「邪魔だなおい」
「だからわざわざこっちに座ることないだろぉ」
最初が石地さん、あとが綿部さんである。綿部さんは箸を使うときだけ左利きで、石地さんは必ずと言ってもいいほどの頻度でその左側に席を取る。座る際に椅子を少しだけ右側に寄せ、横の綿部さんとのタイミングを計りながら右肘を張って箸を使うものだから、どこの誰がどんな法則に照らし合わせてみたところで肘がぶつかり合うということに反論の余地はなかろう。
「わざわざって、人聞きの悪いこというな。だいたいお前がやな、こう、あーもう、邪魔だな」
「こういうの好きだなぁ、お前は。なぁ、こいつしょっちゅうこんなことしてんだよ、どう思う?」
どう思うもこう思うも、そう言いながら綿部さんもなにやら楽しそうにしているではないか。
「『しょっちゅう』とはなんや『しょっちゅう』とは、失礼なヤツやな。お、松田言ってやれ言ってやれ、もう、お前の思うところをやな、こいつにっ、バーンと言ってやったらええんやて」
だから思うところなどありはしない。ただ、隙あらば何かをしてやろうと虎視眈眈と狙いすましている石地さんの貪欲さ加減といつなんどきどんなことを仕掛けられてもさらりとかわしてみせる綿部さんの自由自在さ加減、傍から見れば見事なまでに程の合ったその二人の呼吸は一朝一夕に出来上がるものではあるまい。これではもう前で優しく微苦笑しているよりほかに手がない。
「松田まつだぁ」
綿部さんはなぜか松田を呼ぶときだけ必ず『ホニャア』とした口調で二回繰り返す。他の人を呼ぶときはそうでもないので、一度訊いてみたことがある。すると「そぉかぁ? んー、そうかも知れん、おまえがそんな感じなんだよ」とよくわからないような答えが返ってきて、その答えがまた『ホニャア』としている。例えるならば空気のような人、ただし『空気みたいに存在感のない』人なのではなく『空気みたいな存在感を持つ』人なのである。どこにでも馴染んでいて、またどこにいても泰然自若として何事にも動じない。のか、何が起きても柳に風と受け流しているのかわかったものではないけれど、おそらく綿部さんのいる部屋から隣の部屋に移動して、そこに綿部さんの姿を認めたとしてもだれも不思議に思うことはないのではないか。『我が俺が』な奴儕(やつばら)の闊歩する俗世にあって、もしかしたらこの人は霞を食らって生きとるのではないかと疑いたくもなるようなそのふわふわとした存在感はまさに変幻自在、どこに居たって違和感を抱かせないのである。電話であってもそんな柔らかい存在感で『ホニャア』と話しかけてくる。
「松田まつだぁ、これからお前んちに行ってもいいかぁ?」
もちろんです。こちらに異存はありません。綿部さんとはよくご一緒したが、いつも複数名で呑んでいたのでそのときも石地さんか会津さんか、それとも松須さんか宝饒さんか、はたまたその全員と一緒に来られるものだと思っていたら。ノックに応えて出てみれば、廊下に立っているのは綿部さん一人、珍しいこともあるもんだと思って招き入れようとするとこう切り出された。
「これ預かっといてほしいんだよ、置くとこがなくてなぁ」
「へ?」足元に大振りの段ボール箱が置かれている。いやウチにかて置くとこありませんケド?
「あのコレ」
「お、悪い、下の細い道に車停めっぱなしなんだわ、どっかに置いてくるから」
って、ちょっとちょっと、えぇ? 行てもうたがな、なんか知らんけどどうすんのコレ?
何だこれは。ビデオテープがたくさん入っている。何のビデオだ? なんでウチにこんなものを持ってくる? まさか非合法に大量ダビングしたビデオテープを売り捌こうてか、あの人もほにゃほにゃしてるようでなかなかやるなぁ。しかしこんなもんの集積基地にされたらたまったもんやないわ、売り上げの何割かもらわんことには割に合わんでコレ。いろんなことを考えているうちに電話が鳴って、出てみると『ホニャア』とこんなことを言われた。
「なんかもう帰るわ、それ頼むなぁ。」
「『頼むなぁ』て、これなんですか?」
「あぁ『ウルトラQ』と『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』だ」
ウウウ、ウルトラだぁ?「へあ゛あ゛っ!」思わず電話口であのおっさんがタンを切るような声を出してしまった。説明を求めてみたものの「あぁ、電話じゃめんどくさいから、今度会ったときに話す、明日大学来るだろ?」「そら行きますけど」「うん、じゃそんときに。あ、見といていいぞぉ」
『いいぞぉ』言われても...
