京都の冬は、痛い。
築数十年の木造日本家屋で迎える冬の朝は、寒いという形容で事足りるほど生易しいものではない。がたがたいう木製の窓枠は乾燥による収縮で曇りガラスとの間に隙間ができているらしく、部屋の中の温度は外気温と変わらない。布団に包(くる)まって眠っていても外に出ている鼻と頬はもう感覚を失っていて、時には冷気で肺に痛みを感じて目を覚ますこともあった。顔を洗おうと共同炊事場に向かうと、両側に部屋が並んでいる分廊下のほうがぬくかった。こんな悲しいことはない。特に冷え込んだ朝などは掛け布団の襟元がカバンカバンになっていて、どうやら自分の呼気で凍り付いているらしいと気づいたときには涙が出るかと思った。
「人間に一番悪いのは腹がへるのと寒いゆうことですわ」
『じゃりン子チエ』のおばあはんによる至言である。おばあはん曰く、「ひもじい寒いもお死にたい 不幸はこの順番で来ますのや」だそうで、四六時中腹をすかした貧乏学生はさすがに「もお死にたい」とまでは思わなかったが、しみじみと不幸を噛みしめる朝を迎えたものである。その寒い部屋にある暖房器具といえば電気コタツのみ。京間四畳の部屋にコタツ布団を広げるとそれだけで場所っぷさぎになる。コタツの各辺に二人ずつ、あぶれた者が何人か部屋の隅に陣取るとこれはもう狭苦しい息苦しい暑苦しいの三重苦の状態となり、文字通りに「ヒトのあたたかさ」を思い知るのである。
松須先輩に「お前今日何か予定あるか」と訊かれた。授業がすんだら何も予定はありませんよ。
「おぅ、ほんならメシ食いに行くか、石地とここで待ってるから」『ここ』とはBoxと呼ばれるサークルの部室のようなもので、実は社会学系の学術サークルに籍を置いていた。だいたい、この面子でメシを食いに行くとなるとメシで終わったためしがない、というかあまり食い物が並ばないまま空いた徳利が林立する。それでいて最終的にはそこそこの量を食べてはいるという、胃袋にも財布にも優しくない飲み方になる。まあそれはそれで望むところではあるけれど。授業が終わって顔を出してみると件の二人はいない。そこにいた古邑さんと佐宗さんのどちらかが「ちょっと用事ができたって、なんか家で待っとくようにってよ」という伝言をしてくれた。はぁ、そうですか。軽く呑みに出ようかというBox内での話を尻目に、しょうがないのでひとまず帰ることにした。下宿の玄関には見覚えのある靴が2足、2階に上ってみると部屋の扉の端から明かりが漏れている。鍵といっても柱と扉にねじ止めした蝶番に南京錠を引っ掛けるだけなので、盗られて困るような高価なものが置いてあるわけでなし、帰省など長期の不在でない限り部屋に鍵をかけることはなかったけれど、その習性はよく知られるところであったので、まぁそういうことがあってもしょうがないか。と思って部屋に入るとコタツをはさんで対座する松須、石地の両御大、真ん中ではカセットコンロの上で鍋がイイ感じにことこと湯気を噴いている。用って、コレかい。
「おぅ、お帰り」
「待っとったんや、水炊きでええやろ」
まぁずいっと、上座へずいっと、と勧められるまま東側の出窓を背にした部屋の奥側の辺に座る。
「帰りを待ってもらうって、ええもんやろ」
ええモンかいな。まままま、ひとつ、ぐいーっと。と缶ビールを渡される。「ぼちぼち、ええんと違うか」、「やっぱり寒いときは鍋やろ」などといいながら取皿と割り箸を用意して甲斐甲斐しく取り分けてくれる、のはいいが、準備された食器類は十人分に近い。ウチにこんなにあったか?ふと気づくと石地さんの脇に具材が山盛りになっている。どう見てもこのメンバーの三人前ではない。ちょっと待ってください。
「まぁ気にすんな」
「お前、今日はもうドーンと構えとったらええんにゃて」
ドーンって、えぇ?そうこうしているうちににぎやかな人声がして、さっきBoxで呑みに行こうかなんどと話していた連中さんがどやどやとなだれ込んできた。呑みにって、ここかい。なにせコタツが1つだけ、さらに真ん中にカセットコンロが据えてあるので、テーブルとして使えるところはごくわずかしかない。それで十人近い人間が飲み食いしようというので、コタツの周りでは缶ビールと皿と箸を持った数人によるローテーションが行われている。「お前はええから、ドーンと、ほら」と言われても落ち着いて座っていられるものではない。まぁええから、みんな落ち着いて食べましょ、もうここ空けるから。ビールを片手に傍からながめていると、見ていて気持ちがいい程の食いっぷりで、山盛りの具材が綺麗になくなった。