海と空

天は高く、海は深し

祈り

2006年01月18日 | 宗教一般

キリスト者にとって、人生に、生活(LIFE)にもっとも切実で不可欠な行為は祈りである。イエスも、倦まず弛まず祈るように教えられた。(ルカ18:1)
どれだけ深く強く鋭く粘り強く祈ることが出来るかは、それも修練の要することだと思う。

この祈りの中で、神と「理論闘争」が行われる。その中で思考と思想が練られる。聖書の中には、イスラエルが神と格闘したことが書かれている。そして、イスラエルは神と人と闘って勝った。(創世記32:29)


私たちもある意味では、神と闘わなければならない。ここでは、神とは「運命」のことである。人間は自分の神、すなわち「運命」と闘って勝たねばならない。そして自分を自分の運命の主人としなければならない。人間にとって、神とはそのような関係にある。


祈りとは、そのための神との戦いの場でもある。もちろん戦闘だから負けることもある。だが、人はこの「祈りの戦場」において鍛えられるのである。その意味では、キリスト者にとって「祈り」は、禅宗の座禅のような意義ももっている。祈りは、キリスト者にとっては精神の修羅場である。

 


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1 コメント

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ビジネスと聖書 (あだち)
2008-06-08 15:06:27
 失礼します。
    
 「ビジネスを活かす・私の聖書体験」のご案内  
          ご笑覧ください。 
      http://www4.ocn.ne.jp/~kokoro/

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