センター突破 これだけはやっとけ 鳥取の受験生のための塾・予備校 あすなろブログ

鳥取の受験生のための塾・予備校  あすなろ予備校の講師が、高校・大学受験に向けてメッセージを送るブログです。

関関同立 入試説明会1

2012-06-30 17:21:06 | 大学入試
うっとおしくて蒸し暑い、梅雨ですね!
谷川は結構、梅雨が好きだったりします!!
夏が待ち遠しいし、なんかどよんとしたよどんだ空気が好きなんですよ
(谷川の人間の暗さがよく出テイマスネ
みなさんは、梅雨は好きですか?


さてさて、今日は立命館大学と関西大学の入試説明会がありました!
外部講師を招いての説明会なので、新鮮な感じで話も聞けたかな?


お話の中で印象的だったのが、関西大学さんの
学生の4極化」のお話しです。
大学に入って勉強する学生と、そうでない学生との差が激しいというお話なのですが、
言われなくても自分で見つける 大学の枠を超えて自分で動ける
大学の用意したプログラムを積極的に活用して人間力を高める
言われてやっと動く
言われても動かない

の4つに分かれるそう。
あくまでも担当者さんの感覚でのお話なんですが、谷川も似たように感じます。
何とかして①の言われなくても自分で見つける の仲間入りをしたいんですけど、
そのためには②の大学の用意したプログラムを積極的に活用したいところです。


次週は関西学院・同志社大学の説明会があります。
こちらもこうご期待!!
完成画学院大学が11:00~12:30
同志社大学が13:30~15:00
になりますので、お見逃しにならないようにご注意を!!
  

関関同立 入試説明会 開催!

2012-06-16 21:35:40 | 大学入試
最近、お休みの日もパソコンと格闘している谷川です、コンニチハ(*´∀`*)

さてさて、
タイトルにもあるとおり今年も私立大学入試説明会の開催が決定しましたので、お知らせいたします。

夏は関西の私大がアツい!
ということで、各大学の入試担当の方にお越しいただいて、各大学の特色や最新の入試動向、入試突破のための傾向と対策を存分にお話しいただきます。
毎年ここだけでしか聞けないマル秘情報満載!
過去のお話では入試問題の実際の配点や、「コレだけは完成させておけ!」という情報をお話していただきました。

日程は以下の通りになります。

_____________________________

6月30日(土) 11:00~12:30 立命館大学
6月30日(土) 13:30~15:00 関西大学
7月7日(土)  11:00~12:30 関西学院大学
7月7日(土)  13:30~15:00 同志社大学

_____________________________

各大学とも1時間の全体説明・30分程度の個別相談会の実施を予定していますので、日頃の疑問を思い切りぶつけてスッキリさせてください。


詳しい情報・参加お申し込みはコチラ↓↓↓
http://www.asunaro-yobiko.com/seminar/h3.html
をご覧ください!

皆さんの参加をお待ちしています!!


説明会が終わった後はいよいよ受験の天王山、夏期講座もスタートします。
夏をうまく乗り切れるよう、今のうちに情報収集してください!



がんばれ、受験生!!

あおくさいはなし

2012-06-16 00:00:00 | 洛中洛外野放図
 不可解な写真がある。なにも「写っては不可ないモノが写っている」とかいうのではなく何の変哲もない極普通のスナップ写真なのだが、写っている人物の取り合わせが妙ちくりんなのである。

 下宿近所のお寺の境内にあったジャングルジムに絡みついて会津さん、古邑さん、佐宗さん、松田が写っている。不可解なのはそのシャッターを切った人物、なのだ。そのほか会津さんと並んで立っている松田、ジャングルジムから転げ落ちそうになっている古邑さん、野良猫を抱く松田、カメラに向かって中指をおったてている佐宗さんの横でこらこら、という表情をしている会津さん、の写真に混じって『てんちゃん』の佇む姿や会津さんと喋りながら笑っているところの写真があり、最初のジャングルジムに絡みついた面面の松田と『てんちゃん』の交替した写真がある。

 『てんちゃん』こと柳本さんは松田の1年後輩にあたる眼のくりくりとした小柄な女の子で、典子(のりこ)という名前から『てんこ』、そこから『てんちゃん』と呼ばれている。付き合いのいい人で住んでいるところもさほど離れてないこともあって、松田の下宿で呑むときはちょこちょこと顔を見せていた。上の写真に写っている服装からすると季節はどうやら秋らしくて、ということは会津さんの就職活動も終わった後らしい。来る者拒まず須(すべか)らく皆呑み友達な松田の下宿を接点として説明はつくのだけれど、卒業を控えた会津さんの同期、その下の古邑さんの同期とそのまた下の松田の同期という三期の取り合わせ、あるいは古邑さんの同期とその下の松田の同期、そのまた下の典ちゃんの同期という三期の取り合わせで呑むことは多かったのだが、会津さんと典ちゃん、松田の下宿でもあまり絡むことのない4回生と1回生の取り合わせが妙といえば妙なのである。けれども写真の中では皆違和感なく上機嫌でいる。