まぁまぁまぁまぁ、といいながら手分けして鍋や食器類を洗いに立つもの、カセットコンロを片付けてコタツの上を綺麗に拭くもの、酒を買いだしに行くものと、まるで事前にリハーサルでも行われていたかのように実に手際よく進んでいく。なんや、今日に限って、普段からたのむでコレ。日本酒とバーボンとズブロッカとチンザノと、だいたいそんなものが準備され、それから後はお決まりで、思い思いに好みの酒を呑んでいろんな話をしている。いつの間にかもう一間の三畳の部屋には布団が延べられて、つぶれた奴の仮眠室となっている。宝饒さんの姿が見えないと思ったら布団の中から「ふっかーつ!」という雄たけびが聞こえ、皆のいる方に踊りこんでくる。会津さんは「わたし、体柔らかいよ」と両足をまっすぐ前に伸ばしたまま二つ折れになって、ひざにオデコをくっつけて「ほら」と言ったままピクリとも動かない。どうかと思ったらすうすうと気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。寝とぉんねん、コレ。あまりのことに古邑さんとしばらく眺めていると、「んあ」と言って起き上がって何事もなかったようにグラスを取る。石地さんはCDケースから歌詞カードを引っ張り出してアカペラで何か歌っている。薄い壁を隔てた隣人に「迷惑やろなぁ」と思いながら自分も酔いに任せて乱痴気している。
集まった人のおよそ半分が4回生で、就職活動も終わって卒論もひと段落、あまり大学にも用はなし、久しぶりに顔を合わせて、じゃぁどこかで、となったときに白羽の矢が立てられたのが我が下宿と、こういうことだったらしい。自分が気に入られているんだか、部屋が気に入られているんだか。それでも気を使った(だろうと思われる)サプライズ加減にちょっとありがたいようなうれしいような、ほっこりした気分になった。でも、こんだけおったら暑苦しいねん。
嵐電組が帰り、夜半をすぎて残りの人たちもポツリポツリと帰って行き、石地さんと綿部さんと三人、少し外を歩いた。あまり自分の気持ちを表に出したがらない石地さんから感謝と共に後輩に対する様ざまな思いを告げられ、ちょっとジンときた。その分、一人戻った宴のあと地はいつもにも増して冷え冷えとするようで、いろんな意味での「ヒトの温かさ」を恋しいと思った。
築数十年の木造日本家屋で迎える冬の朝は、寒いという形容で事足りるほど生易しいものではない。がたがたいう木製の窓枠は乾燥による収縮で曇りガラスとの間に隙間ができているらしく、部屋の中の温度は外気温と変わらない。布団に包(くる)まって眠っていても外に出ている鼻と頬はもう感覚を失っていて、時には冷気で肺に痛みを感じて目を覚ますこともあった。顔を洗おうと共同炊事場に向かうと、両側に部屋が並んでいる分廊下のほうがぬくかった。こんな悲しいことはない。特に冷え込んだ朝などは掛け布団の襟元がカバンカバンになっていて、どうやら自分の呼気で凍り付いているらしいと気づいたときには涙が出るかと思った。
「人間に一番悪いのは腹がへるのと寒いゆうことですわ」
『じゃりン子チエ』のおばあはんによる至言である。おばあはん曰く、「ひもじい寒いもお死にたい 不幸はこの順番で来ますのや」だそうで、四六時中腹をすかした貧乏学生はさすがに「もお死にたい」とまでは思わなかったが、しみじみと不幸を噛みしめる朝を迎えたものである。その寒い部屋にある暖房器具といえば電気コタツのみ。京間四畳の部屋にコタツ布団を広げるとそれだけで場所っぷさぎになる。コタツの各辺に二人ずつ、あぶれた者が何人か部屋の隅に陣取るとこれはもう狭苦しい息苦しい暑苦しいの三重苦の状態となり、文字通りに「ヒトのあたたかさ」を思い知るのである。
松須先輩に「お前今日何か予定あるか」と訊かれた。授業がすんだら何も予定はありませんよ。
「おぅ、ほんならメシ食いに行くか、石地とここで待ってるから」『ここ』とはBoxと呼ばれるサークルの部室のようなもので、実は社会学系の学術サークルに籍を置いていた。だいたい、この面子でメシを食いに行くとなるとメシで終わったためしがない、というかあまり食い物が並ばないまま空いた徳利が林立する。それでいて最終的にはそこそこの量を食べてはいるという、胃袋にも財布にも優しくない飲み方になる。まあそれはそれで望むところではあるけれど。授業が終わって顔を出してみると件の二人はいない。そこにいた古邑さんと佐宗さんのどちらかが「ちょっと用事ができたって、なんか家で待っとくようにってよ」という伝言をしてくれた。はぁ、そうですか。