aya の寫眞日記

写真をメインにしております。3GB 2006/04/08

履歴稿 北海道似湾編  似湾沢 9の2

2024-10-21 21:14:26 | 履歴稿
IMGR075-22
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 似湾沢 9の2
 
 池田さんの家は、学校の坂を降った所を流れて居る小沢の土橋を渡った右側に在った。
 
 私達と一緒に行くと言う池田さんの浩治君は二男坊であったが、当時の似湾には小学校の高等科が無かったので、二十粁程離れた知決辺と言う所の高等科に下宿屋から通学をして居た一年生であった。
そうして、この時の浩治少年は、学校の暑中休暇で帰省をして居たのであった。
 
 「浩治さん、支度出来たか、皆来たぞ。」と保君が表から呼びかけると、「待って居たんだ。」と言って、私達と同じように腰に弁当を包んだ風呂敷を巻いて、矢張り短い釣竿を持った浩治少年が飛び出して来た。
 
 四人になった私達は、池田さんの家から一粁程行った所の右側に在る神社の前まで行くと、其処からT字路になって居る道を左に曲がって、更に五百米程行った所に在った、鵡川川の渡船場へ出た。
 
 渡船場は、こちらの川原から向岸まで、太いワイヤーロープが張られて居て、水面よりも二米程高い向岸の上には、小さな草葺きの家が一軒ポツンと建って居た。
 
 その向岸の家に向かって「オーイ」と、保君が叫ぶと、中から一人の年老いた男が出て来て岸辺に繋いであった船を、私達の居る川原へ漕ぎ出した。
 
 
 
IMGR075-23
 
 ガーッ、ガーッと川を横断して張ってある太いワイヤロープに、船の軸から掛けてある細いワイヤーロープが、相互の摩擦で一進する毎に軋音を出しながら船は、私達の前に着いた。
 
 私は川の渡船に乗るのはこの時が始めてであったが、一般の船形とは違って、底の平ったい長方形の船であった。
 
 私が面白い形の船だなと思って居ると、「この船にはな、馬車も馬も乗せて渡すんだぞ。」と、保君が教えてくれた。
 
 対岸に渡った私達は、右側の山の裾に在る直線の道を西へ歩くのであったが、この道は隣村厚真村の知決辺と言う所に通じて居て四粁程行った所から、時折熊が出没すると言う峠に向って、左折して居た。
 
 この左折する所に、通称十間橋と呼んで居た全長十間の木橋が似湾沢に架橋されて居て、私達がこの十間橋の所へ着いたのは、太陽の位置から見て、略正午に近い時刻であった。
 
 「オイ皆、此処で弁当食うことにするべよ。」と保君が言ったので、「そうするか。」と一同が腰の弁当を開いて、ムシャムシャと食ったのだが、弁当を食べ終ると四人は、其処で一寸休憩をした。
 
 

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履歴稿 北海道似湾編  似湾沢 9の1

2024-10-21 21:11:23 | 履歴稿
IMGR075-20
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 似湾沢 9の1
 
 「オイ、義章さん、今日ヤマベを釣りに行かないか。川向の似湾沢だが、天気が良いから屹度面白いぞ。」と突然保君が誘いに来た。
 
 私はヤマベと言う魚がどんな魚か、また保君の言う面白いぞと言うことが、どんなことを意味するものかと言うことは判らなかったのだが、毎日を愉快に遊んで居る、仲好の保君が言うことだから屹度面白いのだろうと思ったので、「ウン、連れて行ってくれ。」と即座にその誘いに応じたのであった。
 
 「お母さん、保君と似湾沢と言う所へ、ヤマベと言う魚を釣りに行くから。」と私は、母にお昼の弁当を作ってくれるようにと頼んだ。
 
 すると、それを傍で聞いて居た兄が、「お母さん、弁当私の分も頼みます。義章、俺も一緒に連れて行け。俺達はヤマベと言う魚を見たことないもんなあ。」と言うのを、母は心良く引き受けて、ご飯の上に梅干を乗せたニユムの弁当箱を二個、一枚の風呂敷に包んだ。
 
 
 
IMGR075-21
 
 「オイ、支度出来たか、池田さんの浩治さんも一緒に行くとよ」と風呂敷に包んだ弁当を腰に巻た保君が、テングスや釣針を装備した短い釣竿を、二本担いで誘いに来た。
 
 「保君、俺の兄さんも行きたいんだとよ、だから一緒に連れて行ってくれよ。」と、兄の希望を私が伝えると、「いいよ、人数の多いほうが却って面白いよ。」と言って保君は、担いで来た二本の釣竿を、「これ一寸持って居てくれ。」と、私に持たして、くるっと廻れ右をして自分の家へ走って行った。
 
