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鳥取の受験生のための塾・予備校  あすなろ予備校の講師が、高校・大学受験に向けてメッセージを送るブログです。

鳥大入試を斬る!2011年度鳥取大学前期試験 地域学部地域政策学科 【小論文】

2011-02-25 16:58:43 | 大学入試
いよいよ国公立大学前期試験!


谷川も鳥取大学地域学部地域政策学科の小論文の問題を入手したので、早速トライ!

毎年毎年、手を変え品を変えで新傾向の作問にチャレンジする地域政策学科の小論文問題。
本文を読んでそれに関する問題を2問解く、という大まかな傾向は変わりません。
今年は小田切徳美の『農村再生―「限界集落」問題を超えて』の抜粋部分を読んで

(問1) キーワードを使っての下線部理由説明(300字)
(問2) 下線部に関連して自身の考える「都市と農山村の共生を基軸とするユニークな国づくり」(700字)

という出題でした。


むむぅ、(問1)はいいとして、(問2)が結構難しいかな?
下線部と同一の段落に
「現に進んでいる草の根レベルでの都市農村交流の実践をますます促進し」
とありますので、ここから

「草の根レベルでの都市農村交流」を可能にする具体的な交流【A】を考えるか、
「草の根レベルでの都市農村交流」と同列になるような別の事例【B】を考えるか、
いずれにしても受験生自身が「共生の手助けとなるような具体的解決策」を考えなければなりません。

地域政策の小論文って、出題の傾向は毎年変わっても
「あなたならどうしますか?どう問題を解決しますか?」
という問題解決能力を受験生に求めます。
この姿勢を理解したうえで(出題者の出題意図を把握したうえで)
過去問にトライしないとだめですよ、現高校2年生の地域政策志望の諸君


さて、都市と農山村との具体的な交流【A】を考えるならば、
都会(都市)の子どもを田舎(農山村)に招いて田舎での暮らしを体験させる「山村留学」あたりが真っ先に思い浮かぶところでしょうか?
あるいは、休耕地を都市労働者に提供して「I・J・Uターン型の農林酪農業」を促進する、というのもアリかと。
特に「I・J・Uターン型の農林酪農業」はフルタイムでのターンではなく季節限定や休日だけ、といった形もありますので、
これからもますます都市労働者にアピールできる形になるかと思います。

山村留学」「I・J・Uターン型の農林酪農業」はいずれも
都市→農山村」の動きになりますが、
農山村→都市」ならば、最近はやりの「大都市圏における地方特産物のアンテナショップ」も挙げられると思います。
地方の特産品を都市に紹介して、地方のことをよりよく知ってもらう、その上で都市の人に農山村で起きている超高齢化などの問題を考えてもらう・・・こんな流れになるかな?


いずれにしても、地域政策という学科特性も考えて、「政策としてどんな問題解決のアイデアを持っているか、または考えることができるか?
を採点官は見るでしょうから、そこの視点も忘れないようにしたいものです。

この考え方で行くと「草の根レベルでの都市農村交流」と同列になるような別の事例【B】は、
「行政が主体となって都市・農山村間でシンポジウムを開く」
「農山村の伝統行事・独自文化等を都市部に向かって大々的にPRする」

なんていうのが考えられるでしょうか?もちろん、このほかにもたくさんあると思います。


下線部「ユニークな国づくり」に引っ張られるとなかなか思いつきません。
その意味では例年並みに難しい設問だったと言えるでしょう。
変に気負ったりせずに、自分が見聞きした具体的なニュース・事例から論が展開できるようになりたいものです。
もちろん、そのためには日ごろのネタ集め=ニュース・時事ネタに積極的にふれること、疑問になったことはすぐに調べるクセを身につけておくことが大事です。

まあ、上のことは終わってしまった受験生には関係ないかな?
(でも、この姿勢は大学生になってからのほうがより重要になるからね!意識しておいて!!)


