さて、そんなこんなで出発した「世界一周の旅」。
確かインドをメインに前後はオプション程度だったはず・・・。なのですが、そのインドが遠かった。
結果的にインドまでの寄り道に7ヶ月を要し、5月に着く予定だったムンバイに到達したのは、秋も深まる10月半ばでした。。
なぜそうなってしまったのか?
ひと言に、「アジアが面白い!ことを知ってしまったから」です。
「面白い」というのは「楽しい」だけではありません。
「知らないことがたくさんある」という意味です。そのことが、何よりショックというかビックリというか・・・。
とにかく夢中でいろいろなことを吸収しました。
例えばマレーシア。
首都のクアラルンプールからボルネオ島に向かう飛行機の中で、隣の乗客に教えてもらった情報が「Bario」という村のことでした。そしてとりあえずその村に行ってみると、そこにはKelabit(クラビット)族という人達が暮らしていて、お年寄りは耳たぶが肩までぶら下がり、しかしそんなジャングルの中の小さな村で彼らは(日本でいう)エコグリーンツーリズムをやっていて、そこに目をつけたイギリス人がフードフェスティバル(食の祭典)なんかも仕掛けたりしています。
そしてその近辺の森にはPenan(プナン)族という人達が暮らしていて、20年ほども前から問題になっている熱帯雨林の伐採に未だ立ち向かっています。
彼らの多くは森の中を転々と獲物を追って移動する生活を続けていますが、最近では少しずつ定住する動きもあって、自分たちの伝統と新しい時代の流れに葛藤しながら生きています。
フィリピンでは、ICANという日本のNGOに出会いました。
彼らは首都・マニラにあるゴミ集積場に住む人達をサポートしていて、主に住民の医療ケアをしています。そこで、「子どもたちが描く理想のセカイ(社会)」を子どもたち自身が考え、社会にぶつけようというプロジェクトに関わりました。
そこで出てきた意見や提案が、これまた面白い。子どもって見てるんですね・・・。大人のことを。
(詳細はブログ本章の中で。)
そんなこんなでインドはどんどん遠ざかり、当初受け入れをアテにしていたVideo Volunteerという団体からの返答もなく、マレーシアとフィリピンを行ったり来たりしている内に、あっという間に半年が経ってしまったのです。
けれど、人生とはそういうもんなんだなぁと思います。
ご縁、出会い、運、直感、成り行き、・・・結局そういうもので道は開けてきます。
きっと私はここに来るために会社を辞め、アメリカ留学(インターン)がポシャり、行き先を失い、インドのボランティアを見つけ、しかしそれも上手くいかず、でもきっと今こうしてこの人たちに出会うために全ての出来事があったんだな・・・。そう思える瞬間が何度もありました。それは嬉し涙があふれるほどの、感動でした。
西欧にばかり目を向けてきた私自身が、足下に目をやり原点に立ち返った1年間でした。
日本人は、間違いなくアジアの民です。
そして私たちがいるこのアジアは、間違いなく素晴らしい。
そんなことを実感する日々でした。
そうこうして最終的に帰国したのが2009年3月13日。
ここからある意味、私の新たな旅が始まったのです。
確かインドをメインに前後はオプション程度だったはず・・・。なのですが、そのインドが遠かった。
結果的にインドまでの寄り道に7ヶ月を要し、5月に着く予定だったムンバイに到達したのは、秋も深まる10月半ばでした。。
なぜそうなってしまったのか?
ひと言に、「アジアが面白い!ことを知ってしまったから」です。
「面白い」というのは「楽しい」だけではありません。
「知らないことがたくさんある」という意味です。そのことが、何よりショックというかビックリというか・・・。
とにかく夢中でいろいろなことを吸収しました。
例えばマレーシア。
首都のクアラルンプールからボルネオ島に向かう飛行機の中で、隣の乗客に教えてもらった情報が「Bario」という村のことでした。そしてとりあえずその村に行ってみると、そこにはKelabit(クラビット)族という人達が暮らしていて、お年寄りは耳たぶが肩までぶら下がり、しかしそんなジャングルの中の小さな村で彼らは(日本でいう)エコグリーンツーリズムをやっていて、そこに目をつけたイギリス人がフードフェスティバル(食の祭典)なんかも仕掛けたりしています。
そしてその近辺の森にはPenan(プナン)族という人達が暮らしていて、20年ほども前から問題になっている熱帯雨林の伐採に未だ立ち向かっています。
彼らの多くは森の中を転々と獲物を追って移動する生活を続けていますが、最近では少しずつ定住する動きもあって、自分たちの伝統と新しい時代の流れに葛藤しながら生きています。
フィリピンでは、ICANという日本のNGOに出会いました。
彼らは首都・マニラにあるゴミ集積場に住む人達をサポートしていて、主に住民の医療ケアをしています。そこで、「子どもたちが描く理想のセカイ(社会)」を子どもたち自身が考え、社会にぶつけようというプロジェクトに関わりました。
そこで出てきた意見や提案が、これまた面白い。子どもって見てるんですね・・・。大人のことを。
(詳細はブログ本章の中で。)
そんなこんなでインドはどんどん遠ざかり、当初受け入れをアテにしていたVideo Volunteerという団体からの返答もなく、マレーシアとフィリピンを行ったり来たりしている内に、あっという間に半年が経ってしまったのです。
けれど、人生とはそういうもんなんだなぁと思います。
ご縁、出会い、運、直感、成り行き、・・・結局そういうもので道は開けてきます。
きっと私はここに来るために会社を辞め、アメリカ留学(インターン)がポシャり、行き先を失い、インドのボランティアを見つけ、しかしそれも上手くいかず、でもきっと今こうしてこの人たちに出会うために全ての出来事があったんだな・・・。そう思える瞬間が何度もありました。それは嬉し涙があふれるほどの、感動でした。
西欧にばかり目を向けてきた私自身が、足下に目をやり原点に立ち返った1年間でした。
日本人は、間違いなくアジアの民です。
そして私たちがいるこのアジアは、間違いなく素晴らしい。
そんなことを実感する日々でした。
そうこうして最終的に帰国したのが2009年3月13日。
ここからある意味、私の新たな旅が始まったのです。
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