センター突破 これだけはやっとけ 鳥取の受験生のための塾・予備校 あすなろブログ

鳥取の受験生のための塾・予備校  あすなろ予備校の講師が、高校・大学受験に向けてメッセージを送るブログです。

ばかなおとこ

2011-05-13 12:28:05 | 洛中洛外野放図
 先輩からこんな話を聞いた。
 天気のいい日に自転車に乗って丸太町通りを一路西へ、午後の陽を浴びて京都御苑のベンチでゆっくりと読書をしていると、少し年上と思われる男が声をかけてきた。「京都大学で数学を専攻している」ところから自己紹介が始まり、数学という学問について、自身の研究テーマについて、一生懸命に説明されたのだという。聞いていても訳がわからないし、本を読みながら適当にあしらっていたら、名前よりも先に住所を聞かれた。なんだろうと思っていると文通をしてくれと言われて、気持ち悪いし気分も悪い、こう言ってその場を去ったそうだ。
「日暮れが美しいから帰ります」

 後輩からこんな話を聞いた。
 友達とふたり、京都御苑でのんびりと喋っていたときのこと、ジャージ姿の男が現れて「自分は同志社大学のアメフト部の者である、今から腹筋のトレーニングをしたいので、足の上に乗って押さえてほしい」ということを言ってきた。友達とふたり恐くなって逃げ帰って来たのだという。

 この違いである。ナンパ(なのか?)のあしらい方ひとつ取ってみても「日暮れが美しいから帰ります」という美しくも決然としたフレーズを残して去ることができるのと、ただうろたえて逃げ出すことしかできないのと、ここに大きく了見の差が出てしまう。3年間の経験値の差は大きい。

 同期からこんな話を聞いた。
 バイト先のエライさんがスケベったらしいヒヒ爺ぃで、なんだかんだと贈り物をちらつかせて言い寄ってくる。同じ専攻で同じ授業を取っているどっかの社長のボンが、親の金にあかせて贈り物をちらつかせて言い寄ってくる。付き合っている彼氏は一生懸命バイトをしていて、誕生日に何かプレゼントを買ってあげたいと言ってくる。そこで一計を案じ、3人にとある高級ブランドの腕時計がほしいと言い、その上で希望の商品に印をつけたカタログを一部ずつ渡したのだという。手元に全く同じ腕時計が三つ、ヒヒ爺ぃとヘナチョコぼんぼんはまだしも、一生懸命バイトをしている彼氏の稼ぎには限界がある。「だからロレックスはやめといた」という気遣い(?)を見せながら、そのうちの二つを売り飛ばし、「会うときに残ったひとつをつけてたらみんな自分が贈ったもんだと思うでしょ」。

「残してるのは彼氏にもらった分だよ」と嘯(うそぶ)いてはいるが、何のフォローにもなりはしない。ナンパどころか男のあしらい方の発想そのものがバブリーな悪魔の所業である。それはないだろうと思ったが、珍しく居酒屋でおごってもらった分がそのときの「売り上げ」から出ていたことを後になって聞かされ「あんたも共犯だよ」と言われた。そういわれたら、しょうがない。彼氏に悪いと思いながら、その件については口を閉ざすことにした。

かくも女はしたたかなのである。

 同じところで資材搬入のバイトをしていた髭もじゃの埴生は学外サークルで映画を撮っていた。同女だか京女だかの短大生何人かに出演してもらうことになり、その顔合わせで飲み会をするのだという。それがどうした、と思っていたら、スタッフの一部の都合が悪くなって人数が合わないので、同じバイト仲間の羽井戸くんと一緒にちょっと顔を貸してくれと言われた。もっと適任がいるだろう。「ほんでそれ、いつなん?」「今日の6時」「何ぃ?」そりゃそうだ、当日でなければほかを当たっとるわな。全部おごるから、お前ら一銭もいらんで、というひと言で折れた。

 当時祇園にインドの王様みたいな名前のディスコがあって、そこらあたりに出没する女たちはボディ・コンシャスなスーツを身にまとい、ぶっとい眉毛で背中まで伸ばしたストレートの黒髪の前髪を壁のようにおっ立てていた。身近にそんな格好をした女がいなかったので、テレビとかでは目にしたけれど、そんなのがほんとにいるのかと思っていた。羽井戸くんとふたりで教えられた待ち合わせ場所に行って見ると、そんなのがかたまってにぎやかなことになっている。いたんだ、こういうの。その真ん中に嬉しそうににやけた髭面と、見覚えのある何人かの男が立っている。その場に行って改めて場違いであることに気づく。それはいいけど、後姿が全部一緒やぞ、これ。