さあ、これで試験も一通りおしまいだ!
今日はゆっくり休んで、明日はお部屋のお掃除でもしてみよう!
新生活の準備、楽しみですね!!
(最近のドコモのCMの渡辺謙を見ると特にそう思う)


お疲れ様、受験生!



あ、明日もまだ続く人、


がんばれ、受験生!もうほんとにホントに最後のひと踏ん張り!!

いよいよ明日!

2011-02-24 21:19:50 | 大学入試
いよいよ明日が25日、国公立大学前期試験となりました!


今頃は受験地への移動も終わり、ホテルでくつろいでいるところかな?

ここまで来たら後は腹をくくって、ゆっくり休んで明日に備えてください。

大丈夫、あれだけの過去問を解いたんだから。


眠れそうもない、という人はぼんやりとその解いた過去問を見直してください。

(持ってきてるでしょ?おそらくは)

それが最高のお守りですよ。


明日の試験はセンター試験と違って、知り合いのいない孤独な試験になります。

落ち着いて、最後の山を越えていこう!

がんばれ、受験生!

ぞろぞろ

2011-02-19 13:30:21 | 洛中洛外野放図
 一年先輩の佐宗さんを通じて、粋棟さんと知己を得た。国立の教育大学で西洋史学を博士課程まで修められ、某シンクタンクに佐宗さんと同期入社となったそうだから、結構歳が離れている。二条城に近いご実家から大阪の会社まで通勤されていて、佐宗さん曰く、住んでいるところも近いし、趣味も合いそうだから「会わせてみたくなった」のだそうだ。二人の職場のある大阪まで呼び出されたのか、京都で引き合わされたのか、初対面がどこだったかはっきりと覚えてはいない。たぶん京都だったんだろうと思う。落ちあったとき、佐宗さんと粋棟さんは二人で『形而上学しりとり』というのをやっていた。どういうものかよく分からなかったが「バカボンのおまわりさんのピストル」とか何とか訳のわからないことを言い合っている。酔狂なこった。佐宗さんは元来理屈言いというのか、ともするとちょっと衒学的な言い回しに振り回されるようなところがある。おんなじような人がもう一人増えるのかと思っていたが、実際に本人と話をしてみると読んできた作家や漫画家、聞いてきた音楽、いいと思った映画、好きな落語家、その頃気に入っていたミステリーシリーズと、気味の悪いほどことごとく合致した。生活圏がそれほど離れてはいないので、普段よく利用する本屋もCD屋も大体同じである。今もあるかどうかは知らないが、千本今出川を少し下がった東側に間口のそれほど広くない、小汚いというと失礼だが店先が乱雑な感じの新刊書店があって、古書店に見えなくもないからわざわざこう書いているのだが、そこは品揃えがいい。普通なら入荷しないような、入荷しても1冊とか2冊とかの扱いを受けそうな本でも、発売日には複数冊を店頭に並べていた。そこの常連だという話を聞いて、できた方だと思った。もとより酔っ払いの判断である、碌な根拠などあるはずもないが、初対面の印象はそんなわけで「なんかいい人」であった。それからちょくちょくご一緒させてもらったが、佐宗さんは就職を期に上七軒のアパートを引き払って大阪に住んでいたので、京都在住の二人で呑むこともあった、というか、呑みに連れて行ってもらった。時々はうちの下宿で呑むこともあった。こっちに合わせて付き合うのを面白がっているようなところもある。そういうところもとっつき易さの一因だったんだろうと思われる。