 それから五分程すると、私に持たした二本の竿と同じように、テングス其の他を装備した新品の釣竿を1本持って、駈け戻って来た保君が、「義潔さんも、義章さんも、釣針のとこ、俺ぼろ布で結んで来たのだけど、沢へ這入ったら木の枝の下を何回となく潜るんだから気を付けなよ、うっかり竿の先のテングスを枝に引っ掛けると、俺も何回かやったことなんだけどよ、釣竿を持っている手の指に釣針を刺すぞ。」と、忠告をしてくれた。
 
 「弁当は、義章お前が持てよ。」と兄が言ったが、私は母が一枚の風呂敷に二個の弁当箱を包んだ時から、既に覚悟をして居た。
 
 「気を付けるんだよ。」と門柱の所まで送って出た母の声をあとに、私達三人は道路を右に曲って学校の坂を降った。



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履歴稿 北海道似湾編  木菟と雑魚釣り 3の3

2024-10-20 19:58:28 | 履歴稿
IMGR075-17
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 木菟と雑魚釣り 3の3
 
 私達が雑魚を釣りに行ったこの小沼は、その昔台地の下を流れて居た、鵡川川が残して行った残骸であって、それを言うなれば古川なんだ、と保君は言って居たのだが、雑魚は実に良く釣れた。
 
 その小沼へ糸を垂れた私達二人は、瞬く間に七、八糎程のヤチウグイ、ゴタッぺ、鰌と言った雑魚を、それぞれ二十尾程づつを釣りあげた。
 
 「もうよかべや、また明日釣りに来るべよ。」と言って保君は、素早くテングスを竿に巻いてから、傍の柳の木から適当な枝を二本手折って来て、二人が釣り上げては、地上へ投げ出して置いた、まだピチピチと跳ねて居るものもあった雑魚のえらを一連に刺しとうした。
 
 「オイ保君よ、実によく釣れて面白かったなぁ。」と私が言うのを、「なあに、まだまだ釣れる所があるぞ、いつか教えてやるわ。」と言いながら保君は、雑魚を一連に刺した柳の枝を一本私に手渡して、「さあ、帰ろうや。」と、釣竿を肩に担いで台上への坂を駆け登った。
 
 そうした保君に続いて私も駆け登ったのだが、帰りの道は肩を並べて口笛を合奏しながら、黄昏の家路をゆっくりと歩いた。
 
 
 
IMGR075-18
 
 木菟と言う鳥は、実によく餌を食う鳥であった。私と保君が交互に巣箱へ投げ込むのを、頭からペロッと一吞にしてしまうと言う状態であった。「オイ、もう良いべよ、十尾以上も食ったべ、あとは明日の朝やれよ。」と保君が言うので、残りの雑魚は明日の餌にと、私は残した。
 
 保君と私は、その翌日からは馬欠を持って行って、釣った雑魚を生かして持って帰るようにして木菟を養ったのだが、この木菟も、その年の八月には死んでしまった。
 
 それは明治大帝崩御の悲報が、日本国中に報道された翌朝のことであった。朝礼に整列した全校生に校長先生が、「天皇陛下が崩御された。それで今日と明日の二日間は、生物を殺してはならんぞ。」と厳命をした。
 
 保君も私もその校長先生の話を鵜呑みにして、絶対の服従をしたので、二人はその二日間の雑魚釣りを休んでしまった。
 
 「生物を殺すな。」と言った、校長先生の教えを、忠実に守ったつもりの私達二人ではあったのだが、二日間餌をやらなかった木菟は、三日目の朝、私が巣箱を覗いた時には、嘗てのカケスと同じように巣箱の隅で骸になって居た。
 
 
 
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履歴稿 北海道似湾編  木菟と雑魚釣り 3の2

2024-10-20 19:52:42 | 履歴稿
IMGR075-14
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編 
 木菟と雑魚釣り 3の2 
 
 それは、その日の黄昏時のことであったが、ニセップと呼んで居た古潭に住んで居た布施と言う姓の少女が、カケスよりは幾分小さかったが、黒い色の耳が頭上の両脇にピンと立って居る鳥を持って来てくれた。
 
 私はその鳥を、有難うと言って受取ると、嘗てはカケスの巣箱であった箱の中へ、早速入れたのであった。
 
 「さようなら」と言って、その少女は玄関を出て行こうとしたから、「オイ、一寸待ってくれ。」と言って、玄関に待たしておいて、奥の八畳間で裁縫をして居た母に、「お母さん、ニセップの布施と言う 愛奴の娘が木菟を持って来てくれたんだよ、今玄関に待たしてあるんだが、お礼に十銭位やりたいんだが。」と私が言うと、「そう、そりや良かったな、カケスが死んでからはお前の元気が無いのでお母さんは心配して居たんだ。お礼はお母さんが直接するから。」と言って、それまで玄関で待って居た少女が「おばさん、そんなことしなくても良いの。」と言って辞退するその手に、無理矢理十銭銀貨を1枚握らせて、「あんた、どうも有難う、 うちの子は未だ此処の土地に馴れて居ないから、これからも仲良になってやっておくれ。」と頼んで居たが、その慈愛に満ちた母の態度は、今も私の脳裡に深く刻みついて居る。
 