 結局前に回っても見分けがつかないまま連れて行かれたところはなじみの薄い甘いお酒中心の店で、チーズの盛り合わせだとかオードブルみたいな皿盛りだとかポッキーを氷の入ったグラスに突っ込んであるやつだとか、を前にして星座とか血液型とか心理テストとか、ドーでもええわ、そんなもん。居心地が悪くて適当に返事をしていたら話しかけられなくなったので、もっとこうさっぱりとしたもので冷酒でも呑んでいたい派の羽井戸くんとふたりバーボンのロックを注文して眺めていた。無論一番高いやつである。女の一人がコースターか何かでちょっと指を切ったらしく、ねぶっとったら治るわ、そんなモン。という程度でしかないのだが、埴生をはじめとした『こんなの大好き組』の男たちも一緒になって大仰に騒いでいる。
「ああん、もぅ。イタいーゆうねん、血ィ出てるぅーゆうねん、死んでまうーゆうねん」
「死んでまえ!」小声でつぶやく羽井戸くんに1票。
その後二次会にという話になったが、もう埴生への義理は果たした。これ以上いたらどうにかなりそうな気がしていたし、今にも暴れだしそうになっている羽井戸くんは極真空手の有段者で、暴れだすと恐い。ふたりで木屋町通のおでんやでじっくりと「おとこの呑み会」をした。結局どれだけ呑んだのか、気がつくと羽井戸くんの部屋にふたりでぶっ倒れていた。

 のちに現場で一緒になった埴生によると、顔合わせの飲み会のあとプールバーに行ってからカラオケに行き、撮影資金とするはずのお金の1/3以上を費やしたうえに撮影をすっぽかされ、挙句の果てには出演を断られてしまったのだという。結局そのときの企画は頓挫し、飲み会に参加しなかったスタッフからの突き上げを食らって資金調達のバイトに精を出しているのであった。

 かくも男はおろかなのである。

バブルの残してくれたもの

2011-05-12 12:26:06 | 洛中洛外野放図
 そのころは高いところが苦手というわけではなく、むしろ高いところから下を見下ろすのが好きだった。それがバブルの終焉とともに平気ではなくなってしまったのには、こういう経緯がある。

 電信柱に「家庭教師求ム」という広告が結び付けてあるのをよく見かけた。文言(もんごん)はこう続く。「但、京大、同志社院生に限る」。ご丁寧に「京大、同志社院生」の上には赤いインクも鮮やかにぐりぐりと二重丸が添えられている。京都市民の中では確固たる大学のランク付けがなされており、その厳格さは河合塾のボーダーランクの比ではない。大学への入学手続きを完了した時点で確定し、卒業しても生涯ついてまわるそれはヒエラルキーというよりも、もはやカーストである。学生は自らのカルマに応じたバイトをすることとなる。

 工事現場への資材搬入だとか片づけだとか、雑用全般を請け負う業者でバイトをしていた時期がある。業者と言ってもきちんとした企業体というわけではなく、暴走族あがりだというほぼ自称に近い社長が、つてのある大手業者から仕事を回してもらっているという感じだった。事務所として借りている町家に行くと社長のほかに経理と事務を担当しているという女性が一人きりで、応接セットと事務机が一つ、純然たる日本家屋の中で浮いて見える。おりしもバブル全盛のころで、建築業に携わる人はおしなべて羽振りがいい。いわば現場の半端仕事を請け負っているだけなのだが学生のバイトを10人近く使っている。もっとも、正社員は雇わずバイトだけだったが。建築資材の搬入が主なので、一現場あたりの実労時間は2~3時間ほど、ふたつ掛け持ちしたとしても半日もかからない。社長がいくらハネていたのか知らないが、それで手取りが現場一箇所当たり日給8千円、掛け持ちすれば当然その倍、というのだから、完全に経済観念がトチ狂っている。