 あるとき、卒論の話になった。平安末期から鎌倉初期成立のある絵巻物を扱おうと考えていたが、それまで調べてあったものをまとめたメモを見せると豪(えら)く気に入って、その頃粋棟さんが出身大学に残って研究活動をしいる人たちと定期的に行っていた歴史学の研究会で発表してみたらどうだと誘ってくれた。当日の出席者はそれほど多くなかったが、学部生から院生、粋棟さんのような修了者まで、いろんな立場の人が参加している。その場を仕切ったのは粋棟さんと同期という妙に恰幅がいい方で、その体つきといい髪型といい、目のくりくりとしたところまで、往時のサモ・ハン・キンポーを髣髴(ほうふつ)とさせる。その金峰氏にも興味を持ってもらえたようで、いろいろと意見を言ってくださって、アドバイスも多くいただいて、大いに参考になった。終了後は大学近くの行きつけの店で歓迎会をしてくれたが、金峰氏はビールばかり飲んで、酔ってくるといろんな教授の酔態を滔滔(とうとう)と語り始めた。斯界のビッグ・ネームもいくつか挙がっている。どこで誰と呑んだって酔うのに変わりはない。最後は金峰氏と、一緒にいた学部生とが最寄りの駅まで送ってくれた。誰かが大きな声で喚(わめ)いていたような気もする。電車を乗り継いで阪急京都線大宮駅まで戻って来る間に二人とも少し醒めてきて、粋棟さんと二人で少しだけ飲みなおしてから別れた。

 阪急宝塚線の石橋駅近くにある会場で、立川談志・桂米朝二人会が行われた。行きたいけれども手元不如意で余裕がない。そんな話をしたら、ありがたいことに佐宗さんと粋棟さんが折半でチケット代を持ってくださるということになった。粋棟さんと佐宗さんは職場からなので、石橋駅で待ち合わせをした。指定席ではなかったように思うが、二階席のほぼ真ん中に席を取った。三人並んで座った右側にハンチングをかぶったおじいさんが座っている。最初は談志家元の『ぞろぞろ』、その最後、「一生懸命に研ぎ澄ました剃刀でスーっと剃るてぇと、後から新しい髭がぞろぞろ…」この『ぞろぞろ』の二つ目の『ろ』の音が出切るか出切らないか、『…』の余韻も味わう間もなく間髪をいれずに拍手を始めた人がいた。見ると横にいるおじいである。いかにも「わしは米朝を見に来たんや」とでも言いたげに、なんだか苦虫を噛み潰したような渋い顔をして、『引っ込め』感モロ出しに拍手をしている。こういうところで誰かが拍手を始めると皆がそれに追従する。そのとき談志家元は半ば口を開いて何かを言い出しそうなところだったが、その拍手に小さく「ま、いいや」とつぶやいて深々とお辞儀をした。そのあと米朝師が一席、中入りがあって二人の座談があり、米朝師、談志家元でトリ、という構成だったが、中入りのときに煙草を吸いにロビーに出ると、「誰やあの拍手」とか「絶対あれなんか言いかけてたで」といった声がちらほらと聞こえる。三人で「やっぱり、ねぇ」という話になった。実はそこのところだけが鮮明に思い出されて、あとの記憶はあやふやになっている。なかなかない機会なのに、あのおじい奴(め)。落語会が終わって、石橋駅のそばの焼鳥屋でなんだかんだとだべってから三人で十三まで一緒に行って、そこで京都線に乗り換えた。佐宗さんは同じ京都線の途中の駅で降り、粋棟さんと大宮駅まで、四条大宮でまた少しご一緒して帰った。

 粋棟さんとは卒業してから何度かは連絡を取ったが、やがて疎遠になってしまった。佐宗さんとは細々とやり取りが続いていて、あるとき佐宗さんにメールを打ちながらふと思い出して粋棟さんの消息を尋ねてみた。すると、すでに物故されたという返事が返ってきた。まだ40代で、結婚してからの年数も浅く、お子さんもまだ小さいという。亡くなる前年の健康診断でなんだかの数値が異常に高かったそうで、周りからも節制するようすすめられていたが、仕事でかなり無理をされていたらしい。佐宗さんから粋棟さんのご実家の住所と墓所を教えようかと言ってくださったが、亡くなってから1年以上経っていた。のこのこと出向いて行って、ご家族に新たにつらい気持ちを思い出させるようなことにならないか、と心配になり、それに今更どの面下げて、という気もする。ちょっとその気になりかけたがさすがに差し出がましい気がして、よしましょう、それより酒を呑みましょう、ということになった。その晩は一杯余分に酒をついで、粋棟さんの分として酒を呑んだ。佐宗さんもメールのやり取りの後同じことをしたそうだから、粋棟さんは大阪と鳥取のどっちで呑むか迷ったかもしれない。とはいえ故人に関して思うことなど生きている側の思い込みに過ぎないので、自分が一緒に呑んでくれてはるな、と思っていれば、どっちであろうとかまわない。

