会津さんは自転車に名前をつけている。
「今日はBlacky 連れて来れなくてさぁ、こんな天気いいのに」何のこっちゃ?
「いつも一緒にいるのがいないと、なんか寂しいよね」
この人はなにか?犬かなんか連れて授業に出てんのか?
「今日は嵐電(らんでん)で帰んなきゃ」
今出川通を北野天満宮よりも西へ向かうと京福電鉄北野線の始発駅『北野白梅町』に着く。途中路面電車になる区間もある古い鉄道で、なんでも最初に四条大宮から嵐山に延びる嵐山本線が開通したのが明治43年とのこと*。本線から『帷子ノ辻(かたびらのつじ)』駅で北野線が分岐し、北野白梅町までが全延長である。線路の両側が桜並木になっているところがあって、満開の時期には覆いかぶさるような爛漫の桜色の中を走り抜けていくことになる。晴れた日は用もないのに乗っていたくなって、そういう時は運転席の後ろから進行方向をずっと眺めているのがいい。後ろ向きになって過ぎ去る桜を眺めているのも可。嵐山本線と北野線をひっくるめて『嵐電』の愛称で親しまれている。会津さんは帷子ノ辻から白梅町方面へ向かってひとつめの『常盤(ときわ)』が最寄り駅となる、とは聞いていたのだが。
「どういうことです?」
「なにが?」
「いや、その “Blacky” と『嵐電』が結びつかんので」
「え?あー、自転車よ自転車。わたしの自転車 Blacky っての、黒いからさ」
「名前つけてんですか?自転車に?」
「だって名前がないと呼びにくいじゃん」
呼ぶんかい。
大学は京都市のいわゆる『碁盤の目』の北西のはずれなので、市街地を見下ろすような立地にある。敷地の端にある校舎はどれも、近隣住民が『見下ろされて不愉快』だというので屋上が施錠されているが、中のほうにある校舎は屋上に出ることができる。春の終わりの麗らかな、というより少し暑いくらいの日差しの中、屋上のベンチに呆けたように二人並んで京都の町を眺めている。何階建て以上だか知らないけれど、市の景観条例によって高い建物が建てられてないので視界を遮るものもなく、青いというより白く輝くような春の晴天の下、遠くのほうはすこし霞んで、全体的にぼうっとふくらんで見える。近いところにある屋根瓦が日差しを反射してぎらぎらとまぶしい。燦燦と降り注ぐ春陽のもと、何が面白いんだか面白くないんだか、愚にもつかない会話をしている。『自分の』だと思うと愛着が湧いて、名前を呼ばずにはいられないと言うので、お気に入りの筆記用具とかクッションとかの名前を聞いてみると『そんなバカみたいなまねはしない』のだそうだ。その線引きの基準は、なんだ?
北野天満宮の東側、七本松通と今出川通の交差するあたりは『上七軒』と呼ばれる花街である。地元の人の発音を聞くと『七』は『しち』ではなく『ひち』と言うようで、由来を聞けば室町時代にまでさかのぼるらしい。この北側の七本松通と千本通の間は細い道が入り組んでいて、方々の家から機織(はたおり)の音が聞こえる『西陣織』の地元でもある。石地さんのところに用があり、普段なら今出川通から六軒町通を北に向かうが、大学からだったのでもっと北のほうから向かうことになった。このあたりは初めてだったので、大方(おおかた)の見当で歩いた。いわゆる『町家』というのだろうか、昔風の家も並んでいて、ちょっとした散歩気分である。細かく通りの名前を表示してくれているので路頭に迷う心配はないが、どこの角を曲がっても同じリズムで機織の音が聞こえてくる。入り組んで途中で途切れたりする狭い道を歩いていると石段があって、その先に公園があった。どこをどう行けば元の道に出られるかわかっているけれども、日が暮れかかってうすぼんやりと暗くなっている時に同じテンポで刻まれる音の中で、もうここを抜け出せないのではないか、どこにも帰れないのではないかいう気がして、切ないような、恐いような、理由がわからないまま足がすくんで、しばらくどきどきしたまま動けなかった。‘Blacky’ の件を聞いたときはどうしようかと思ったが、同じところで同じ恐怖を味わったと聞いてちょっと親近感が湧いた。飾りっ気のない人で、化粧っ気もない。後の就職活動中に大阪梅田地下街の化粧品セールスのお姐さんにどスッピンを見咎められ、とっ捕まって散々怒られた挙句、その場で就活用のメイクを施されたという。でも『やり方覚えてない』のでその後もスッピンで会社訪問を続けた豪の者である(これがまかり通ったのが『完全売手市場』といわれたバブル最盛期の就職戦線なのであった)。何かを説明するときの形容のしかた、言葉の選び方が巧い。好みの酒肴も合うことがわかって、京都在住歴の長い会津さんにいろいろと案内してもらうことになる。