 「おばさん有難う。」と、少女はとても喜んで帰って行ったが、私は早速木菟の来たことを保君に報告しなければと思って、急いで彼の家へ走った。
 
 
 
IMGR075-15
 
 「おい、保君よ、今布施がなぁ、木菟を持って来てくれたぞ。」と私が報告をすると、「おおそうか、今日持って来たのか、そしたらこれから餌の雑魚を釣りに行かなけりゃならんなぁ、さあ、それじゃあ早速行くべよ、早く行かんと日が暮れてしまうぞ、なあにこれからだって、二人で釣れば、明日学校から帰るまでの餌は充分釣れるよ。」と、元気よく言った保君は、裏からテングスや釣針を装備してある釣竿を二本持って来て、その一本を私に渡した。
 
 「釣りに行く沼はこっちだ。」と言って、保君が駈け出したので、その後に続いて私も、生べつの方向へ郵便局の前から走ったのであったが、約五百米程走った所から右へ曲るニセップの古潭への道の所で、辛くも私は彼に追いつくことが出来た。
 
 「オイ、此処から曲がって行くんだ。」と言って保君は、また駈け出したのであったが、その時の私は、彼と言う少年は実に足の速い奴だなと思った。と言っても、駈けることについては、そう人後に落ちないと言う自信を持って居た私ではあったのだが、この保君の足にはとてもついて行けなかった。
 
 
 
IMGR075-16
 
 そうした保君が、「オイ、此処から降りるんだぞ。」と言って、遅れまいと懸命に後を追って居る私を振返って叫ぶと同時に、彼の姿は台地の路から下へ吸込まれるように消えて行った。
 
 ヒイヒイヒイと呼吸をはずませながらも、彼の後を懸命に追って居た私が、彼が下へ消えていった地点に着くと、其処からは、台地の下に在った水田地帯へ降りる急斜面に細い小路があって、その小路を降った所には、その周囲が三十米程と言う小さな沼が、東西に並んで二つあった。
 
 私がその小沼へ駈け降りた時には、付近の雑草を引き抜いて捕ったと思う、二、三匹の蚯蚓を地上へ投出して置いて、既に保君は釣糸を沼へ垂れて居た。
 
 
 
 
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履 歴 稿 北海道似湾編 木菟と雑魚釣り 3の1

2024-10-20 19:46:47 | 履歴稿
IMGR075-11
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 木菟と雑魚釣り 3の1
 
 保君が罠で年寄カケスを捕ってからは、どうしたものか、桂の木へはもうカケスが飛んで来なくなった。
 
 そうした或日、「カケスはもう此処へは来ないかも知れんぞ、あの年寄カケスが罠にかかったのを見て吃度吃驚したんだよ、だけどなぁ心配するな、俺何処かで吃度捕ってやるよ。」と言って、私の家から百米程行った裏の密林へギヤギヤと鳴いて、飛んで来るカケスの群を目あてに、連日、此処彼処と彼が得意の罠を仕掛けるのだが、その罠は必ず成功をして居たのだが、私達が学校から帰ってその罠へ行くと、確実にその罠にかかったと思われるカケスが、それが鳶であったが、それとも鷹であったのかも知れなかったが、弓状に縛った柴木が直立して居て、その麻紐には、胴体のないカケスの足が残って居たと言う状態であった。
 
 私はその日を明確には記憶をして居ないのだが、カケスが死んでから二週間位は経過して居たと思って居る或日のことであったが、朝礼を終って教室へ這入った私の所へ、机の下を潜らせた手送りで一枚の紙片が届いた。
 
 
 
 
IMGR075-12
 
 その差出人は保君であったのだが、その紙片には鉛筆の走り書きで”カケス捕りは失敗ばかりして居るから諦らめよう、ところがニセップの布施が木菟を捕ったんだとよ。それをお前にやりたいと、俺に言って来て居るんだが、どうだお前その木菟を貰ってカケスの代りに飼わないか、餌は雑魚で良いんだ、その点は俺が良く釣れる沼を教えてやるから心配するな。」と書いてあった。
 
 「もうカケスは居ないんだから、その巣箱を裏の物置へ持って行ったほうが良いのじゃないか。」と、母は幾度となく私を促したものであったが、私は矢張りその巣箱を、玄関の土間の正面へその儘にして置いておいた。そして毎朝、その箱の前に立っては嘗って餌をやって居た時と同じように、萩の木で作った格子の中を覗いては、「お早う」と声をかけては、ありし日のカケスを幻想して居た私であったから、そうした保君の配慮に小躍したものであった。
 
 一時間目の授業を終って校庭に出た私は、「オイ、保君、さっきは有難う、是非貰ってくれ、頼む。」と言って、彼の手を力一ぱい握りしめたものであった。
 


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