 それから粋棟さんについていろいろ考えていると、どうやら談志家元の『ぞろぞろ』に、あのときの満場の拍手に行き着いてしまうようである。

沈思黙考主義

2011-02-17 14:52:10 | 洛中洛外野放図
 とあるコンパの会場、周りであわただしく席順を決めたりなどしているさなか、上座でノートを開いて、几帳面な筆記体の文字でドイツ語のテキストの本文を写している。筆記体とは早く書くために使う字体だと思っていたが、そ奴は一文字ずつじっくりじっくり、たぶんブロック体で書くよりも時間をかけて書いている。ペンで書いているので、書き損じは一画ずつ(アルファベットで「一画」というのか?)はけ塗りタイプの修正液を塗っていく。写本でもしているかのようで、几帳面というよりも神経質そうにも見える。場違いな感じが面白くてしばらく眺めていた。
「何してんねん」
「ん?ああ、明日な、当たんねん」
「呑みながら、すんの」
「そら始まったらしまうよ」
「ほーん」
テキストとノートが邪魔でグラスも取皿も置くことができないが、そういうことには頓着しないらしい。その日は遅れてサークルに入ってきたそ奴ともう一人の男の歓迎会で、その主役が黙々と予習をしているのである。同じ高校出身だという主役の片割れの「こいつ昔っからこういう奴やねん」とのコメントに「うるせぇ」と返しながらも手を止めることはない。歓迎することよりもお酒を呑むことをメインと心得る周りの人たちはちょっと邪魔だな、などと思いながらビールを回し、着々と乾杯の準備を進める。各自にグラスとビールが行き渡り、幹事役の先輩から「ホンならそろそろ、始めましょうか」と声がかかると手早くテキスト類を片付けた。乾杯の後の自己紹介によると、このドイツ語を筆耕していた栄地は高槻市在住、もう一人の上浦は茨木市在住で、同じ高校を卒業して同じ某大手予備校の大阪校に2シーズン通い、学部は違うが同じ大学に入って同じ時期に同じサークルに入ってきたという。こう書くと中睦まじくのっぴきならない関係のようにも思われるけれど、そういうわけでもなく、行く先々でお互いを見つけては「またこいつか」と思うらしい。挙句の果てには就職先も、生産管理と営業というキャラそのままの職種ではあったものの、同じ某大手印刷会社、二人とも自覚はしてないようだがこんだけ気が揃う奴らも珍しいで。でも結婚した相手は違ってた。この上浦という男、自己紹介で「巨人ファンです」と禁断の一言を口に出したものだからたまらない。「ぁんやとぉ、コルァあ!」怒号一声、お絞りが飛ぶ座布団が飛ぶ、まだ酔っ払いはいなかったので壊れ物や誰一人箸をつけてない料理をぶん投げる者はいなかったが。ここで宇津平さんの「巨人ファンなんて屁ー以下」という名言が生まれ、上浦には「まったく場の空気を読めない奴かよっぽどのマゾ野郎だ、ただしすべて読んだ上での発言だったら偉い」、とにかく「太(ふて)ぇ野郎だ」という評価が下された。図らずも翌日のための予習によって自己紹介のずっと前から注目を集めていた栄地は、低い声でぼそぼそと淡々と自らを語った。トーマス・マンかなんかを愛読しているとかで、高尚らしい趣味にどことなくとっつきにくいような感じがしないでもない。年齢もさることながら、落ち着き払った雰囲気が風格までをも感じさせ、どこか威風堂堂の趣がある。まずはポップな上浦とシックな栄地という印象だった。方や突っ込みどころ満載で、方や突っ込もうにも落としどころの見当がつかないのである。そのあたりの印象がやけに強くて自己紹介の後はあまりよく覚えていない。覚えていないというか相変わらずコリャコリャのグズグズになっていったので、他の飲み会と印象が変わらない。ただ、アンチ巨人の跋扈するなか臆することなく巨人ファンを標榜していた群馬出身の町元さんが上浦の肩に手を回して「お前は見所がある」かなんか言っていたのを覚えている。「やっぱジャイアンツだよなー」って、関東のファンは「巨人」とは言わないのか?当の上浦は真っ赤な顔をして意識を失いかけている。こいつはビールを2杯も飲んでないのに。栄地によると「これでもこいつ呑めるようになったんやで」とのこと、そういう栄地はすでに熱燗に切り替え、表情ひとつ変えることなく淡々と杯をあけていた。もっともこ奴はいつだって表情を変えない。