 その写真の日付から随分と経ったある土曜日のこと、すでに卒業して名古屋で働いている古邑さんから電話があった。京都駅のホームからかけているというその後ろで、駅の喧騒にまぎれて

「あーんたまどーこかけとんのはよしやーてー」

という女性の声が聞こえた。それ以前に結婚を決めたということは知らされていたのでおそらくその人だろうとは思ったけれど、言っている内容がわからない。のちに名古屋弁を解する識者に訊くところによると『あなた、どこに電話をかけているのですか、早く済ませてくださいね』というほどの意味らしい。電話の用向きはやはり婚約者と一緒に京都にやってきた、ついては一緒に食事でもどうだ、というもので、けれども古邑さんの奥さんに初めてお目にかかったのはお二人の結婚式でのことだから、そのときは何か差し支えがあったのだろう。とはいえ京都に着いた途端、一番に連絡してくれたのは嬉しいことである。

 おそらくその当時大阪にいた会津さんや佐宗さんとお祝いをしたことだと思うが、そのおめでたい宴に同席できなかったことを悔やみながらご丁寧にも「じゃぁ帰るわ」という電話をもらった翌日曜日の日もとっぷりと暮れた頃電話がかかってきた。出てみると典ちゃんだったのだが、彼女は
「古邑さんがね」
と言うなり泣き始め、そのまま嗚咽になって言葉にならない。受けたこちらはただおろおろするばかりである。何だ何だ何だ? こんな良いコを泣かすとは、何をしやがったんやあのおっさんは!
なにしろ泣いてばかりで埒があかない。それでもどうにか落ち着いて「ごめんなさい」という。謝られてもしょうがない。しょうがないけれど、突っぱねる訳にもいくまい。どうしたん? と尋ねると「いろいろ話をしたいのでお酒を飲みませんか」と言う。それは構わんけど、呑みに来られる?

 電話の前にも泣いていたそうで、泣き腫らした目で出かけたくないけど話をしたいから呑みに来ませんかという。お酒のあるところに出かけていくのは望むところで吝かでないので出かけることにしたが、彼女の住んでいるアパートの大まかな位置は知っていたけれど行ったことがない。近所まで行って電話をかけて迎えに来てもらった。

 簡単に作ってくれた料理を当てに缶ビールを一本ずつ、飲みながらまず「松田さんは知ってたんですか」と聞かれた。古邑さんがまだ学生だった頃、古邑さんによく懐いていた典ちゃんは事前に婚約のことを聞かされておらず、何の心の準備もないままいきなり婚約者を伴ってやって来られて「びっくりした」のだそうだ。自分の大事に思っているいろいろなことが自分の知らないところで様変わりしていくのが置いてきぼりにされているようにも感じられて、どうしようもなく寂しくなってしまった、というやけに青臭い話の途中でビールが空いて、途中のコンビニで買ってきたワインを開けて、ワインも空いて、もうおつもりかと思っていたらちょっと待ってくださいね、と言う。そう言いながらカナディアン・クラブを出してきた。このコはひとりでこんな物を呑んでんのか? 前日古邑さんの婚約を聞かされたとき、よく一緒に呑んでいた松田の下宿で祝杯をあげようと思って買ってきたのだそうだ。だから日曜日松田の下宿に持参して呑むつもりでいたけれど、せめて直接来る前に教えといて欲しかったと思ったら上記の考えに囚われてどうしようもなくなってしまったらしい。そう言ってほぼストレートに近いカナディアン・クラブを舐めながら「子どもみたいなことを言ってごめんなさい」と言う。自覚があるならいいですよ、なにも謝ることはない。どうしようもないものはどうしようもないんだから。そんな様子もかわいらしい。それから改めてお祝いの乾杯をして、明け方に気づいたらテーブルに突っ伏していた。クッションの上に眠っている典ちゃんに自分の羽織ってきたジャケットを着せ掛けてある。そのままそっとしといて帰ろうか、でもその前に、と換気扇の下で煙草を一服。していると典ちゃんも目を覚ました。淹れてもらった紅茶を飲んで、もう大丈夫と言う笑顔に見送られて下宿に帰るともう疲労困憊である。月曜だというのに授業にも出ず暗くなるまで泥のように眠りこけた。

 そんな風な思い人のあるのも、そんな風に思ってくれる人があるのも幸せなことだろう。まったく、典ちゃんは人騒がせな幸せ者で、古邑さんは罪作りな幸せ者で、いや、はや、なんとも。

飄然自若

2012-06-15 15:04:25 | 洛中洛外野放図
 千鳥格子のジャケットの胸元に鼈甲のループタイ、ジャケットと同系色のハンチングをかぶってピシッとプレスの効いたパンツに磨き上げた赤茶の牛革の靴を履いて、竹のステッキを小脇に抱え込んで少し早足に矍鑠と闊歩する。商都大阪で文具店を営んでいた弥乃輔(やのすけ)爺さんである。いつだって外出時の身なりには気を使う弥乃輔爺さんはジャケットのことを「ジャケツ」と云う。若いころは京阪神の繁華なあたりで「ブイブイ」いわせていた『モボ』だったとも聞く。細かい関係はわからないがとにかく親類にあたって、小さいころからよくかわいがってもらっていた。