翌日受けた説明によると、学内に『ウルトラマン大時代研究会』という自主ゼミがあるらしい。それを関西の伝統芸能、主に上方落語を中心に扱う老舗雑誌の編集長を長年つとめておられ、時折朝日放送『わいわいサタデー』の「女性なんでもコンテスト」の審査員席にも座っておられた教授、大学そばのお好み焼屋『鉄平』でたまたま居合わせた折たまたまその直前に生協書籍部で買っていた著書『上方の笑い』にサインをお願いすると、赤い顔をしてにこにこと上機嫌にサインをしたうえに「松田様“笑える門には福来る”」という有難いお言葉をいただいた、その教授、が担当されているらしい。それでその『ウルトラマン大時代研究会』って、何してんですか?
「ビデオ見てんだよ」
当時は1960~70年代の子ども向け番組について改めて評するようなことが盛んになりかけた頃で、作品を通じて製作当時の世相や背後の思想を読み解こうとするものから理系視点で設定の揚げ足を取ろうとするものまで、いろんな文献が出回っていた。趣向としては前者のようなことをしたかったらしいのだが、実態は「集まって酒を飲んでビデオを見て」いるだけだったそうだ。その『研究素材』の置き場に困って、松田が綿部さんのあの『ホニャア』に抗(あらが)いきれないのをいいことに持ち込まれてしまった。うちに呑みに来てそれを見つけた会津さんは「あー、これ今松田んちにあるんだぁ、へぇ」と感心している。この人ここにも噛んでるのか。
正直、邪魔である。とはいえ他に置く場所とてないので四畳間のコタツ兼テーブルの下に置いておいたが、なんだと訊かれて説明をすると大概の者が見たがった。中には何度か通ってきて夜通し見て帰るようなやつもいる始末、数ヵ月後に「長いこと悪かったなぁ」と『ホニャア』と引き取られて行くまでの間、築数十年木造の元置屋は俄(にわ)かに降って湧いた『ウルトラブーム』に沸き返ったのであった。
「だからわざわざこっちに座ることないだろぉ」
最初が石地さん、あとが綿部さんである。綿部さんは箸を使うときだけ左利きで、石地さんは必ずと言ってもいいほどの頻度でその左側に席を取る。座る際に椅子を少しだけ右側に寄せ、横の綿部さんとのタイミングを計りながら右肘を張って箸を使うものだから、どこの誰がどんな法則に照らし合わせてみたところで肘がぶつかり合うということに反論の余地はなかろう。
「わざわざって、人聞きの悪いこというな。だいたいお前がやな、こう、あーもう、邪魔だな」
「こういうの好きだなぁ、お前は。なぁ、こいつしょっちゅうこんなことしてんだよ、どう思う?」
どう思うもこう思うも、そう言いながら綿部さんもなにやら楽しそうにしているではないか。
「『しょっちゅう』とはなんや『しょっちゅう』とは、失礼なヤツやな。お、松田言ってやれ言ってやれ、もう、お前の思うところをやな、こいつにっ、バーンと言ってやったらええんやて」
だから思うところなどありはしない。ただ、隙あらば何かをしてやろうと虎視眈眈と狙いすましている石地さんの貪欲さ加減といつなんどきどんなことを仕掛けられてもさらりとかわしてみせる綿部さんの自由自在さ加減、傍から見れば見事なまでに程の合ったその二人の呼吸は一朝一夕に出来上がるものではあるまい。これではもう前で優しく微苦笑しているよりほかに手がない。
「松田まつだぁ」
綿部さんはなぜか松田を呼ぶときだけ必ず『ホニャア』とした口調で二回繰り返す。他の人を呼ぶときはそうでもないので、一度訊いてみたことがある。すると「そぉかぁ? んー、そうかも知れん、おまえがそんな感じなんだよ」とよくわからないような答えが返ってきて、その答えがまた『ホニャア』としている。例えるならば空気のような人、ただし『空気みたいに存在感のない』人なのではなく『空気みたいな存在感を持つ』人なのである。どこにでも馴染んでいて、またどこにいても泰然自若として何事にも動じない。のか、何が起きても柳に風と受け流しているのかわかったものではないけれど、おそらく綿部さんのいる部屋から隣の部屋に移動して、そこに綿部さんの姿を認めたとしてもだれも不思議に思うことはないのではないか。『我が俺が』な奴儕(やつばら)の闊歩する俗世にあって、もしかしたらこの人は霞を食らって生きとるのではないかと疑いたくもなるようなそのふわふわとした存在感はまさに変幻自在、どこに居たって違和感を抱かせないのである。電話であってもそんな柔らかい存在感で『ホニャア』と話しかけてくる。
「松田まつだぁ、これからお前んちに行ってもいいかぁ?」
もちろんです。こちらに異存はありません。綿部さんとはよくご一緒したが、いつも複数名で呑んでいたのでそのときも石地さんか会津さんか、それとも松須さんか宝饒さんか、はたまたその全員と一緒に来られるものだと思っていたら。ノックに応えて出てみれば、廊下に立っているのは綿部さん一人、珍しいこともあるもんだと思って招き入れようとするとこう切り出された。
「これ預かっといてほしいんだよ、置くとこがなくてなぁ」
「へ?」足元に大振りの段ボール箱が置かれている。いやウチにかて置くとこありませんケド?