 この二人とはじきに親しくなって、特に栄地とはよく呑んで回った。自宅生なのに付き合いがいい。一方の上浦がそうでもないのは飲めないからだろうと思っていたが、地元に高校時代から付き合っている彼女がいるからだという。そんな奴はいい、とりあえず、ほっとく。

 「口数は少ないけど言葉数が多い」と評されたことがある。これは全然違う場所で違う人から言われた。そういう俺(の)と口数も言葉数も多くない栄地とが二人で飲んでいると、本当に口数が少ない。話が弾むということもなく、あまりしゃべらないままこぷこぷ飲んで、それで苦にならない。呑むのは日本酒かバーボンが多く、うちで呑むときはたまにフォア・ローゼズのブラックラベルをぶらさげてきてくれた。持参したビル・エヴァンスやジョン・コルトレーンなどのCDをかけてル・クレジオだとかマルティン・ブーバーなんかの話をする。しょうがないのでこっちはジャニス・ジョプリンとブルース・ブラザースで対抗し、いしいひさいちを与えてみたらこれがハマったようで、しばらくは来る度に作品集を一冊ずつ読んでいた。お互いに少しずつ感化されていき、しまいには桂枝雀やキダ・タローをバックにガルシア・マルケスの話をしながら呑むようなことになっていた。大抵は引き際綺麗に終電で帰って行ったが、たまに過ごすこともある。そういう時はどっちが先かわからないけれどいつの間にか意識を失っていて、翌朝「うぅっぅ」とか言いながら授業に出たり帰って行ったり、お昼前まで自堕落に過ごしたりした。最初は周りから『寡黙』『孤高』『耽美』といった言葉の似合う流麗なイメージを持たれていたようだが、そこに『退廃』が加わったようで、ある日栄地が我が家から持ち出した『アホの坂田』のテープを持っているところを見咎めた栄地派の女の子から(半ば本気で)詰め寄られたことがある。
「あんなん聞くって、栄地君変わったん、あんたのせいやろ。ヘンなこと教えやんといて、もぅ!」
ってしゃあないやん、そんな奴やってんから。その様子を見ていた上浦がけたけたと笑っている。笑(わろ)てんとフォローせんかい、この男は。きいっ!という本当に音の出そうな目つきで上浦に一瞥をくれて、その子はプリプリと去って行った。上浦は堪(こた)えもせず「なんやえっらい美化されてんねやなー」とか言いながら爆笑している。そこへのそっと本人が出てきた。
「なんや?」
何でもあれへん、何でもあれへん。