「普通に歩いてたらわかんないお店だよ」と教えてもらった。東大路通の西側、四条通から少し上ったところに『祇園会館』がある。二タイトル上映で入れ替えなし、中途退場自由という豪儀な名画座で、和洋を問わず幅広いジャンルを上映し、11月には『祇園をどり』の会場となる。南側の細い通りをはさんだ『光陽亭』はカレーととんかつがおいしい。東大路通に面した光陽亭の裏手にその通りと四条通の間をつなぐ路地があり、東側の建物の壁に柱時計がいくつも掛かっていて、そこが『山口大亭』の入り口になる。さすがにわかりづらいためか、いつの間にやら四条通側の路地の入り口に『←山口大亭』のプラカードを持ったおじさんが立つようになった。京の『おばんざい』をいろいろと楽しめる店で、メニューの幅が広い。ここで『鱧おとし』を初めて食べた。皮一枚をのこして等間隔に包丁を入れて『骨きり』をしてから湯引きした鱧の身はくるくるとまるまって、切られた身が開いたようになる。それを冷水で冷やして山葵醤油か梅肉で食べる。おいしいかというと、おいしいのか?魚の身そのものが旨いというのではない。冷水でしめてあるので口に入れるとひんやりと冷たい。口に入れた途端に梅肉の酸味で舌の付け根の両脇からつばが『ちゅっ』と出てくる。ぱらっと開いた身のほうがほろほろとした舌触で、口の中でもてあそんでから冷酒を含むといかにも『夏を喰った』という感じがする。いろんな人といろんな時期に行っていろんなものを食べたけれど、この感覚を一番好いているかもしれない。毎年寒くなると『来シーズンこそは』と思うのだが、夏の忙しさにかまけて長い間一度も夏を喰らってない。
*参考:嵐電HP http://randen.keifuku.co.jp/
「今日はBlacky 連れて来れなくてさぁ、こんな天気いいのに」何のこっちゃ?
「いつも一緒にいるのがいないと、なんか寂しいよね」
この人はなにか?犬かなんか連れて授業に出てんのか?
「今日は嵐電(らんでん)で帰んなきゃ」
今出川通を北野天満宮よりも西へ向かうと京福電鉄北野線の始発駅『北野白梅町』に着く。途中路面電車になる区間もある古い鉄道で、なんでも最初に四条大宮から嵐山に延びる嵐山本線が開通したのが明治43年とのこと*。本線から『帷子ノ辻(かたびらのつじ)』駅で北野線が分岐し、北野白梅町までが全延長である。線路の両側が桜並木になっているところがあって、満開の時期には覆いかぶさるような爛漫の桜色の中を走り抜けていくことになる。晴れた日は用もないのに乗っていたくなって、そういう時は運転席の後ろから進行方向をずっと眺めているのがいい。後ろ向きになって過ぎ去る桜を眺めているのも可。嵐山本線と北野線をひっくるめて『嵐電』の愛称で親しまれている。会津さんは帷子ノ辻から白梅町方面へ向かってひとつめの『常盤(ときわ)』が最寄り駅となる、とは聞いていたのだが。
「どういうことです?」
「なにが?」
「いや、その “Blacky” と『嵐電』が結びつかんので」
「え?あー、自転車よ自転車。わたしの自転車 Blacky っての、黒いからさ」
「名前つけてんですか?自転車に?」
「だって名前がないと呼びにくいじゃん」
呼ぶんかい。
大学は京都市のいわゆる『碁盤の目』の北西のはずれなので、市街地を見下ろすような立地にある。敷地の端にある校舎はどれも、近隣住民が『見下ろされて不愉快』だというので屋上が施錠されているが、中のほうにある校舎は屋上に出ることができる。春の終わりの麗らかな、というより少し暑いくらいの日差しの中、屋上のベンチに呆けたように二人並んで京都の町を眺めている。何階建て以上だか知らないけれど、市の景観条例によって高い建物が建てられてないので視界を遮るものもなく、青いというより白く輝くような春の晴天の下、遠くのほうはすこし霞んで、全体的にぼうっとふくらんで見える。近いところにある屋根瓦が日差しを反射してぎらぎらとまぶしい。燦燦と降り注ぐ春陽のもと、何が面白いんだか面白くないんだか、愚にもつかない会話をしている。『自分の』だと思うと愛着が湧いて、名前を呼ばずにはいられないと言うので、お気に入りの筆記用具とかクッションとかの名前を聞いてみると『そんなバカみたいなまねはしない』のだそうだ。その線引きの基準は、なんだ?