 幼稚園に上がるか上がらないか、はっきりとしないがまだほんの小さかった頃。その当時アーモンドチョコを食べたことも見たこともなかった。爺さんのところに行くと口の中で何かをオネオネと舐っている。それは何だと尋ねても質問に答える代わりにチョコの箱を指差したなりこちらの顔を見据えながら暫くの間オネオネオネオネ、『お!』という顔をして口から何かを取り出した。当時の自分にとってはチョコはチョコ、中までチョコの塊で、中にチョコ以外のものが入っているなど思いもよらない。
「チョコのタネや」
そう言ってニヤッと笑って見せる。「わ!」そのままちり紙に包んでもらったのを後生大事に自宅に持ち帰って庭に植えた。毎朝水をやり、それは一生懸命に世話をしたものである。なのに一向に芽を出さない。当たり前だ、チョコレートの中に封入された加工済みのアーモンドが芽吹くほうがどうかしている。毎年秋には鳥取の梨を送っていたのだが、そのお礼の電話がかかってきたときに「おじいちゃん、芽が出ん」と訴えてみた。そのときに真相を知らされて泣き寝入りした。しょっちゅう大阪に行っていろんなところに連れて行ってもらって、いろんなことをしている写真も残っているのだが、小学校の低学年くらいまでの大阪にまつわる記憶はそれだけしか残っていない。

 大学に入って京都に住むようになり、最初の夏休みが始まって帰省する前、その時期は弥乃輔爺さんの最晩年にあたるのだけれど、ちょっと顔を出してみた。訪ねていったのがお昼前で、爺さんはステテコ姿で昼寝をしていた。一歩家を出るときはいくら暑くても必ずジャケツを着込んで出かける洒落者だが、自宅待機中はラフな格好で快適に過ごすようである。よくきたねぇ、と迎えてくれたおばさん、弥乃輔爺さんにとっては長男の嫁、によるとほんの数日前隣家の玄関を開けて「ただいまぁ」と声をかけたのだそうで、そこの若奥さんが「え? 隣のお爺ちゃん…」と驚いている様子を見て楽しそうに「いや大丈夫大丈夫、ちゃんとわかってるがナ」と言い残して帰宅したという。隣の奥さんからその話を聞いてどうしてそんなことをするかと詰問したところ、しれっと「いつボケたかわからんようにしたろ思て」と言ってのけたらしい。いかにも爺さんらしいと笑っていると「たまにやったらええケド、こんなん毎日やったらたまらんよぉ」と深い息をつく。

「よぉ来たな」

「久しぶりやし、晩御飯食べてゆっくりしていきぃ」と楽しそうに言ってくれているおばさんの横手から弥乃輔爺さんが入ってきた。すでに外出用の身なりを整えている。

「あれ、お爺ちゃんどっか行かはんの」
「うん、ちょっとこいつと蕎麦食い行こか思てな、昼はそれで済ませるわ」

あんまり過ぎたらあかんよぉ、と送り出され、千鳥格子のジャケツの胸元に鼈甲のループタイ、ジャケツと同系色のハンチングをかぶってピシッとプレスの効いたパンツに磨き上げた赤茶の牛革の靴を履いて、竹のステッキを小脇に抱え込んで少し早足に矍鑠と闊歩する。途中で行き交う顔見知りと一言二言声を掛け合い、古い蕎麦屋の暖簾を潜る。「おぉ、爺ちゃん毎度」という若い大将のお愛想に「ご機嫌さん、邪魔すんでぇ」と答えて衝立に隠れたテーブル席に座る。
「お銚子、こそばそか」
席に着くなりにんまりとこう切り出した。「何だそれ」と尋ね終わらないうちにカウンターの向こうに「お、一本付けたってぇ」と声をかけた。天ざるの台抜きに出汁巻と板わさ、それをつまみに燗酒を煽る。「かーっ、昼間の酒は効っきょんなぁ!」カウンターに知り合いらしいおじさんが座っていて、「弥乃さん、こんな孫おったんかいな」「あぁ、孫ちがう、弟子みたいなもんやな」弟子入りした覚えはないのだが。

 一合徳利で三本、酔うというほどでもなくちょうどふわっとなりかけた好い頃合いで盛りを一枚。「ほななぁ」と言って店を出るとちょっと足元がおぼつかなくなっている。相当の酒豪だと話には聞いていたのだけれど、寄る年波というやつだろう。来しなには小脇に抱えていたステッキを突き突き気持ちよさそうに揺らぎながら歩いている。途中の酒屋に寄って店主と二言三言、奥に引っ込んだ店主が持ってきた酒を買って「これ旨いんやでぇ」と嬉しそうである。