 直接顔を合わせることはそれほど多くないが、そんな二人とも随分長い。

凛として

2011-02-05 11:23:19 | 洛中洛外野放図
 晴れた冬の朝は凛として身が引き締まるような感じがする。2月も中旬を過ぎ、後期試験もひと段落つく頃に北野の梅林が花盛りとなる。ちらほらと雪の残る参道沿いの垣の葉の間を、メジロが見え隠れして遊んでいる。まだ寒いけれど春の気配のようなものに少しほっとする。北野天満宮の西側には御土居(おどい)という豊臣秀吉によって作られた土塁の跡が残っている。その堀として利用されていたという紙屋川(現在は天神川に統一されているそうですが、北野天満宮の西側に『紙屋川町』の地名が残るので、ここでは紙屋川とします)にかかる小さな橋があって、そこを渡ると川に沿って周囲よりも一段低い位置に細い歩道があり、今出川通の一筋北の道まで続いている。御土居跡の木立の緑が覆いかぶさるようになっていて、夏には見た目も涼しげな水辺の木陰になり、冬には木々がざわめく中に深閑とした雰囲気があって、雪が降れば木立の深い色合いに明るい雪の白が映えて、色彩を失ったように見える。暑い時期でも寒い時期でも静かな落ち着いた場所で、わずか数十メートルしかないけれども気に入りの場所だったので知らない人にはあまり教えず、のんびりと過ごしたい相手とだけぶらぶらと歩いた。早い話が手近なデートコースにしておったちゅうこっちゃ。

 その寒いけれど雲のない晴天の日もふたりで梅見がてら北野のあたりをぶらぶらしていると、関脇君に声をかけられた。関脇君は福島県出身、会津磐梯山のふもとからやってきた後輩で、色が白い。それがまた透き通るような白さで、和風のハンサム顔である。どこかお昼を食べられるところを知らないかという。そんなモン、もう何か月も住んでんねやから、昼くらいどこナと好いたところで食たらええやん。何を今更…と言いかけたところで後ろにいる二人に気がついた。おばあさんと妹が福島から訪ねてきていて、大学周辺を案内しているという。高校生の妹は翌年受験を控えているので、北野天満宮におまいりしてきたところだそうだ。そういうことなら、早よ言わんかい。そら、普段行くような学生相手の店でないほうがいいわな。あわてて挨拶をした「はじめまして、松田といいます」「どうも、大変お世話になっております」深々と頭を下げられた。いえいえ、いうほどお世話はようしません、ごもったいない、お顔を上げてくださいな。横で妹がちょっと緊張気味に立っている。やっぱり透き通るように白い肌で、ぺこっと頭を下げてくれた。おばあさんに好みを尋ねると何でもいいという。そこで恋人が妹に尋ねると「お好み焼きが食べたい」と言う。ちょうど今出川通を渡ったところに落ち着いた感じのお好み焼き屋があって、そこを案内した。「どうぞごゆっくり」一泊して帰られるというおばあさんと妹に挨拶をして立ち去ろうとすると、おばあさんはぜひご一緒に、と言う。ご家族水入らずのところを邪魔するのも悪いと思ったが、関脇君も妹もニコニコ笑ってうなずいてくれている。ちょうどどこかでお昼を食べようかと話していたところだったので、ご一緒することにした。ボックス席の片側に関脇一家が並び、それと向かいあって二人で座るという妙なレイアウトになった。そこはテーブルが鉄板になっていて、客が自分で焼くようになっている。聞けばどこを案内するかまだ決めてないということなので、待っている間妹の好きそうな店、おばあさんの好みそうな場所について彼女と二人あぁでもない、こうでもないと話をした。妹はころころと笑い、おばあさんはにこにことその様子を見ていて、時折質問をしてこられる。ネタが来て焼き始めたのはいいがおばあさんも妹もあまり経験がないのだそうで、そうならばと向かいに座るふたりでお手伝いをした。その横で関脇本人ももたついていたが、そこまでは手が回らない、お前は適当にやっとれ。その店では焼くときのための大きなコテと、一人ずつに取皿と割り箸と小さなコテをつけてくれる。自分たちの分も焼き上げて、普段どおりに箸を使わずコテで食べ始めると、それまで箸で食べていた妹は何かにピンときたような表情をしてコテで食べ始めた。
「熱っ」
大丈夫か?火傷してぇへん?「はい、大丈夫です」といいながらなんだか嬉しそうに食べている様子がかわいらしい。