北野天満宮の東側、七本松通と今出川通の交差するあたりは『上七軒』と呼ばれる花街である。地元の人の発音を聞くと『七』は『しち』ではなく『ひち』と言うようで、由来を聞けば室町時代にまでさかのぼるらしい。この北側の七本松通と千本通の間は細い道が入り組んでいて、方々の家から機織(はたおり)の音が聞こえる『西陣織』の地元でもある。石地さんのところに用があり、普段なら今出川通から六軒町通を北に向かうが、大学からだったのでもっと北のほうから向かうことになった。このあたりは初めてだったので、大方(おおかた)の見当で歩いた。いわゆる『町家』というのだろうか、昔風の家も並んでいて、ちょっとした散歩気分である。細かく通りの名前を表示してくれているので路頭に迷う心配はないが、どこの角を曲がっても同じリズムで機織の音が聞こえてくる。入り組んで途中で途切れたりする狭い道を歩いていると石段があって、その先に公園があった。どこをどう行けば元の道に出られるかわかっているけれども、日が暮れかかってうすぼんやりと暗くなっている時に同じテンポで刻まれる音の中で、もうここを抜け出せないのではないか、どこにも帰れないのではないかいう気がして、切ないような、恐いような、理由がわからないまま足がすくんで、しばらくどきどきしたまま動けなかった。‘Blacky’ の件を聞いたときはどうしようかと思ったが、同じところで同じ恐怖を味わったと聞いてちょっと親近感が湧いた。飾りっ気のない人で、化粧っ気もない。後の就職活動中に大阪梅田地下街の化粧品セールスのお姐さんにどスッピンを見咎められ、とっ捕まって散々怒られた挙句、その場で就活用のメイクを施されたという。でも『やり方覚えてない』のでその後もスッピンで会社訪問を続けた豪の者である(これがまかり通ったのが『完全売手市場』といわれたバブル最盛期の就職戦線なのであった)。何かを説明するときの形容のしかた、言葉の選び方が巧い。好みの酒肴も合うことがわかって、京都在住歴の長い会津さんにいろいろと案内してもらうことになる。
「普通に歩いてたらわかんないお店だよ」と教えてもらった。東大路通の西側、四条通から少し上ったところに『祇園会館』がある。二タイトル上映で入れ替えなし、中途退場自由という豪儀な名画座で、和洋を問わず幅広いジャンルを上映し、11月には『祇園をどり』の会場となる。南側の細い通りをはさんだ『光陽亭』はカレーととんかつがおいしい。東大路通に面した光陽亭の裏手にその通りと四条通の間をつなぐ路地があり、東側の建物の壁に柱時計がいくつも掛かっていて、そこが『山口大亭』の入り口になる。さすがにわかりづらいためか、いつの間にやら四条通側の路地の入り口に『←山口大亭』のプラカードを持ったおじさんが立つようになった。京の『おばんざい』をいろいろと楽しめる店で、メニューの幅が広い。ここで『鱧おとし』を初めて食べた。皮一枚をのこして等間隔に包丁を入れて『骨きり』をしてから湯引きした鱧の身はくるくるとまるまって、切られた身が開いたようになる。それを冷水で冷やして山葵醤油か梅肉で食べる。おいしいかというと、おいしいのか?魚の身そのものが旨いというのではない。冷水でしめてあるので口に入れるとひんやりと冷たい。口に入れた途端に梅肉の酸味で舌の付け根の両脇からつばが『ちゅっ』と出てくる。ぱらっと開いた身のほうがほろほろとした舌触で、口の中でもてあそんでから冷酒を含むといかにも『夏を喰った』という感じがする。いろんな人といろんな時期に行っていろんなものを食べたけれど、この感覚を一番好いているかもしれない。毎年寒くなると『来シーズンこそは』と思うのだが、夏の忙しさにかまけて長い間一度も夏を喰らってない。
*参考:嵐電HP http://randen.keifuku.co.jp/