断腸亭にて
荷風が帰国したのは 1908/M41年29歳の時
今日はその後 関東大震災までの荷風の足跡を追ってみる
既に述べた女性については言及せず 荷風の住家・飲食・趣味等を中心に
【なりわいのこと】
慶應義塾大学文学科教授を1910/M43年31歳から37歳まで勤める※
※森鷗外・上田敏の推薦による
教授を辞めた後は 雑誌「三田文学」主宰も降りて文筆一本で生活する
【住まいのこと】
1908/M41年29歳 帰朝し実家に住む
牛込区大久保余丁町(現・新宿区余丁町)※
※「監獄の裏」に家があったらしい 青空文庫「監獄の裏」にリンク
他にも生家に触れた作品あり 幼少時を書いた青空文庫「狐」にリンク
1913/T02年34歳 父・他界し家督を継ぐ※
1915/T04年36歳 築地一丁目の借家に移転する(八重次と離婚後)
1916/T05年37歳 大久保余丁町の本邸に戻り一室を断腸亭と名づけ起居
1917/T06年38歳 木挽町九丁目(現銀座7丁目)に仮住居 無用庵と名づける
日記の執筆を再開する ※「断腸亭日乗」の始まり
1918/T07年39歳 大久保余丁町の邸宅を売却 京橋区(現中央区)築地に移転
八重次と焼棒杭に火 彼女の家(現銀座7丁目)に住む
下線部→こちらのサイト参照(無用庵と同じサイト)
1920/T09年41歳 麻布区(現港区)市兵衛町一丁目の偏奇館に移転
偏奇館
参考:青空文庫「断腸亭日乗」へのリンク
1923/T12年 44歳 帝国劇場で来日演奏したクライスラーのVnを聴く
9月1日 関東大震災発生
当日の日乗の記録~原文の文語体を口語体かつ超要約記述
<雨やむが風がなお強い 昼時に天地鳴動する
書棚の下で本を読んでいたが 頭上に本が落ちて驚き 立って窓を開ける
外は塵や埃で濛々として 女児や犬が泣き叫ぶ
逃げ出す準備の間も余震が度々 庭に出たが 舟上のように体が揺れる
門に掴まり家を振り返る 屋根瓦が少し滑り落ちたが窓は無事でホッとする
昼食を食べに表通りのホテルに行く 食堂の壁が落ち食卓は外で客は僅か
食後家に戻ったが中に入れず庭で怯えるばかり 夕方に晴れて半月が出た
ホテルで夕食後 愛宕山に登って市中の灯りを見た
家に帰ろうとすると 赤坂溜池の火が既に葵橋まで来ていた
河原崎長一郎の一家が来て庭に泊まる
外は塵や埃で濛々として 女児や犬が泣き叫ぶ
逃げ出す準備の間も余震が度々 庭に出たが 舟上のように体が揺れる
門に掴まり家を振り返る 屋根瓦が少し滑り落ちたが窓は無事でホッとする
昼食を食べに表通りのホテルに行く 食堂の壁が落ち食卓は外で客は僅か
食後家に戻ったが中に入れず庭で怯えるばかり 夕方に晴れて半月が出た
ホテルで夕食後 愛宕山に登って市中の灯りを見た
家に帰ろうとすると 赤坂溜池の火が既に葵橋まで来ていた
河原崎長一郎の一家が来て庭に泊まる
火は霊南坂を上り 家から一町ほどで止まった>
以上が震災当日の日記で 今日はここまで
以上が震災当日の日記で 今日はここまで
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]