 帰って上着を脱ぐなり大の字になってそのままゴワゴワと高鼾。おばさんはタオルケットを掛けながら「こんなに酔うのん珍しいネェ」と言ってもうすぐみんな帰ってくるから、軽く汗流しといで、と浴衣を出してくれた。シャワーを借りて爺さんの寝顔を眺めつつ出された麦茶で涼んでいるとおじさんと短大に通う孫娘も帰ってきた。「久しぶりやねぇ」起きだしてきた弥乃輔爺さんも加わって酒盛りが始まって、おじさんによると爺さんは「ここ何年かついぞなかった」というほどたくさん量を過ごしている。結局何時にどうなったかわからないけれど、目が覚めたら明るくなっていて全員が軽い頭痛を抱えつつおかゆをすすった。

 結局弥乃輔爺さんとはそれが最後になってしまったけれど、後におじさんとおばさんから「あの時はよっぽど嬉しかったんやねぇ」と言ってもらって、そう言ってもらったのが嬉しかった。

 せめて大学を卒業するまでは旨いお酒を一緒に酌み交わしたかったのだけど、わが師と仰ぎたくなるような、飄然とした生きざまのなんとも素敵な爺さんでした。

陽の思い出 ~屋上にて~

2012-06-07 12:36:06 | 洛中洛外野放図
「屋上行こうか」
「いいですねぇ」

 天気がいいとこういうことになる。大学の南門を出たところに食堂があって、そこでビールを買い込んで、日光をさえぎるもののない屋上のベンチで日焼けなんぞはものともせずに一身に陽を浴びながらぱかぱかと煙草をふかして京都の町並みを見下ろしている。会津さんと屋上に出てのんびりと話す話題はといえば大概気に入った飲み物、飲み屋、雑貨屋、本屋などの情報交換、そうでなければこの後誰と呑むのか、どこへ行くのか、という話。ほぼ同じような面子がほぼ隔日で呑んでいたのでお酒の記憶は1回ごとのけじめがつかない。身体的にも金銭的にもよくぞ続いたものであるが、みんな不思議と持ち堪えていた。えてして社会人よりも学生の方が体力とお金を持っている。

「酒呑むときにモノ食うな、アホっ!」

 とは松須御大の有難い教えである。かく言う御大は「酒呑む30分前に牛乳飲んどいたら胃ィに膜が貼んねん、そしたら酔わへんど」と言いながらブリックパックの牛乳を飲んでいる。その本人が毎回きっちり酔っているからなんら効き目のないのは一目瞭然なのだけれど、魔が差したというか自分を見失ったというか「お前もやってみぃ、効くどぉ」と言われて試してみたらただただ気持ちが悪いだけだった。そのほか「電気風呂の電気に当たっとったら腹筋が鍛えられる」だの「風呂屋のサウナで出たり入ったり2時間過ごしたら2.5キロ痩せた」だのと妙なことをいろいろと実践しており、周囲は「そんなに生き急がんでも...」と気をもむのであった。そうかと思うと誰かの下宿で飲んでいるとき誰かが料理を作ったりするとうまいうまいとたくさん食べる、その気遣いが温かくて、やはり普段の豪放な暮らしっぷりも周りに対するサービスなのだろうとわかるから周囲も『荒ぶる』松須さんを心待ちにしている。

「お前いーっつもそやないか、頼むだけ頼んどいてちょーっとずつしか箸付けへん」

 石地さんが言うとおり、居酒屋で仁多苑さんと同席すると5品も6品もあてが並んでテーブルが手狭になる。「せやかて食べたいモンはしゃぁないやんか」ニコニコと応酬する仁多苑さんは法学部に籍を置いていて、専門的な知識が深い。レポートを書く際幾度かアドバイスをいただいてその片鱗に触れてみると仁多苑さんと同期の先輩たちが一目置くのにも納得がいく。のだが。「お、松田、食ってくれ。食わな片付かへんねん」って、自分が頼まはったんやないですか。「いや俺なぁ、いろんなもんちょこっとずつ食いたいねんなぁ、あんまりよけこと要らへんねん」周りみな下宿生でっせ、んなムチャな頼み方しとくんなはんな。そんな仁多苑さんのことを松須さんは『らくだ』と呼ぶ。ときには『だ』までいかずに「おぉい、らくぅ!」と呼びつけにすることもある。会津さんからは「らくちゃん」と呼ばれ、綿部さんからたまに「らくぞの」と呼ばれることもある。けっこう手ひどいいじられ方をしているように見受けられることもあったのだけれど、それでもいつもニコニコと幸せそうなところはやはり大人(たいじん)なのであろう。

