
「濹東綺譚」挿絵の1枚
1936/S11年 荷風58歳
5/26 荷風は「玉ノ井」通いを始めた 地図まで作る凝りようである
その後 「日乗」に出て来る玉ノ井の記述を抜き出してみる
7/11 これは番外
<流行歌忘れちゃいやよの蓄音機円盤発売禁止 唄を歌うと巡査が注意する喫茶店の女から唄の歌詞を聞くと甚だ平凡>
そう書きながら荷風は1番から3番まで律儀に歌詞を書きとめている
ここでは書かずに Youtubeの歌詞付き動画を掲載
<7/20 電車にて浅草へ出て 円タクで玉ノ井を見歩き 銀座へ出る>
・・・暑いせいか暫く間が空く
<9/7 夜 言問橋を乗合自動車で渡り玉ノ井へ行く
今年3,4月からこの街の様子を観察しようと思い立ち 折々来るうちに
休むのに都合のよい家を見つけた 女一人いて抱え主もいない模様
女はもと須崎の某楼の娼妓だった 年は24,5
上州あたりの訛りがあるが丸顔 眼は大きく口もと締まる容貌
こんな処で稼がなくても・・・と思うほど
あまり祝儀もねだらず万事鷹揚 大店のおいらんも虚言ではないだろう
この時 客が来て荷風は留守番を頼まれる>
荷風は退屈紛れに家の箪笥戸棚の中を調べ 下と2階の間取りや調度を書く
・・・文庫本には荷風が描いた間取り図も載っているが省略
<9/19>から<9/24>まで 毎日玉ノ井へ行く~要約と言うより1日1行
9/19 女が一人増えていて 荷風は二人から身の上話を聞く
9/20 この町を背景とする小説の腹案がようやく出来た と書く
9/21 髪結いに行く女と別れ 銀座で夕食し帰宅 「濹東綺譚」を起稿する
9/22 京成電車の元玉ノ井駅はすでに無い と書くが何故か分からない
9/23 荷風は「濹東綺譚」の発表をどうするか悩む
<私は菊池寛を始め文壇に敵が多い
新聞に連載したら一斉に排撃され 掲載中止となるに違いない
民衆一般の趣味や社会情勢を思っても 公表すべき時代ではないと考える>
9/24 夜は東武電車で堀切へ 玉ノ井を歩き通って帰る
(欄外に墨書~増税政策に世論ごう然)
このあと玉ノ井行きは少し間遠 「濹東綺譚」執筆に時間を割いたのだろう
9/30 10/1 10/4 10/5 10/6 10/15 10/17
記述も簡素になり 玉ノ井を訪ねる 濹東に行く・・・
荷風自身も気になったのか 10/20には こう書いている
<濹東の遊興はなお失っていない 夜また行って例の家を訪れる>
<10/25 「濹東綺譚」脱稿する>
<10/26 写真機を購入する 金104円也>
<10/28 「濹東綺譚」を「朝日新聞」夕刊に連載すると決まる
<11/2 玉ノ井に至り第一部のある家を訪れる>
・・・これまでと書き方が違う
この日天皇陛下の行幸が都内某所で行われ 玉ノ井の路地裏には刑事が入り 随時女の家に来る客を取り調べている ことと関係しているか・・・
<11/8 夜 墨東を歩く>
<11/27 (欄外)日本 独逸と連名を結ぶ>
<11/28 玉ノ井を歩く>
<12/30 乗合バスで小名木川へ 中川大橋を渡り辺りの風景を撮影する>
ここで「摘録 断腸亭日乗(上)」は終わり
なお このあと文庫本には「西遊日誌抄」が併禄されている
今日は殆ど文字だけになってしまった
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]