 繁華な通りのおおきなビルが大規模な改修工事を行ったとき、上層階で使う内装材を屋上から搬入することになり、現場が動き出す前に作業を終わらせておくために日の出よりも早く屋上に上った。夏のことなのでかなり早い。クレーン業者を待っている間にだんだん明るくなってきて、向かいのホテルに陽が当たりはじめた。「おぉっ!」バイト仲間の峰元君が、向かいの一室を指差して「裸っ、裸!」と騒いでいる。そこにいた元受の現場監督1名、当方社長1名、バイト3名が一斉に色めき立って峰元君のもとに集まり、指差す先を凝視した。縦長の窓を額縁のようにしてベッドが納まっている。その白いシーツの上にでうつ伏せになって寝入る全裸の人。
『おっさんやん!』
いくらなんでも全裸の女がカーテンも引かずに寝ているわけがないのだが、夜中と呼んでも差し支えないほど早い時間から寝ぼけ眼で夜明け前の風に吹かれている男共が本能の赴くままに行動したとしても、誰にも責められはすまい。「アホっ!」「ボケっ!」「スカタン!!」峰元君は何も悪いことをしてないのにボロカスに言われている。「あれ、ウチのモンやで…」落胆した監督によると、皆で見つめていたフロアはほぼ工事関係者で占められているのだという。
 並んで朝日を浴びてたばこをふかしているうちに下の準備が整った。クレーンで吊り上げた資材を屋上に引き込まなければならない。暗黙の了解というか、その場の成り行きで峰元君が体を乗り出すことになった。命綱が手でも引きちぎれそうなほど心もとないものなので、その峰元君のベルトをバイトがつかみ、そのバイトのベルトをもう一人のバイトがつかみ、「おおきなかぶ」みたいになって作業が続く。このあたり、バイトが現場の中で完全に耐久消耗材と化してしまっているところもバブル騒乱の世相を反映していると言えなくもない。

「おーい、バイトくぅーん」「へ~い」「ちょっとこっち手伝(てった)ってー」「へ~い」
と、完全に『丁稚返事』をしているバイト学生は社長と正式な雇用契約を結んでいるわけではなく、明確にシフトが組まれているわけでもない。「明日いけるかぁー?」という確認の電話が入って、行けるものが行く。現場で親しくなった職人に声をかけられて別の現場に行くこともあった。融通が利くというと聞こえはいいが、要は流浪の現場人足である。

 建物外周に組まれた足場は幅50cmもない。その上を、いろんなものを持って走り回っていた。三階から0.5×3mほどの板を何枚かおろす必要があって、上から下へ手繰(たぐ)りでおろしていくことになり、三階のフロアから板を持ち出して下に差し出すポジションについた。下から思ったよりも強く引っ張られ、足場の端で踏ん張っていた靴が滑ってしまった。「えっ」と思ったときには尻を打ち、背中を擦っていた。その直後、体に何の負荷もかかってないような感じになって、何かに掴まろうにも摑むものがない。その頼りなさといったら、何にも例えようがない。
 いろんな場面が脈絡もなく浮かんできたのを覚えているが、何が浮かんできたのかはまるで覚えてない。これが『走馬灯のように』というものか、とはいえそもそも『走馬灯』がよく分からないので、その例えがふさわしいのかどうか判断できない。体感的には結構長い時間黒々とそびえる足場と、その向こうの青い空に浮かぶふわふわとやわらかそうな白い雲の絵面を眺めているうちに背中から強く突き上げられるような衝撃があって、胸が詰まって息ができなくなった。
 空が青い。
 最初はそれしかわからなかった。息が詰まって体中が重苦しい。やがて大きな声が聞こえると思ったら、いつの間にかバイト仲間や依頼主の職人やら現場監督やら、大勢の人が取り囲むようにして上から覗き込んで、「大丈夫かぁ!」だの「わかるかぁ!」だの叫んでいる。意識はあるが呼吸ができないので「はぁふうぅ」とあえぐだけである。しばらくしてようやく呼吸できるようになり、どうにか立ち上がることもできた。下が柔らかい土だったので事なきを得たが、コンクリートやアスファルトだったらぱちんとはじけてしまっていたかもしれないと思うとぞっとする。現場監督に病院まで連れて行ってもらって検査を受けた。どこの骨にも異常はなく、現場に帰る車の中で「おまえ頑丈やなぁ」と言われた。そんな感心されてもなぁ。
 現場に帰ったらそこであがっていいと言われ、見舞金としてなにがしかのお金を包んでもらったが、そのまま現場近くの銭湯で汗を流してから喫茶店で時間をつぶし、帰りにバイト仲間たちと呑んでしまった。それでその事故とは縁が切れたと思っていたら、明確な因果関係を辿ることはできないがそのときの強打で背骨がどうにかなってしまったたらしく、後年ふとしたきっかけでぎっくり腰状態になる慢性の腰痛持ちとなり、10~15mほどの高さで自分と地面の位置関係が明確に把握できるところでは脚がふるえ冷や汗をかくという高所恐怖症が残ってしまった。