「歯がなんか気持ち悪いときがあるだろぉ」

 あるとき呑みながら綿部さんがこう言い出した。はぁ?「だから歯が気持ち悪いときだよ、歯が浮くっつうのか?」あー、はいはい。「紙やすりかけたら気持ちいいよなぁ」-え?「かけないか?」困っていると石地さんが突っ込みを入れた。「まず普通紙やすり自体持ってないだろ」「えー、あるだろぉ?松田まつだぁ、出してこいつに見せてやれよ」いや持ってませんが。「えー、ないのかぁ」普通に考えると普通ではないこのような会話も綿部さんが相手だとしっくりくる。このどこか浮世離れしている、というか地に足の着いてないようなほんわかした存在感を纏(まと)って救いようのないほどの安心感を醸し出している。

「そーだー」「ぷっしゅうー!」

 酔った宇津平さんと寝落ちしかけている古邑さんとの間でわけのわからないやり取りが交わされた。あっけに取られて見ていると古邑さんがむっくりと起き上がった。「おー、寝かけとったわ」「コレやったらこいつ起きて来よんねん」今の何です?「去年こいつな、水色のジャケット着て来ててん」「そうそう、ソーダ味のアイスみたいな色のやつ着てたんよ」「せやから『ソーダー』いうたら」「ぷっ、しゅうう~!」「タンサンはじけんねん」くだらねぇ!宇津平さんは根っからの大阪の人で、目敏く細細とした突込みどころを見つけてはちょかちょかと突っついてまわることと、ふとした隙にさりげなく小ボケをかますことに余念がない。古邑さんは九州男児なのだが言動の端端にお人柄の好さがにじみ出ているような人、どちらかというと先輩や同期からいじられる方なのだが仁多苑さんと同様それ込みで場を楽しんでいるようなところがある。そんな二人のホドのよい絡み具合を見ていると、くだらなすぎて愛おしい。

 鞍多や栄地と出会う少し前のこと、夏を迎える直前の屋上でぽかぽかと陽を浴びながら誰と呑もうか、どこへ行こうか。話し合ってみたところで石地さんは最初から確定しており、大方上記の面子と大学近辺の居酒屋に行って、それとて選択肢は多くない。そのあとは石地さんのアパートか松田の下宿と相場は決まっていた。会津さんは早くも居酒屋を出た後二次会に向かう途中で買っていく酒の吟味を始めている。