軽く呑みに出ようかというBox内での話を尻目に、しょうがないのでひとまず帰ることにした。下宿の玄関には見覚えのある靴が2足、2階に上ってみると部屋の扉の端から明かりが漏れている。鍵といっても柱と扉にねじ止めした蝶番に南京錠を引っ掛けるだけなので、盗られて困るような高価なものが置いてあるわけでなし、帰省など長期の不在でない限り部屋に鍵をかけることはなかったけれど、その習性はよく知られるところであったので、まぁそういうことがあってもしょうがないか。と思って部屋に入るとコタツをはさんで対座する松須、石地の両御大、真ん中ではカセットコンロの上で鍋がイイ感じにことこと湯気を噴いている。用って、コレかい。
「おぅ、お帰り」
「待っとったんや、水炊きでええやろ」
まぁずいっと、上座へずいっと、と勧められるまま東側の出窓を背にした部屋の奥側の辺に座る。
「帰りを待ってもらうって、ええもんやろ」
ええモンかいな。まままま、ひとつ、ぐいーっと。と缶ビールを渡される。「ぼちぼち、ええんと違うか」、「やっぱり寒いときは鍋やろ」などといいながら取皿と割り箸を用意して甲斐甲斐しく取り分けてくれる、のはいいが、準備された食器類は十人分に近い。ウチにこんなにあったか?ふと気づくと石地さんの脇に具材が山盛りになっている。どう見てもこのメンバーの三人前ではない。ちょっと待ってください。
「まぁ気にすんな」
「お前、今日はもうドーンと構えとったらええんにゃて」
ドーンって、えぇ?そうこうしているうちににぎやかな人声がして、さっきBoxで呑みに行こうかなんどと話していた連中さんがどやどやとなだれ込んできた。呑みにって、ここかい。なにせコタツが1つだけ、さらに真ん中にカセットコンロが据えてあるので、テーブルとして使えるところはごくわずかしかない。それで十人近い人間が飲み食いしようというので、コタツの周りでは缶ビールと皿と箸を持った数人によるローテーションが行われている。「お前はええから、ドーンと、ほら」と言われても落ち着いて座っていられるものではない。まぁええから、みんな落ち着いて食べましょ、もうここ空けるから。ビールを片手に傍からながめていると、見ていて気持ちがいい程の食いっぷりで、山盛りの具材が綺麗になくなった。まぁまぁまぁまぁ、といいながら手分けして鍋や食器類を洗いに立つもの、カセットコンロを片付けてコタツの上を綺麗に拭くもの、酒を買いだしに行くものと、まるで事前にリハーサルでも行われていたかのように実に手際よく進んでいく。なんや、今日に限って、普段からたのむでコレ。日本酒とバーボンとズブロッカとチンザノと、だいたいそんなものが準備され、それから後はお決まりで、思い思いに好みの酒を呑んでいろんな話をしている。いつの間にかもう一間の三畳の部屋には布団が延べられて、つぶれた奴の仮眠室となっている。宝饒さんの姿が見えないと思ったら布団の中から「ふっかーつ!」という雄たけびが聞こえ、皆のいる方に踊りこんでくる。会津さんは「わたし、体柔らかいよ」と両足をまっすぐ前に伸ばしたまま二つ折れになって、ひざにオデコをくっつけて「ほら」と言ったままピクリとも動かない。どうかと思ったらすうすうと気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。寝とぉんねん、コレ。あまりのことに古邑さんとしばらく眺めていると、「んあ」と言って起き上がって何事もなかったようにグラスを取る。石地さんはCDケースから歌詞カードを引っ張り出してアカペラで何か歌っている。薄い壁を隔てた隣人に「迷惑やろなぁ」と思いながら自分も酔いに任せて乱痴気している。
集まった人のおよそ半分が4回生で、就職活動も終わって卒論もひと段落、あまり大学にも用はなし、久しぶりに顔を合わせて、じゃぁどこかで、となったときに白羽の矢が立てられたのが我が下宿と、こういうことだったらしい。自分が気に入られているんだか、部屋が気に入られているんだか。それでも気を使った(だろうと思われる)サプライズ加減にちょっとありがたいようなうれしいような、ほっこりした気分になった。でも、こんだけおったら暑苦しいねん。
嵐電組が帰り、夜半をすぎて残りの人たちもポツリポツリと帰って行き、石地さんと綿部さんと三人、少し外を歩いた。あまり自分の気持ちを表に出したがらない石地さんから感謝と共に後輩に対する様ざまな思いを告げられ、ちょっとジンときた。その分、一人戻った宴のあと地はいつもにも増して冷え冷えとするようで、いろんな意味での「ヒトの温かさ」を恋しいと思った。