 ビールを飲んだかどうか、定かでない。彼女は飲めないが嫌いではないそうで、付き合うのどうのこうのとなる前、はじめて食事に行ったのは夕方二人とも用がなく、たまたま顔を合わせて飯でも食いに行くかぁ、となったときのこと、行ったところが白梅町のお好み焼き屋で、飲み物はビールでいいと言うので一杯注いだけれど、飲んだとたんにリトマス試験紙のように真っ赤になって、そのうち紫色になってきた。飲まれへんねやったら、先に言うとけ!フラフラになってバスに乗り込む姿を見送るのも気が気ではなかった。それでもつきあっているうちにいくらか飲めるようになったようで、その頃には居酒屋でぽちぽちとつまみながら少しずつ呑んでいた。酒の「手があがる」とはこういうことなんだろう。そんな二人と関脇でお好み焼きとくればコレはたぶん飲んだだろうと思われる。大学の様子を話して福島の様子を聞かせてもらって、いろいろと話をしてサテお勘定となったとき、おばあさんはこちらの分まで払うと言ってくださった。イヤな予感はしていたが、やっぱりそうなるか。「デエトの途中でお付き合いさせてしまったから」とおっしゃるのだが、こちらも楽しく過ごさせてもらったのに、そういう訳にもいくまい。彼女と二人全力で断ったが聞き入れてもらえない、結局それ以上断るのも失礼かと思われたので、お言葉に甘えることにした。それから関脇君にいくつか食事どころを伝えてバス停まで送っていった。おばあさんはバスに乗るときに再度深々と頭を下げてくださり、なんだか面映い気がした。

 関脇家ご一行を乗せたバスを見送って、二人とも自分のおばあちゃん孝行をしたような気持ちになって、まだ寒い午後をほっこりと過ごしたことを覚えている。その後関脇君が伝えてくれたところによるとおばあさんはとても喜んでくださったそうで、帰った後でも「あの先輩は」と気にかけてくださっていたらしい。関脇君とも随分無沙汰をしっぱなしだが、今でも寒い冬に雲のない晴天の日があると、あのかわいらしいおばあさんと妹のことを思い出す。

二次試験対策

2011-02-02 19:03:45 | 大学入試
大学入試もハイシーズンに突入、関西私大入試は2月上旬の今が試験真っ最中の時期ですね。

受験生諸君、今が一番の踏ん張りどころ、なおかつもうゴールは間近のところです。
ここを先途と気持ちを引き締めて頑張ってください!


さて、今日で国公立大学の出願も締切りとなります。
確定の受験者人数が出るのは明日か明後日でしょうが、
ここから先は過去問を1年分でも多く解くようにしてください。

その際には、何度も言いますが、必ず添削指導を受けること!
そしてどうすれば得点できる答案になるのか、先生や講師の指導をしっかりと受けてください。

受験生には採点基準を見抜いたうえで答案を作成するってなかなか難しいですし、
まして自分の答案が何点になるのか点数化する、というのは至難の業です。
そこは長年の受験指導のプロに任せて、自分の弱点をしっかり強化してください!

実はこの「点数化」、結構大切な考え方になります。
谷川も添削をする際にはなるべく点数をつけて返すようにしています。
東大・京大をはじめとする難関大学なら各設問の配点までわかりますので、きっちり点数を出しますし、
設問の配点がわからない大学では予想の配点を作って採点していきます。

やはり、点数化されたものを見れば自分の出来・不出来がはっきりしますよね。
特に国語は科目特性上、どれくらい自分ができたのか客観的な判断が難しいですし。

皆さんの取ったセンターの得点、大学が公表する過去の合格最低点・合格平均点から
志望校合格のために必要な二次試験の点数はおおまかに判断がつくはず。
その上で過去問を解く、つまり、点数を気にしながら過去問に取り組むと驚くほどの効果が出ます。
あくまでも貪欲に、1点でも多くの得点が取れるような過去問対策を行ってください。


がんばれ、受験生!