番外編 ほぼ40回記念 近況版

2012-06-04 19:28:23 | 洛中洛外野放図
「今中央改札口を出ました」
「私もその前にいるよ、あ、松田見えた」

 今回はすんなりとお互いを見つけることができた。一年前は季節外れの台風で大変な雨の中だったけれど、今回は抜けるような青空に京都タワーの白が眩しく映えている。

「なんかそこのパン屋さんで出来立てのパンがいーぃ匂いでさ、すでに買っちゃったよ」

 会津さんと「17:30りゅうせん」の前に散策の約束はできている。ところが社会人なのに晩のお酒以外あまりお金を使う気がない二人の間では、天気が好ければサンドイッチか何かを買って鴨の川原でアウトドアランチな打ち合わせも済んでいた。揃って予約してあるホテルは四条通に面しており、チェックインは午後2時からなのでまだ先である。まずは身軽になろうと地下鉄烏丸線で四条まで、烏丸通のずっと西にあるホテルで荷物を預け、パンを持って四条通を後戻りした。出て直ぐのところに小さな酒屋があって、ビールを買って更に東へ向かって行くのだが四条通は人通りが多くて思うように進めない。ようやく河原町通にたどり着いて信号待ちをしているときのこと。
「地球屋ってまだあるかな」「行ってみましょうか」
ということになって河原町通りの東岸に渡ってから南へ、三筋目を東に折れるとシャンソニエ巴里野郎の看板をみつけた、その向こう。
「あー、あるよ」「ありましたねぇ」「まだあの『すッポーン』てのやってんのかな」
居酒屋『地球屋』の大将の栓抜きパフォーマンスのことを言っている。瓶ビールを頼むと灰皿だとか割り箸で栓を抜いて見せてくれていたのである。だけどそれはもう20年も前の話なので…そのまま道なりに南に折れると二人とも気に入ってよく通った店の懐かしい赤い看板は色褪せて白っぽくなっているけれど、どうやら営業はしている様子。「懐かしいネェ」そう言いながらその直ぐ脇の公園から川原へと降りる。四条通の南側、鴨川にはジグザグにロープが渡してあって、目立たない掲示をみると稚鮎を放流してあるので川鵜よけのために張っているのだとある。
「これじゃ大学生渡れないよ」
河原町周辺の繁華な界隈で新歓コンパをやると、鴨川を歩いて渡るのが新入生の通過儀礼だった。そこでかの松須さんは「ワシは『屋島の海坊主』と呼ばれた男や!」と叫びながらひざほどの深さしかないところでのたうっていたらしい。そのときかどうかわからないが同じく新歓コンパ後の鴨川でのひと暴れで仁多苑さんの首の皮が千切れたとも聞く。武勇伝にはコト欠かないのである。
 サンドイッチと缶ビールでお昼を取りながら、ちょうど南北の位置は合っていたのでかの『縁切り』安井金比羅宮へ行って見ることに。正面の鳥居は東大路通に面しているがそこまでは行かず、四条の一筋南の橋を渡って東に進むと場外馬券売り場に突き当たる。そこを南に折れて東に曲ったところにある脇の鳥居から入ると相も変わらず「○○との縁が切れますように」だとか「△△と二度と関わりませんように」だとか、更には再現するのも憚られるほどえげつない内容の絵馬も連なっている。あろうことか修学旅行の中学生に対して年配の引率者が一枚ずつ手にとって解説を加えているではないか。いいのか?というこちらの心配を他所に中学生も楽しんでいるようではあるが。
 金比羅宮横の小ぢんまりとしたギャラリーに猫のイラストを見つけて入ってみると、毎年GW前後に猫をモチーフとする作家の作品を集めて『猫祭り』なるものをやっているらしい。今年は前の週の週末に終わったのだそうで、それでも猫グッズは充実していた。二人揃って家猫オーナーなので猫モノには目がない。あれこれと物色してそこそこに満足してから店を出た。にしても、暑い。チェックインのできる時間になったのでひとまずホテルに戻ることにして、だけども歩きにくい四条通はもう嫌だ、南の綾小路通から仏光寺通を行ったり来たりしながら西へと向かった。西洞院通と綾小路通の交差点で信号待ちをしていると「お!」という声が聞こえた。こんなところで知り合いに会うなどと思ってもいないので自分たちに声がかけられているという頭は微塵もなかったのだが、ふと会津さんが後ろを向いた。
「あぁっ!ポチ!!」「うーす」「え!」
ちなみに最初のが会津さん、最後のは松田である。最初の会津さんの言葉に驚いて振り向くと古邑さんがニコニコと立っている。もう高1になる娘さんを持つ40過ぎのいいお父さんに向かって『ポチ』もないものだが、双方それでいいらしい。
「こんなところで何しとん?」
それはこっちの科白です。聞けば大学に行った後学生時分の下宿に行って大家さんに挨拶をしてきたそうで。「やっぱりみんなやること一緒だねぇ」ねぇ。これからホテルにチェックインするという古邑さんと16:45に嵐電四条大宮駅前で落ち合うことにして分かれた。「暑い」「喉渇いた」「足だるい」カンカン照りの中結構な距離を歩きまわった挙句の三重苦である。辛抱たまらずホテル横のコンビニで500mlの缶酎ハイを一本ずつ買ってからチェックインをした。約束の時間までまだあるが、もう歩きたくない。エアコンの効いた涼しい部屋で酎ハイを呑みながらしばしご歓談。

 ホテルが思いのほか西に寄っていたので待ち合わせの嵐電四条大宮駅に着いたのはかなり早い時間だったが、愚にもつかない会話をしているうちに古邑さん着、発車寸前の電車に乗り込んだ。今は運賃が全線一律200円になって一部駅名も変わっている。それでも沿線の風景には馴染みもあり、三人して何だかんだと喋りながら以前は竜安寺道という名前だった北野線龍安寺駅まで。その直ぐ裏手にりゅうせんがある。とはいえかなり早い。時間つぶしに大学近くまで一回りして戻ってみると女将さんが店の表に出てくれていて、挨拶を交わして少し早いが中で待たせてもらうことにした。一年前と同様幹事役の石地さんはもう約束の時間になろうかというのに姿を見せない。律義者の石地さんにしては珍しいと話していると、時間通りに「あぁ、すいませーん」と言いながら宝饒さんが入ってきた。「なんかイキナリ遅いって怒られたやんけ」表に出ていた女将さんにからかわれたらしいが、相変わらずちょっと急いだような口調の吸い込まれそうな笑顔に嬉しくなる。
「石地さん15分くらい遅れるって」
待てども来ない石地さんと電話でやり取りをした古邑さんのひと言をきっかけに、先にはじめておくことにした。ひとまず四人で乾杯を済ませて喋っていると仁多苑さん、石地さんと入ってきた、かと思ったら石地さんは後ろを向いてなにやら声をかけている。するとのそぉっと栄地が姿を見せた。三人は白梅町駅からたまたま同じ電車に乗り合わせていたらしい。佐宗さんは二次会から参加予定なので、これでようやく一次会の出席者が揃ったことになる。入り口と奥を結ぶ方向に長い楕円形のテーブルに、入り口を背にして松田、そこから時計回りにカウンターを背にして栄地、古邑さん、奥側の壁を背に石地さん、宝饒さん、カウンターに向き合う形で仁多苑さんと並び、会津さんは松田の右隣の席についた。今にして思えばこの席順も一考を要するものであったようなのだが、ともかく改めて一次会の開宴である。