貌の創

2011-05-11 12:24:34 | 洛中洛外野放図
 佐宗さんと一緒に呑んで、居酒屋「りゅうせん」を出たときにはすでにいーぃ感じに出来上がっていた。後期試験も間近いため米谷に講義ノートのコピーを渡すことになっていたが、夜バイトが終わってから来てくれということだったので、一度帰ってまた出直すのも面倒だし、誘われたのをコレ幸いと、つなぎのつもりで呑みに出ていたのである。つなぎのつもりが本気になって、料理は美味いし、結構な量を過ごしてしまった。バイトが済んだら飯を食っているという米谷の下宿の近所にあるお好み焼き屋で待ち合わせていたから、佐宗さんと別れて嵐電の線路沿いをフラフラ辿り、御室方面へと向かって行った。意識と気持ちはあるのに体が全く追いつかず、自分でイライラするほど真っ直ぐ歩けてない。もうへべのレケレケである。やっとの思いで約束の店にたどり着いたら中で大きな声がする。何事だろうと覗いてみるとなんだかいきり立ったガタイのでかい男が米谷を怒鳴りつけていた。なにやらプイーンとバイオレンスなにおいが立ち込めている。コレはまずいんではないか?おぼつかない足取りで割って入ろうとすると「やめとけや」と言う米谷に羽交い絞めされた。そこは鮮明に覚えている。羽交い絞めされてガタイのでかいのと正対することになり、そいつが自分の横にある丸椅子の脚を摑むのが見えた。えっ、と思ったが動けない。椅子が見える。近づいてくる。米谷、離せ!

 顔面に重たい衝撃があった。そこから先は覚えていない。気がついたら嵐電の線路の上にうつぶせになっていた。かなり鼻血を流しているようで、どこかで顔を洗いたい。あたりを見ると、御室あたりのお好み焼き屋にいたはずが、なぜだか元いた「りゅうせん」のすぐ裏手だった。訳がわからない。わからないけど、とにかく顔を洗いたい。まだ開いていたのでお絞りをもらおうと思ってりゅうせんに行った。するとマスターはもとより居合わせた酔客までが騒然となり、最初のひと言は「誰にやられた?」という質問だった。鼻血を拭きたいのでお絞りをくださいというと洗面所へ行って来いと言われた。鏡を見ると、鼻の頭からあごにかけて数箇所がばっくりと割れている。何だコリャ?さわってみると何の感覚もない。洗っても拭っても血が出てくる。困ったことになったと思って出て行くとお絞りを何本か渡された。警察の、救急車の、という話になっている。椅子でぶん殴られたのは覚えているけれど、衝撃を感じたのはたしか上の方で、今割れているのは下の方で、混乱している。なんだか面倒なことは面倒だと思ったので、自転車でつんのめって顔面から突っ込んだ、という説明をした。「アホやなぁ」とか、「そんななるまで呑むからやん」とか、皆が『しょうのないアホぼん』の世話を焼くような雰囲気になってどうにかささくれ立った緊張感はなくなったものの、血は流れつづけている。こっちもどうにかせんと。自分で歩いてきたし、そのときも受け答えはしているし、救急車ではなくタクシー会社に電話をして、外科の救急当番となっている病院に送ってもらうことになった。その段になって財布がないことに気づいてタクシーは無理だというと、マスターが千円札を三枚渡してくれた。

