「さぁー、けえぇわぁ、のぉめぇのぉめ、のーむぅなーらぁばあぁ」
黒田節なのである。
「ひーのーもーとぉ、いーいぃちぃのお、こーのぉさあけぇ、おおおっ!」
もはや雄叫びである。
松須さん、なのだ。「お前ら、この皿空けぇ」と、鍋の具が盛ってあった大皿の中身をのけさせ、そこになみなみと酒を注ぐ。振り付けなんだか酔っているんだか、顔の高さに皿を掲げて一節うなりながら前にふらり後ろにゆらり、緩やかに揺れている。
「おーぇ、だいぶこぼれとるぞー」
石地さんである。「おぉい、無理すんなァ」と、これは宝饒さん。松須さんは「やかましい!」と応じながらも歌い続けている。「あれ実は全部飲まれへんもんやからああやってごまかしとるンや。歌うふりして大っ概こぼしとる」石地さんってばそんな聞こえるように言わんでも...「おぉ、そうだよ、いっつもそうなんだよなぁ」綿部さんまで...「何ィ?呑んだるわいっ、お前注げぃ!」ほら聞こえた。傍にいる1回生がこぷこぷと注ぎ足す。「おぅ、見とれぃ!さぁー、けえぇわぁ」って、最初から!?「くーろぉだー、ぶーぅしいーっ!」とひとくさり歌うところまでにはまた幾分かこぼれている。が、二度目は途中で横槍が入ることもなく歌いきり、ところどころに切なそうな吐息を交えながら皿をあおって飲み干して、どぉんなもんじゃい、と言わんばかりに皿を掲げる。「イヨッ!」てなモンで拍手喝采のうちに大団円、というのが鍋の季節の呑み会での風物詩であった。途中の突っ込みと注ぎ足しをも含めて完成された、全員参加型の出来レースである。これには土鍋のふたバージョンもあるのだが、大皿よりもはるかに深い。蒸気抜きの小さな穴を指でふさいで酒を注ぐ。歌っているうちに指の位置をずらして酒を抜き、量の微調整をする。そこで「穴、穴!」「こぼれとるこぼれとるっ!」といった指摘があり、注ぎ足して仕切りなおし。結構な覚悟がいるのだそうで、その日の体調と勢いがノればふたを手に取ることになるのだが、そう滅多に拝めるものではなかった。松須さんにはこのほかマッチを数本まとめて擦って口の中に入れて火を消すという捨て身芸『火喰い男』もあり、やおら立ち上がりポケットからマッチを取り出した瞬間見物の衆は「待ってました」とばかりにヤンヤの喝采である。
「おー、痛」
「?大丈夫ですか?」
「お?んっ、何でもないわい」
さしもの火喰い男とて失敗はする、どこかを火傷したらしい。稀代のエンターテイナーもバックステージでは己をさらけ出すもので、どこでどうなったか記憶のあやふやなまま下宿で朝を向かえたら、小さな声で松須さんがうなっていたのである。横にいる綿部さんがいたわりながらも容赦のない突っ込みを入れる。「無理するからだよ」「無理してへんわい!」
三人が三人とも目覚めたなりにぐだぐだになっており、とりあえず腹が減っていたのもあって昼前になってようやく動き出した。
「よっしゃ、餃子でビールや」
「…」
「飲めるのか?」
「…うどん、やな」
体は正直なのである。虚勢を張り通せるものではない。やっとのことで素うどんをすすりこんでBoxに行くと、石地さんがジャコおろしをお菜に御飯を食べている。何もかけてないので真っ白なままだ。
「おなかにやさしいんや」
どうやら石地さんも堪(こた)えているらしい。だいたい、こんなになるまで呑む必要などこれっぽっちもないのだが、座を盛り上げることに強迫観念に近いのではないかと思われるほどの使命感を抱いておられるらしい松須先輩は自らタガをはずす。そうなると場に一種独特のうねりのようなものができあがり、一座は妙に「ふっ切れた」ようになった。今にして思えば就職活動中というのもあってのことなのかもしれないけれど、先輩たちと呑むとそんなふうになった一時期がある。
その代の先輩たちが卒業していった後になって、元置屋の下宿からそれほど離れてないところに古くからやっているという洋食屋を見つけた。客層はといえば何代か続けて通っているというご家族連れも含めて常連さんが多いようで、同年代の学生らしい客に出くわすことはあまりなかった。全般に少し薄目だけれどしっかりと味付けされた柔らかい味わいで、客に話しかけられると照れたように訥訥と相手をされる柔和なマスターご夫妻に似つかわしい。メニューの中に「ハイシライス」とある。頼んでみるとハヤシライスで、確かにハヤシライスの味なのだけど、さらっとした感じのルゥにとろりとした甘味と酸味のあるとても優しい味だった。
「んー、ハイシライスはハイシライスやなぁ」
とマスターも言うとおり、これは「ハイシライス」であってハヤシライスでもハッシュドビーフでもいけない。
なんとなく誰かと行くのがいやで専ら一人で通ったけれど、顔を覚えてもらったころ、呑みすぎて、と言っても一時期の先輩たちと呑んでいた頃のような呑みすぎは後にも先にもないのだが、お酒を過ごした翌日のお昼はわがままを言ってライス抜きで出してもらうことがあった。今にも踊りだしそうな胃袋にもすんなり納まっていくような優しさを味わいながら、あの頃ここを知っていたら先輩たちと一緒に来て、一緒にわがままを言ってライス抜きのハイシライスをすすっていただろうかといろいろと懐かしく思い出した。
残念なことに、今はもう店をたたまれたそうである。