「石地に写真見してもらってたけど、なんやお前エラい変わりようやな」と仁多苑さんを見た宝饒さんが爆笑している。「俺らは去年見てもう慣れとるけどやな、お前実物初めてやからびっくりするやろ」と石地さんの言うとおり一年前に再会したときにあらかじめ驚いてあるのだが、仁多苑さんは以前と比べて別人と言っていいほど恰幅がよくなり頭もグレーになっている。「でも今日赤いラガーシャツじゃないじゃん」「いや着て来よか思てんけどな、今日暑かってん」と会津さんと仁多苑さんがやり取りしている横で宝饒さんは文字通り『腹を抱えて』身をよじっている。それもようやく落ち着いたと思ったら、何か言葉を交わそうと仁多苑さんの顔を見るとまた止まらなくなった。何がツボだったのか、笑いすぎです。それもどうにか治まりお酒も回り、ひとしきりこの場にいない人たちの消息についてあれこれ喋っていると来年はちゃんと鞍多をつれて来い、ということになった。そりゃ声はかけますけど。おれの係か?その中の松須さんのくだりで栄地がボソッとつぶやいた。「でもまぁ、死んではりませんよねぇ」多分近い席にいた松田と会津さんにしか聞こえてないが、ヒット・アンド・アウェイ方式で辛辣なコメントをさせるとピカ一である。
 いつのまにやら「焼酎をソーダで割ってレモンを搾ったやつ」の注文が始まっており、燗徳利が林立し焼酎ロック/水割りのジョッキも並んでいる。各自思い思いの酒を呑み思い思いに喋っているが、店内で一番声がでかい。その喧騒の中で『らくだ』と『ポチ』のあだ名の由来も語られたはずなのだが、すでに忘却の彼方である。「何であんたに頭はたかれなきゃなんないんだよ!」と言いながら会津さんが仁多苑さんの頭をはたいている。今グーでイってなかったか?40代子持ちの呑み方とも思われないが、次回は二人とも手の届かない席に着いてもらいましょう。

 それでもどうやら「りゅうせん」での一次会も大団円を向かえ、一年前と同様タクシー2台に分乗して三条木屋町へと向かう。前回とは打って変わってシャキシャキしている会津さん、仁多苑さんと一緒に乗ることになった。二人は後部座席で硬軟織り交ぜた話題で喧喧諤諤、蚊帳の外に置かれた松田が運転手とやり取りしていると時折「なぁ、松田」と声をかけられる。そう振られても対処できませんがな。目的地についてタクシーを降りても言い合いは続いており、石地さんは誰にともなくこうつぶやいた。「せやからあいつらに一緒に乗んなて言ったんやて」

 二次会の店も一年前と同じで、前回は飛込みだったが今回は辣腕幹事石地氏によってすでに掘り炬燵式の座敷が取ってあった。そこからは佐宗さんも合流、これで全員揃うはずだったのだが宝饒さんの姿が見えない。あとで石地さんに聞いたところによると「ちょっと風に当たってくる」と言い残して連絡が取れなくなり、そのままホテルに帰られたらしい。実は一次会で結構なペースで熱燗を勧めていたのは松田なのである。申し訳ないことをした。店に入るなり座敷の奥の席に仁多苑さんと会津さんが向かい合って座る、だから互いの手の届くところにその二人を置いては...

 案の定である。座敷の上がり口、二人から一番離れたところに松田、その左に栄地、向かいに石地さんが座ったが、奥の大きな声で会話しづらい。さながら「仁多苑・会津二人のビッグ・ショー」の様相を呈してきた。二次会から参加の佐宗さんは仁多苑さんの隣でさぞ大変だったことだろう。そんな中、グラスのつもりがジョッキで出てきた一次会での焼酎ロックに当てられたらしい栄地は少しペースが落ちていたが、古邑さんはあちこちに話を合わせながら飄飄と飲んでいる。賑賑(にぎにぎ)しくも恙(つつが)なく酒宴は進みそろそろ終電も近い時間、帰宅予定者の仁多苑さんと栄地を送り出しそれでも暫くは杯を挙げた。その静かなこと、すでに「宴のあと」といった態である。喧嘩相手がいなくなったからかまたもや会津さんは折り畳まって眠っており、そろそろお開きということになった。どこか別の場所に行くという石地さんと佐宗さんを見送って、ホテルに連れて帰ろうと思っていた会津さんが「あそこ行く」と言い出した。あんた寝てはったんと違いますの?