「あのコレ」
「お、悪い、下の細い道に車停めっぱなしなんだわ、どっかに置いてくるから」
って、ちょっとちょっと、えぇ? 行てもうたがな、なんか知らんけどどうすんのコレ?
何だこれは。ビデオテープがたくさん入っている。何のビデオだ? なんでウチにこんなものを持ってくる? まさか非合法に大量ダビングしたビデオテープを売り捌こうてか、あの人もほにゃほにゃしてるようでなかなかやるなぁ。しかしこんなもんの集積基地にされたらたまったもんやないわ、売り上げの何割かもらわんことには割に合わんでコレ。いろんなことを考えているうちに電話が鳴って、出てみると『ホニャア』とこんなことを言われた。
「なんかもう帰るわ、それ頼むなぁ。」
「『頼むなぁ』て、これなんですか?」
「あぁ『ウルトラQ』と『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』だ」
ウウウ、ウルトラだぁ?「へあ゛あ゛っ!」思わず電話口であのおっさんがタンを切るような声を出してしまった。説明を求めてみたものの「あぁ、電話じゃめんどくさいから、今度会ったときに話す、明日大学来るだろ?」「そら行きますけど」「うん、じゃそんときに。あ、見といていいぞぉ」
『いいぞぉ』言われても...
翌日受けた説明によると、学内に『ウルトラマン大時代研究会』という自主ゼミがあるらしい。それを関西の伝統芸能、主に上方落語を中心に扱う老舗雑誌の編集長を長年つとめておられ、時折朝日放送『わいわいサタデー』の「女性なんでもコンテスト」の審査員席にも座っておられた教授、大学そばのお好み焼屋『鉄平』でたまたま居合わせた折たまたまその直前に生協書籍部で買っていた著書『上方の笑い』にサインをお願いすると、赤い顔をしてにこにこと上機嫌にサインをしたうえに「松田様“笑える門には福来る”」という有難いお言葉をいただいた、その教授、が担当されているらしい。それでその『ウルトラマン大時代研究会』って、何してんですか?
「ビデオ見てんだよ」
当時は1960~70年代の子ども向け番組について改めて評するようなことが盛んになりかけた頃で、作品を通じて製作当時の世相や背後の思想を読み解こうとするものから理系視点で設定の揚げ足を取ろうとするものまで、いろんな文献が出回っていた。趣向としては前者のようなことをしたかったらしいのだが、実態は「集まって酒を飲んでビデオを見て」いるだけだったそうだ。その『研究素材』の置き場に困って、松田が綿部さんのあの『ホニャア』に抗(あらが)いきれないのをいいことに持ち込まれてしまった。うちに呑みに来てそれを見つけた会津さんは「あー、これ今松田んちにあるんだぁ、へぇ」と感心している。この人ここにも噛んでるのか。
正直、邪魔である。とはいえ他に置く場所とてないので四畳間のコタツ兼テーブルの下に置いておいたが、なんだと訊かれて説明をすると大概の者が見たがった。中には何度か通ってきて夜通し見て帰るようなやつもいる始末、数ヵ月後に「長いこと悪かったなぁ」と『ホニャア』と引き取られて行くまでの間、築数十年木造の元置屋は俄(にわ)かに降って湧いた『ウルトラブーム』に沸き返ったのであった。