 連れて行かれたのは北野天満宮と今出川通を隔てた中立売通沿いにある相馬病院で、途中まで連れて帰ってもらったようなものだった。都合22針縫われて、夜が明けたら改めて保険証を持ってくるように、料金はそのときでいいからといわれて、とっとと出て失せろとでもいうかのように追い出された。そうか。酔っ払いはこう扱われるか。惨めな気持ちで下宿まで帰ってみると鍵がかかっている。鍵は財布の小銭入れに入れてある。普段あまり鍵をかけないのに、珍しくかけた日に限って財布をなくす。まさに米朝師のいう「貧すりゃ鈍する、藁打ちゃ手ぇ打つ、便所行ったら先に人が入っとおる」というくらいに間が悪い。さらに惨めな気持ちになって七本松通を北へと向かい、今出川通の対岸にある佐宗さんの住むアパートを見上げた。幸いなことに佐宗さんはまだ起きている。

「うあっ!」
というのがドアを開けた佐宗さんの第一声である。そりゃぁそうだろう、顔面を包帯でぐるぐる巻きにした得体の知れない男が立っているのだから。麻酔で顔面が麻痺した上に包帯で締め上げられているので思うように喋れない。それでもどうにか「こいつは松田である」ということを理解してもらって中に入れてもらった。筆談でここに至る経緯を説明し、もっとも面倒なことは面倒なので自転車ですっ転んだことにしてあるが、鍵をなくして部屋に入れないのでねじ止めしてある錠前をはずすためにドライバーを貸してほしいと頼んだ。それはいいけど、明日のことにしてお前少し休め、というありがたい言葉をかけてもらい、横になった。

翌朝佐宗さんに付き添ってもらって、北野天満宮の向かい、ということは相馬病院とも中立売通を隔てて向かい合う西陣警察署(当時・現京都府上京警察署)に財布の紛失届けを出しに行った。
「事故ですか!?」
受付の警官が大きな声を出した。そう見えるのも無理はないが、なんだか佐宗さんが加害者のようになっている。申し訳ない。それからまた佐宗さんの家に行ってドライバーを借り、下宿に戻って銀行の通帳と保険証を探し出し、銀行へ行ってお金を下ろして相馬病院に向かった。麻酔が切れてから縫われたあとが痛いわ熱いわ、鼓動とともにずきずきするような不快感がある。一通り診察をしてもらい、抜糸とそれまでの通院の予定を聞いて支払いをした。昨夜はまるで蛇蝎(だかつ)のごとくに忌み嫌うような態度を取っていた同じ看護師さんなのに、なんだか妙にやさしい感じがする。そのまま下宿に帰ってひっくり返った。

 夕方に電話が鳴ったので目が覚めた。取ってみたら米谷で、ずっと電話に出ないし、何度か部屋に来てみたが留守だったから心配したと言われた。いや留守にはしてない、眠ってたんや。ひっくり返ったのがお昼前だったが、それからまる1日以上眠っていたらしい。日付が変わっていた。いいかげんむかついていたので怒鳴りつけてやりたかったが、悲しいかな思うように喋れないうえに自分でもよく分からないところもあるので、とりあえず説明を聞いてみると、こういうことらしい。

・ 相手は同じアパートに住む別の大学の男で、飲み友達である。
・ 確かに大きな声を出したがけんかではなく酒の上の勢いであった。
・ 松田が踊りこんできたときものすごい勢いだったので、そのまま殴りかかるかと思った。
・ これはやばいと思ったので米谷は松田を止め、相手は椅子を盾代わりに防御しようとした。

そのときはたんこぶを作ってぶっ倒れただけで、血は一滴も流れていなかったそうだ。謝る相手にちゃんと答えていたというけど、くどいようだが記憶にない。それから相手が帰って行ったあと、松田は米谷に講義ノートを渡すと結構な勢いで店を出て行ったらしい。またもやぶん殴りに行ったのではと心配した米谷も後を追ったが、すでに姿が見えなかった、という。

