リヨン歌劇場(現在)~荷風が行ったのは旧歌劇場で今は存在しません
ちょっと寄り道のつもりが、永井荷風の話も10回を超えた
まだまだ続きそうなのでタイトルを変えて気分転換
荷風はアメリカで4年ほど過ごした
その結果 実業もアメリカ文化も自分の肌に合わないことを知った
もともと行きたかったのはフランス 語学校に通ってフランス語を習う
パリ行きを決意し父に頼み込んだ
1908(M41)年 31歳
7月 父のコネでフランスの横浜正金銀行リヨン支店へ転勤
1909(M42)年 32歳
3月 銀行を辞め2か月ほどパリで遊ぶ
7月 帰国し神戸に到着 8月 「あめりか物語」刊行
1910(M43)年 33歳
3月 「ふらんす物語」 刊行 発売前に当局から発売禁止処分※される
※「放蕩」と「春の夜がたり」が風俗紊乱に当たるという理由らしい
「ふらんす物語」 の章立ては以下のとおり
舟と車 ローン河のほとり 秋のちまた 蛇使い 晩餐 祭の夜がたり
霧の夜 おもかげ 再会 ひとり旅 雲 巴里のわかれ 黄昏の地中海
ポートセット 新嘉坡(シンガポール)の数時間 西班牙料理
橡(とち)の落葉:この章だけ小見出しがある
橡の落葉の序 墓詣 休茶屋 裸美人 恋人 夜半の舞踏 美味
霧の夜 おもかげ 再会 ひとり旅 雲 巴里のわかれ 黄昏の地中海
ポートセット 新嘉坡(シンガポール)の数時間 西班牙料理
橡(とち)の落葉:この章だけ小見出しがある
橡の落葉の序 墓詣 休茶屋 裸美人 恋人 夜半の舞踏 美味
ひるすぎ 舞姫
以下 つまみ読みでいつもの超要約記述 <>で括る
「祭の夜がたり」は荷風がパリの売春婦にハマった話 発禁の原因と推定
<フランスの女には云うに云われぬ魔力がある
何気なしに話をするー散歩するー手を握るー身体を摺寄せるー凭せ掛けるー
知らぬ間に引込まれる
そして翌日 家へ帰って莫迦な事をしたと気付く
気付きながら 悔いや怒りは起きず 馬鹿な事をまた繰返したくなる・・・
僕は3日間で1か月の生活費を消費したが まだ遊びたかった
荷風は決心する
フランスの女には手を出さない 詩人となってフランスの美しい山水に酔う
プロヴァンスを訪ね 古城を仰ぎ ギターの調べを聴きながら・・・
しかし想い浮かべるのは女の熱い胸と乳
やがて とある家の女性に呼び込まれる 他に男がいるのを知りながら
一日、二日と日を伸ばし、四日目の朝なお未練を残したまま汽車に乗った>
「巴里のわかれ」
<中学校の時以来 何となく仏蘭西が好き 英語よりも仏語に魅かれた
現実に見た仏蘭西は美しく優しかった 自分はそのために生きて来た>
その巴里を離れた荷風に ロンドンは陰鬱だった
<夕食の時刻 大柄な女中は口が「へ」の字に大きく 顎が突き出 頬骨高く
眼が深く窪み 日本の般若か ドイツの魔法使いの婆のようだ
Will you take dinner? 𠮟りつけられたようで返事ができなかった>
「黄昏の地中海」
船で葡萄牙(ポルトガル) 西班牙(スペイン)沿岸を南下
アルジェリアの陸を眺めながら 荷風は歌を唄いたいと思うが歌えない
※全曲は長いので最初の歌の部分だけでもどうぞ
(荷風はこんな歌を歌うつもりでいたのか・・・)
トリスタンの幕開きの歌などもメロディーが出て来ず つい慨嘆する
日本人に生まれたら自国の歌しか歌えないのか・・・>
ポートセット 知らない地名が出て来た Wikipediaにリンク
「ふらんす物語」は青空文庫化されていない
ただ 最後の「舞姫」だけは読むことが出来るのでリンク
荷風がリヨンの歌劇場で聴いて ぞっこん惚れ込んだ歌
探したが 残念ながら見つけられなかった
それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]