aya の寫眞日記

写真をメインにしております。3GB 2006/04/08

履歴稿 北海道似湾編 私の弟と烏 6の5

2025-01-06 19:26:53 | 履歴稿
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履 歴 稿  紫 影 子
 
北海道似湾編
 私の弟と烏 6の5
 
 その時の弟と私の距離は、二十米程しか無かったのだが、周章た弟は、その途中で二、三度転倒をしたのだが彼は起きあがり、起きあがり、夢中になって駈け寄って来た。
 
 当時の似湾では、洋服を着て居る者と言えば、役場吏員の一部、教員・巡査・森林看守・医師と言った人達に限って居て、その他の者は凡てが和服に下駄履或は草鞋履と言った服装であった。
 
 従ってこの日の私達母子は当然和服姿であった。
 
 私と母は、高丈とも言ったし、また地下足袋とも言って居た物を履いて居たのだが、当時六歳の弟は下駄履の姿であった。
 
 弟は、最初に転倒した所で下駄を脱ぎ捨てて足袋裸足になって駈け寄って来たので、「義憲、裸足はいかん、危いから下駄を履いて来い。」と私が注意をするのを、彼は素直に「ウン」と頷いて、その場所へ駆けて行った。
 
 
 
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 私は、柳の木の馬に寄せる弟の関心を煽るのを目的に、下駄を履いて一心に駆け戻った彼を尻目に、「ヒヒン、ヒヒン」と嘶きを真似ながら、更に勢をつけて土塊を打砕いた儘になって居る、略正方形の一反歩に近い耕地を、或時は大きく、また或時は小さく、円を描いて巻乗の要領で駆け廻った。
 
 そうした私は、今は半ば泣声の弟が、「兄さんくれよ、馬をくれよ。」と喚きながら、幾度か転倒しながらも、必死になって追っかけて来た。
 
 そうした弟の喚き声に、豌豆を蒔く手を休めて腰を伸ばした母が、「義章、もうそんなにセカサないで、義憲にやりなさい。」と私を窘なめたので、潮時や良しと、「それ義憲」と弟を手招いて私は柳の木の馬から下りた。
 
 
 
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 そうした私は、「ハア、ハア、ハア」と息せき切って駆寄って来た弟にその柳の木の馬を手渡した。すると弟は「兄さん、有難う。」と軽く頭を下げたのだが、それまで嫌と言う程にセカされて居たのでいらだって居たものか、私の手からひったくるように捥ぎ取った、その柳の木の馬に早速打跨って堀返された畑に散らばって居た笹の根茎の中から鞭に手頃の物を一本拾うと、一鞭当てて「ヒヒン」と一声高々と嘶きを真似ると、大地を蹴って次弟は一目散に駆け出した。
 
 
 
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 それは、それから一時間程過ぎた時のことであったが、それまで「ヒヒン、ヒヒン」と喜こんで、駆け廻って居た弟が、「こらっ、こん畜生、この野郎。」と突然怒鳴り始めたので、そうした弟の怒号の声を聞いた私は、「義憲の奴、今度は何をやって遊んで居るのかな。」と薯蒔きの腰を伸して怒号する弟に目をやると、弟は馬齢薯の種を置いてある、一番大きい切株の側で、それまでは馬にして喜んで遊んで居た柳の木を振りかざして喚いて居たのであった。
 
 その時の私は、おかしなことをやる奴だなと思ったので、なおも弟の行動を見守って居ると、弟は振りかざした柳の木で足下の大地をバシッと叩いては、「こん畜生」と怒鳴って居るのであった。
 


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