 「あそこ」とは昼間見た懐かしい店、和洋を問わず70年代のロックだとかブルースのアナログ盤を取り揃えてあって、好みの音楽をかけてもらってしゃべりたい放題しゃべりながらぐだぐだと時を過ごすことができる。古邑さんと三人連れ立って行くことになり、木屋町通を南下、四条通をやり過ごして船頭町のあたりで高瀬川を渡って細い路地に入る。「松田ぁ、どこ行くのぉ」って、あの店ですが、なにか。「あぁ、そうか」いつの間にやらふらつく会津さんとそれを支える古邑さんより大分先行していた。階段を上がって左手にあるはずの入り口が右側にある。ドアを開けると日本語のパンクっぽい音楽が流れており、照明は照れくさいほど明るく、カウンターの高瀬川寄りの半分を占める先客は妙に溌剌としている。通っていたのは20年ほども前のことだから変わって当たり前なのだろうけれど、あまりの様変わりに戸惑いながらカウンターに並んだ。ともあれ1杯ずつ飲み物を注文して大人しく飲んでいたが、どうもしっくりこない。「こんなでしたっけ?」「いや、違うよねぇ」という会話をしているとマスターが加わってきた。やはり階段を挟んで店舗を移したのだという。どんな音楽を聴くかと尋ねられたので、以前その店でよくかけてもらっていたアーティストを幾組か挙げてみてもどうもピンとこないらしい。トム・ウエイツの名前でようやく1枚のCDを取り出してきた。そんなことはしてもらいたくもなかったけれど、かかっているCDを止めて『土曜の夜』をかける。とたんにそれまでのどこか華やいだ雰囲気がけだるいバーのそれになるのが不思議である。どう見ても年下のマスターは40代も半ばにさしかかろうという三人組に話を合わせようとしてくれているが、なんだかつまらなくなってCDの半分も聞かないうちにグラスを乾して店を出た。「なんかあれ違うよねー」それだけ時を経ているのだろう。

 五条あたりにホテルを取っているという古邑さんと「また来年!」と約束した別れ際に「来年は鞍多を連れて来いよ」と念を押されてしまった。ういっす。河原町通まで出て、そこから堀川通の手前にあるホテルまでは少し距離がある。
「さて、どうします?」「あるく」
四条通を西へと向かって歩き出す。歩道の端には数メートルおきにアーケードを支える支柱が立っており、律儀にも会津さんはその1本ずつにぶつかりそうになって、ときにはぶつかっている。腕を取ると「だいじょうぶ、ひとりであるける」って、歩けてないでしょ?それでも無事ホテルにたどり着き、鍵を受け取っている間に会津さんの姿が見えなくなっていた。その間エントランスの自動ドアは動かなかったので建物の中には居るはずである。あちこち見回してみると、エレベーターホールにある飲み物の自販機と壁の間にすっぽりとはまり込んでいる。そこから引っ張り出してエレベーターにのせて部屋まで送り届けた。やっぱり同じホテルでよかったわ。

 翌朝も暑くなりそうな上天気となった。「いろんなとこに痣ができてる」らしい会津さんと連れ立って『千本釈迦堂』の名で親しまれる大報恩寺に行ってみることにした。ここでは所蔵する木造釈迦如来坐像、木造十大弟子立像など見ごたえのある仏像を拝観できる。四条大宮からバスに乗って千本通を北上する。途中JR二条駅の近くに、通っていた大学の新しいキャンパスができているのに驚きながら今出川通を越えて千本上立売で下車、少し迷いながら大報恩寺の境内に隣接するアパートにたどり着いた。ここはかつて石地さんの住んでいたところで、みんなで集まって酒を飲むところでもあった。会津さんは「まだあったよー」と言いながら壁面に大書してあるアパート名の写真を撮っている。機織の音こそ聞こえなかったが迷路のように入り組んだ路地を縫って寺の表へ回る。「やっぱこりゃ迷うわ」「迷うよォ、石地君ちにひとりで行けた私が偉いと思う」
拝観料を払って宝物殿へ、入った途端に二人とももう圧倒されてただ見惚れている。
「こんな凄いモンのすぐ近くで酔っ払ってたんですねぇ」
「ね、知らなかったよ。ここ大根のにおいしかないもん」
大報恩寺で12月初旬に行なわれる『大根焚き』という法要では文字通り大量の大根が煮られ、この大根を食べると諸病除けになるとされる。ここに隣接するアパートに住む石地さんは毎年「部屋ん中のなんもかんもが大根臭くなる」とぼやいていた。

 寺を出て七本松通を南下し、今出川通で左に折れて千本通へ向かう。石地さんの下宿と松田の下宿の間にあたるこの辺りはかつてのナワバリのようなもので、なんだかんだと会話も弾む。千本通を中立売通まで下って樽尾を呼び出した中華飯店に入った。料理を待つ間前夜の参加者にお礼のメールを打ち、鞍多に写真と来年は是非にとのメッセージを送る。会津さんは写真をチェックしながら「おっさんばっかり」とつぶやいた。そりゃそうだ、唯一の女性がシャッターを切っているのだから、写るのはおっさんばっかりである。それから老舗の味に舌鼓を打ちつつ写真に笑い、くちくなったお腹を抱えて京都駅行きのバスに乗り込んだ。暫く乗っているうちに会津さんは眠っていた。

 午後早い時間の新幹線で帰って行く会津さんを見送って、自分の乗る列車の時間まで駅周辺をぶらついていると石地さんからメールが届いた。

『どうも。お疲れさまでした。/前回同様、なぜか二次会は荒れ模様ですなぁ。』


 思わずふきだしてしまった。
 まったくもってそうですね、来年はどうなることやら…きっともっと、楽しくなるんだろう。