 一通りの説明を聞いて、信じようにも疑おうにも何も覚えてないのでもう丸呑みにするしかない。痛くて面倒くさいうえにイヤなことを思い出してしまうのもイヤなのでそれ以上は不問とし、当時自転車を持ってはいなかったが、自分に対しても『自転車説』を採ることにした。ずきずきする顔面をもてあましているとまた電話が鳴った。佐宗さんから聞いた鞍多が心配してかけてくれたようだ。何か食べたいものはあるかと聞かれたが、痛くて物が食えそうにない。そう答えてお礼を言った。電話を切ってしばらくするとノックの音がして、それぞれが牛乳と100%オレンジジュースと蜂蜜を持った栄地と上浦と鞍多が入ってきた。一人ずつが「たんぱく質」「ビタミン」「糖分」と言って枕元に一つずつ置いていく。
「とりあえずこれで命は繋げるっしょ」
「ええ歳して自転車で転んだアホを笑いに来たんやけどな」
「コレは笑えんなぁ」
相変わらず口は悪いが、心配してくれているのがよく分かるからとてもありがたい。しばらく話をしてまた来るわな、といって帰るときに、鞍多が小さい声で「あんた、自転車持ってないのにね」と言って笑った。それが違うことに気づいているらしいが、すまん、本人もわかってない。入れ替わるように後輩の潟澤、裏鋤、大和田、房野が来てくれた。みんな想像以上の惨状にびっくりするらしいので、だんだん面白くなってきた。そのあと1本ずつビールを持った佐宗さんと古邑さんがやってきて、目の前で飲みやがった。くっそー!悔しがるさまをサカナにされたが、無水シャンプーと体を拭くためのウエットティッシュを持って来てくれていた。

 翌日の昼前、西陣警察署から財布が届けられたという電話があった。現金、カード類、学生証、部屋の鍵、レシート、なくなっているものは何もない。届けてくれたのは白梅町に住む小学生で、拾った場所は自宅近くの空地だという。倒れていたりゅうせんのあたりは椅子の一撃をくらったお好み焼き屋と財布の見つかった白梅町のちょうど中間地点に当たる。するとお好み焼き屋を出て、白梅町でなんかあって、半分引き返してぶっ倒れたのか?ナゾは深まるばかりでございます。ともかく財布を受け取って本屋に行き、図書券を買って教えられた住所に行った。行ってみると拾ってくれた子は留守で、平日の昼間だから当たり前なのだが、対応に出られたお母さんは絶句していた。忘れていたが包帯男なのである。くどいくらいに礼を述べて診察を受けに行った。ガーゼを替えてもらって、包帯ではなくテープ止めになった。とはいえまだ顔面の半分以上が隠れている。

 試験前なので午後の授業には出席した。最初はみんなが驚いて固まる様子を面白がっていたが、しまいにだんだん嫌気がさして、最後の授業には出ずにBoxに顔を出した。そのとき居合わせた潟澤に、前日は見舞ってやりたいと思った連中が相談の上で品物の分担を決め、時間をずらして来てくれたということを教えられて、嬉しくてちょっと泣きそうになった。

 抜糸よりも先に後期試験が始まった。試験では写真つきの学生証を机の上に置いて、監視員が机間巡視して本人確認をすることになっている。試験のたびに監視員は驚いたように立ち止まり、中腰になって、顔を横にして下から覗き込んでくる。一人しつこい奴がいて、腕組みをして横に突っ立ったままじっと見ている。しょうがないのでガーゼをはがしてにっこり笑ってやった。縫合されたところはまだナマで、乾いた血も乾いてない血も糸に絡みつくようになってまだら模様を作っている。自分で見るのも気持ち悪い。そいつは顔を背けて口を手で覆い、小さな声で「すいません」と言って歩いて行った。ざまを見給え。

 どうやら無事に試験も終わり、抜糸も済むとようやく自由に口を動かせるようになった。ただ舌の一部も切れていて、治りかけたところが腫れ上がっているので、まだしばらくは思うように呑み食いできそうにない。そのうちに試験の結果が発表となって、幸い落とした単位もなく、試験の打ち上げと称して呑んで回っている連中をうらやましく思った。結局一月ちかく牛乳とオレンジジュースと蜂蜜で過ごすことになり、そのおかげで過激なダイエット効果が得られた。効果はテキメンだが、あまりおすすめはしません。それはさておき、糸を抜いた日の夜、米谷と一緒にガタイのでかいアンちくしょうがフォア・ローゼズを持って訪ねてきた。しきりにゴメンよぉ、と言ってくれるが、米谷の説明通りであるならこいつは全然悪くないのである。上記のとおりその説明を丸呑みにすることにしてあるので、結局こいつはいい奴じゃん。それ以来、そのガタイのでかい杣君とも飲み友達になった。

ようやく物が食えるようになるとまずりゅうせんに行ってお金を返し、そこで祝杯をあげてもらった。それからやたらと呑みに誘われるようになり、連日のように連れ回され、部屋に押しかけられ、乱痴気している間に次の春がやってきた。