものが多く、これからも学んでゆこうと思っている。もちろん、私の立場はこれまでの経緯から言っても、哲学の観点から、とくに、ヘーゲル哲学の研究の一環としての憲法研究、国家学と自然法の研究を目的として


いるので、もちろん「「みことのり」を読む」での憲法観や歴史認識がすべて一致するとは思わない。たといそうであるとしても、私の知る限りにおいては、私の憲法観、国家観にもっとも近い立場であることは推察できる。昭和初期から敗戦に至る国家主義国体論が、従来の伝統的な正統な、


井上毅や伊藤博文によって継承され、大日本帝国憲法として結実した国家観からの逸脱として捉える立場もほぼ同じである。また、論考を瞥見しただけで本格的な検証はまだ行なってはいないにしても、そこに示されている、例えば丸山真男の思想に対する評価なども、殆ど同意できるものである。


これからも、このツィートで、ヘーゲルの各種の文献の抜粋と並行して、この佐藤雉鳴氏のサイト『「みことのり」を読む』からも必要な抜粋をツィートしながら、勉強して行きたいと考えている。とくに、この立場からは全体主義や共産主義は両立しないものと思われる。ここにこれからも国家論や憲法論を


確立して行く上で、多くのものを学びうることが期待できる。とくに過去の経緯からも、西洋哲学に極めて偏ったまま、日本の皇室や民族宗教でもある神道や国学関連の知識や認識が貧弱で不足している現状を、改善してゆく上で大きな意義をもつだろうと思っている。


「政治に対する宗教の使命」では「立憲政治の美果は国民の宗教心の発露によりて結ばるるもの」だが、「余の云ふ宗教が基督教」を指すものであり、「断じて神道や仏教が主張する処の能力を政治の上に貢献するものとは思はない」と(吉野作造は)語っている。1 ※異聞草紙:新渡戸稲造の項


吉野作造の国典について述べた価値ある論文は見当たらない。国典理解が十分でないからこんな乱暴な言葉が出てくるのではないか。

新渡戸稲造が「尊ぶべき伝統の宝庫として、また太古の伝説の最高の解釈者として、神道は保守主義の砦である」と語ったことと比較すれば、 2


同じ基督者でもずい分ちがうものだと思わざるを得ない。吉野作造には井上毅のような天皇統治を正確に語った論文も見当たらない。

興味があるのは我が国基督者の国典理解である。そんな研究をしている人はいるのだろうか。 ibid


コメント
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