京橋の第一相互ビルヂング屋上より見た日本橋及神田方面の惨状
1923/T12年 44歳 9月1日 関東大震災発生
荷風の「断腸亭日乗」から昨日引用したが その後3日間ほども要約引用する
9月2日<昨夜は河原崎長十郎(※)と共に庭で月を眺めて夜を明かす
※劇団「前進座」の創立メンバーで後に座長 甥は権十郎
彼は老いた母を扶け赤坂一ツ木の甥の家に行く 荷風も後刻赤坂へ
一家は無事で 夕食馳走になり帰宅 庭の樹下で眠る 余震が頻繁>
9月3日<白昼放火する者がいて 各家より人を出して交代で警備する>
9月4日<西大久保の母上を訪問 鷲津(※)一家は上野公園に避難とのこと
公園に行くが所在分からず 夜遅く家に戻った
※荷風の母恒(つね)の生家 荷風は幼稚園時代を鷲津家で過ごしている
この時の母は 西大久保で荷風の末弟威三郎一家と同居
荷風は 大正3年八重次との結婚の時 威三郎とは喧嘩別れしたまま
この日初めて威三郎の妻と会い その妻子と言葉を交わすことは不快
だが 非常時だから仕方がない>
公表されるとは思っていなかったのか 荷風の筆は時に辛辣なことを書く
例えば ひと月後10月3日の日誌から
<丸の内に行った帰り 街の至る所糞尿の臭気が激しく 支那街のようだ
愛宕下から坂を上れば 街は焦土と化し 荒廃の光景を愚かにも感じる
明治以降大正現代の帝都は 山師の玄関と違わず愚民を欺くイカサマ物
灰燼になっても惜しくはない
近年の世間の贅沢・貪欲を顧みると 今度の災禍は天罰と言ってよい
外面だけを飾り 百年の計がない国家の末路はこのとおりなのである>
と政治の無能さに筆誅を加える
(荷風は難読文字が多く要約もタイヘン!)
もう一つ 旧い地名が出て来ると 今のどの辺? と調べるのも一苦労
今昔地名対応表などないものか・・・と思って探したらこのサイトがあった
menuの地域一覧を選択
→例えば麻布を選択(この頃の荷風の住居は 麻布市兵衛町の偏奇館)
→麻布のページで 麻布①の005市兵衛町 を選択
→町名の読み方 由来 町名変更の歴史 現町名との対応などが分かる
→最下部の撮影地クリックでGoogle mapが表示される
個人でここまで作るのはタイヘンだと思う
昨年 関東大震災から100年が経つ Youtube動画を2編共有する
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]