昭和の玉ノ井
1936/S11年 荷風58歳
2/24 色慾を消磨し尽くした荷風は遺書を書いた その翌々日2/26事件
それからほぼ3か月後
5/26 荷風は「玉ノ井見物の記」と地図を書いている 以下<>内に超要約
<初めて玉ノ井の路地を歩いたのは
昭和7年の正月 堀切四つ木の放水路堤防を散歩した帰り道だった
その時は道に不案内で どの辺が1部やら2部やら方角もわからなかったが
先月来度々散歩し忘備のため地図を作った~本に次の手書き地図掲載>
堀切四つ木の放水路堤防を散歩・・・で思い出したのが今昔マップ
たしか「曳舟川」の話の時に 放水路からマップを辿った記憶がある
だとすれば玉ノ井も通っていたのではないか?
その当時は曳舟川だけで 玉ノ井のことなど気にしていなかったけれど・・・
ともかく「玉ノ井見物の記」の続きを読もう
<路地内の小家は中に入ると意外と清潔 場末の小待合と同程度
ベッドを置く家も多い 2階へ水道を引く家や浴室を設ける家もある
1時間5円を出せば女は客と入浴する ただしこれは最も高価な女
並は1時間3円 一寸(ちょん)の間は1~2円 路地口におでん屋が多い
そこで聞くと どの家の女がサービスがよいとか 知るに便利である・・・>
荷風の見物記 というより案内記はまだまだ続くが以下は省略
今日の最後に 当時の雰囲気がわかる動画を探したが無かった
戦後 玉ノ井はカフェー街に衣替え(実質は私娼街)して生き残ったという
そのカフェの名残を探すYoutube動画があったので埋め込む
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]