リリック・ホール1890年頃~サラ・ベルナールも公演
1905/M38 26歳
12/14、16 仏蘭西の名女優サラ・ベルナールの興行に狂喜する
~オペラ観劇は日参に近いので 特記事項がある場合を除き以下省略
12/17 支那街酒場に入る 地下に大舞踏場 男女入り乱れ描写価値あり
12/20 空気汚れた銀行事務室に閉じ込められる苦しさは耐え難い
たびたび屋上に出て喫煙 灯火の紐育を眼下に見るのも好もしい
12/23 サラ・ベルナール最後の紐育興行を観る 劇は脚本のみでは某氏
の空論と同じで役立たない 私の海外旅行の目的は舞台を観たいため
これで渡航の目的は達した
12/25 クリスマス 夕方今村子と移民街散歩 旧教の礼拝式を見た後
支那街の酒場で夜を過ごす
サラ・ベルナール 1844(弘化01)-1923(T02) 1881年頃撮影
1906/M39 27歳
01/01 今村子と支那街の一角に立ち 行き交う人々の群れを眺める
支那料理店で食事しようとしたが空席一つも無し
01/09 華盛頓の娼婦イデスから手紙 会いたいと次週紐育に来るという
01/20 紐育美術学校の展覧会を観る 佳い絵なし 亜米利加はダメだ
02/14 イデスから連日手紙が来る 心が歓喜と恐怖に充たされる
・・・絵や娼婦の事 こういう表現が荷風の面白さのひとつだろう・・・
02/22 メトロポリタン劇場でワーグナーを聴く あまりよくなかった
03/19 カーネギー音楽堂で露西亜管弦楽を聴く
03/28 銀行昼休み ブルックリン橋下の波止場を歩く~人々は社会偽善
の束縛を脱した自然人 銀行街の人は忙しげ賢げに歩く~別天地の感
メトロポリタン歌劇場 1905年撮影
カーネギーー・ホール 1895年撮影
04/11 露の文豪マキシム・ゴーリキー 夫人・秘書を伴い紐育へ来る
04/15 各紙報道 彼が旅館の宿泊を断われる 理由は夫人が正妻でない
為(米国では妾・情婦の宿泊禁止) 奇怪な米国の法律・風習は理解不能
06/09 新緑の野に寝転んで 仏蘭西の詩集読むほど幸福なことはない
06/16 イデス 久しぶりの手紙でトレントン市に来ることを知らせる
06/20 銀行の仕事外の交際が苦痛 日曜は頭取の社宅にご機嫌伺い
こうした苦痛の後は必ず で呑み 時々賤業婦の腕を枕に寝る
全ての希望を失った彼女らに接する時 同病相憐れむ親密さを感じる
06/27 仏蘭西語の夜学校に行く
06/29 家から手紙 家の経済的事情が思わしくない模様
07/02 イデスより手紙 日曜日に紐育に来る どうしようかと思い惑う
07/04 独立祭 町中に花火が上がり爆竹が響く
07/08 紐育に着いたイデスより電報 これを手にホテルへ駆けつける
この秋か冬イデス紐育に移り 部屋を借りて一緒に暮らしたいと語る
仏蘭西小説中の人物になったようで 嬉しくてかたじけなく涙が出る
しかし再度の別れを思えば 今のうちに別れるべきかと悩み眠れない
・・・荷風の懊悩は 06/16のイデスの手紙から既に3ページに渡る
これを十数行に要約するというのも かなりの懊悩ではあるが・・・
それはともかく 荷風もイデスの事を忘れられない
イデスからの手紙は 荷風が銀行に出勤する毎朝届く
ある時は 銀製の巻煙草入れに「愛はすべてなり」と刻んだ贈り物
愛か芸術家か パリ行きは諦めイデスと共に暮らすべきか
銀行員になる気は無いし 支那街の料理店で仕事を見つけるか・・・
まだ続きそうなので 続きは次回に
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]