遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

ちょっと寄り道散歩道~永井荷風・断腸亭日乗その5~荷風と音楽」

2024年02月12日 | 音楽


一昨日 川上音二郎一座のことに触れた
忘れないうちに 彼と貞奴との興味深いYoutube動画があったので共有する


荷風の若い頃の年譜を見る
1896(M29) 17歳 荒木竹翁について尺八を稽古
1899(M32) 20歳 落語家六代目朝寝坊むらくの弟子となる
三遊亭夢之助の名で席亭に出入りする 父の反対で修行断念する
1900(M33) 21歳 歌舞伎座立作者福地桜痴に入門 拍子木入れの勉強を始める
1901(M34) 22最 日出国新聞に入社し雑誌記者となる
半年後に解雇され フランス語の初歩を学ぶ 
1903(M36) 24歳 9月 父に勧められ渡米する

あめりか物語
 以下 帰国後に書いた「あめりか物語」~青空文庫は未掲載
 <>内に超要約記述する
 ・船室夜話 (・は章見出し 以下同様)
 <横浜から船に乗りシアトルへ 半月余り海また海 
  乗り合わせた柳田と岸本と知合い 無聊を慰め合いながら過ごす
  柳田は実業家で目的は米国での儲け仕事探し 岸本は妻子を残し勉学>

・野路のかえり
<荷風はタコマに滞在する (タコマを知らなかったのでWikipediaにリンク)
荷風は友人と二人で晩秋の広野に自転車を走らす
連山の上に 日本人がトコマ富士と呼ぶレーニア山が燦然と聳える

友人はこの地の癲狂院を案内 出稼ぎの日本人も収容されている
彼らは外国で働く3年の辛苦が 帰国後の裕福な10年を得る楽の種という
しかし この世は世界のいずこへ行こうとも皆な同じ苦役の場所である
わたしは寂寥を感じ 松の森林は暗澹として奥深いように思われた・・・>

ところで この調子で続けたら 私は超要約記述で残りの人生を終えそう
荷風はその後 シカゴ セントルイス ハイランドを巡る

年譜へ戻って
1905(M38) 26歳 6月 ニューヨーク到着 
7月からワシントンの日本公使館で働く(父の口利き?)
12月から父の配慮で東洋銀行(※)ニューヨーク支店に勤務 ※物語上の名

 物語に オペラという言葉が最初に出て来るのがこの頃
 <最初に聴いたのが会社の同僚の家族と一緒にミュージカル・コメディ見物
場所はブロードウェイ 主役はドイツ女性 容貌よりは好い喉だ>
<B博士とオペラを談じた時 
私は素人ながらワーグナーのタンホイザーが忘れ難いと思った>

今日のタイトルは荷風と音楽
しかし この「あめりか物語」には 伊仏独のオペラは殆ど出て来ない
といって シカゴでジャズの話が出て来るわけでもない
メトロポリタン歌劇場の誕生は1883年 荷風も知らなかったと思えない
もっとも「あめりか物語」の全章は すべて女性が主役の話である

<われは君を愛す ローザが腕よ ローザが胸よ ローザが腿よ
ローザが肩よ おおローザ・トリアニ 
リヨンのオペラ座 第一の舞姫 ローザ・トリアニ>
と荷風が絶叫(絶書か?)するのは 次の「ふらんす物語」を待たねばならない

それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]