右より兄壮吉(荷風)、母恆、父久一郎、弟威三郎、弟貞二郎
1927/S02年 49歳
<10/21 壺中庵に行き 壺中庵記を書く
以後 頻繁に壺中庵へ行って泊まる>
<12/15 鷲津貞二郎(※)危篤の電報 自動車で下谷に着いた時には死亡
※荷風の弟 鷲津家(母の実家)の養子に入り牧師となった(行年45歳)
放蕩無頼の自分の実弟に温厚篤実の宗教者がいるとは不思議な事>
1928/S03年 50歳
<年が明けて お歌は頻繁に訪れ 荷風も壺中庵に足繫く通う
02/05 お歌夕食の惣菜を持って毎夜来る 芸者に似ず親切 歳は22,3
若いのに50で病弱の自分を頼って いつも機嫌よく笑って日を送る
自分は既に芸術上の野心も消え また現代婦人の文学政治に熱中する事
を慨嘆するこの頃 可憐な彼女に出会えたことは本当に幸せである>
荷風とお歌
荷風の住まい偏奇館は麻布市兵衛町 一方壺中庵は西久保八幡宮の近く
昔の町名は馴染みが無いので 遠いのか近いのか見当がつかない
偏奇館は現在の六本木1丁目 アークヒルズの南側の地域
壺中庵は虎ノ門5丁目あたり それなら歩いても20分程度の距離だろう
<02/04 お歌銀座風月堂のサンドイッチ持参 ワイン・珈琲で夕食
食後肩を揉ませ一睡 隣家に人の声がして今夜は節分 夜更けお歌帰る>
<02/17 至る所に候補者の姓名・写真の張り紙 我が家の塀にも2、3枚
昨夜こっそりと剥がした(※)>
※この年の2月22日 初めての普通選挙(衆議院)が行われた
<03/17 三番町待合蔦の家が売り物に出る
お歌が買って待合を営業したいと言う 荷風は株券を売り金を用意>
<04/10 この頃 無産党員の輩が押しかけて来る 印税目当てのようだ
こうした世の動きから文筆を捨てようと決心している
幸いにもお歌が待合を始める そこが自分の隠れ家に最適の場所>
<05/06 夕食後 毎晩のように三番町に行く
忠君愛国の名を借り略奪を専業とする輩が多くなってきた
裏で警察とも繋がり 新聞は沈黙している>
<07/25 街に巡査・刑事多く 夜に在留志那人が南京新政府成立の祝いで
歩くという(※) 夜三番町に行き泊まる>
※蔣介石が南京新政府主席となった
<08/24 精力日増しに衰える 借りた書物は返した
机の上に堆積した草稿なども庭で焼却する
キナ臭いにおいが立ち込め 近所から巡査呼ばれる
草案を風呂敷に包み持ち 病院の帰りに 新大橋の傍らに出る
乗合船の切符を買い桟橋へ 人に見られないよう川へ投落した
新大橋
しかし 包みは浮かんで桟橋に付着したまま 傘の先で押すがダメ
そのうち乗合船が着き その船頭が竹竿で拾いあげ桟橋の番人へ渡す
どうにもできず乗合船で永代橋へ 再び乗船して元の新大橋の桟橋へ
風呂敷を見つけ 自分が落としたと言うと 名前も訊かず返してくれた
前より2倍程に重くなって持ち運べず 車で三番町へ持ち帰った
永代橋
翌日 風呂敷持ってお歌と永代橋へ行く
紐で束ねた草案を風呂敷から出して投げ落とす
ピシャン 手のひらで尻を打つような音がした
水に浮かんで流れ やがて闇に消えた ほっと一安心
捨てた草案 人に見られて恥ずかしいものばかり>
・・・この話 1頁以上の文章が連なり とぼけた味があって面白い
しかし 要約し過ぎて面白さが消えてしまった
朗読を探してみたが無かったので 今日はここで終わり
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]