季節外れの秋海棠~荷風が譲り受けて自ら植えた・・・と日乗に記載があった筈
時は過ぎて時代は昭和に入る
1927/S02年 48歳 3月 昭和の金融恐慌起きる
<7月24日 歌舞伎座帰りの電車中 隣席客の夕刊に芥川龍之介自殺の記事
神経衰弱で服毒 行年36歳 彼と交わりは無かった
ただ一度 震災前 新富座の桟敷席で偶々隣り合わせたことがあるだけ
同じ年頃の自分を思い返し 今日までよく生き延びて来た と思う>
歌舞伎座第3期~T12の大震災で焼失後 1925/T14年1月に開場
新富座~1872/M05年開場の守田屋が現・中央区新富町移転後に新富座改名 大震災で焼失・廃座
<9月17日 夜お歌(※)と神田を歩き お歌の家に泊まる
お歌21歳 容貌は10人並み とは言い難いが 世話上手
自分も老い 囲う必要もなく お歌も芸者から足を洗いたく 身請けする>
(※)数回前の荷風の交情16人の女性中の1人 #13「関根うた」
<10月8日 昼 女給お久(※)来て5百円入用と居座る 説得するが暴言吐く
切られお富のよう 同席者が警察を呼ぶと言うとようやく去る 毒婦だ
これまで侮ってきたが女給恐るべし 慎まなくては・・・>
(※)16女人中 欄外#10「古田ひさ」
銀座タイガ女給 の他に記述無し 荷風もよほど不愉快だったか
<10月13日 市ヶ谷見附内一口坂に間借りのお歌 昨日西ノ久保八幡町
壷屋という菓子屋の裏に引っ越したというので 早起きして訪ねる
震災の火事は近くで止まり 古家だが新築の貸家よりも落着きがあってよい
偶然このような小家を借り ここに20歳を越したるばかりの女を囲う
これまた老後の愉しみである>
<10月14日 午後から来客を避けるため八幡町に行く
壺屋の裏にある貸家なので「壺中庵」(こちゅうあん)と名付ける>
<10月15日 終日書く 近年になく興が乗る 山形ホテルで夕食
壺中庵へ行き泊まる>
<10月16日 早朝帰宅する 昼友人来て話す
銀座のカフェ客を警視庁保安課が逮捕しているので 当分避ける事にする>
壺中庵へ行き泊まる>
<10月21日 早朝帰宅する 昼友人来て話す 夕刻友人来てホテルで夕食
虎ノ門で別れて壺中庵へ この夜壺中庵記を書く>
~省略するが 原文のままの末尾数行と句を以下に~
<・・・誰憚らぬこの隠れ家こそ、実に世上の人の窺ひ知らざる壺中の天地なれと、独り喜悦の笑みをもらす主人は、そもそも何人ぞや。昭和の卯のとしも秋の末つ方、ここに自らこの記をつくる荷風散人なりけらし。
長らへてわれもこの世を冬の蠅 >
荷風散人なりけらし・・・荷風翁人を喰って生きているらしい
<11月9日 歌舞伎座の帰途友人と大牙(タイガ)へ (荷風翁も慎みが無い)
女給お久は今月からカフェ「黒猫」に移ったという その情夫はならず者
これまでもお久を使って金銭をゆすり歩いていたという
1929/S04年 50歳 ニューヨークでの株式大暴落し 世界恐慌始まる
今日の終わりに1920年代の東京の映像を
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それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]