aya の寫眞日記

写真をメインにしております。3GB 2006/04/08

履歴稿 北海道似湾編  古雑誌と次郎 7の2

2025-01-29 15:20:30 | 履歴稿
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履 歴 稿  紫 影 子
 
北海道似湾編
 古雑誌と次郎 7の2
 
 その頃愛奴の人達が着て居た衣服は、壮年以下の者は我々和人と同じ服装をして居たのであったが、老人のそれは和人の人達が着て居た物よりも遥かに立派であったように思えた。と言うことは、その人達が着て居た衣服が、藍色の特殊な模様を織り込んだ布を、和人の言う「あっし」に仕立た物を着て居たからであった。
 
 婦人も五十年輩の人達の髪形は、男子のそれと同じように肩までの長髪であったが、婦人は紫色に染めた布で鉢巻をして居た。
 
 私は次郎の兄弟のことについては、詳かでは無いのであるが、彼の兄に八郎と言う、当時既に青年に近い人が居たことを覚えて居る。そしてその八郎と言う兄の他にも兄弟が居たようではあったが、私にはその人達の事は何も判って居ない。
 
 私の記憶に残って居るのは、始めて訪れた私を彼の両親が、昔ながらの服装でとても喜んで迎えてくれたことであった。
 
 「綾井さんのニシュパ(愛奴語であるが、旦那と言う意味)は未だ逢ったことが無いのだが、うちの次郎が皆からとても可愛がって貰って居るんだってなぁ。今日は俺のうちでもうんとご馳走をするから、次郎とゆっくり遊んで行ってくれや。」と彼の父は、とても嬉しそうに私の頭を撫でてくれた。
 
 その時次郎が横合から、「義章さん、お前馬に乗ったことあるか。」と突然私に呼びかけた。
 
 
 
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 「いや、俺はなぁ、馬には未だ一度も乗ったことが無いんだよ」と、私が答えると、「そうか、それなら今日は二人で馬に乗って遊ぶことにするか。」と、次郎が言ったのだが、次郎の家には厩舎らしい建物が見当らないので、私が「オイ、お前とこの馬は何処に居るんだ。」と不審に思って尋ねると、ニコッと笑った次郎が、「心配するな、俺について来い。」と言って次郎が、土間へ降りて表へ出たので、私はその後に続いた。
 
 次郎の家から更に五十米程行った所に、当時としては立派と言える構えをした柾葺の家の裏に在った厩舎に次郎は、私を連れて行った。
 
 「小石川のニシュパ、俺は次郎よ、役場のなぁ、綾井さんの子供がなぁ、今まで一度も馬に乗ったことが無いんだとよ。その子供がよ、今日俺の家さ遊びに来たんだよ、だからこれから一緒に乗って遊びたいんだ。農用の鹿毛を一寸貸してけれや。」と裏口から呼びかけると嘗ては、この辺の酋長であったと言う老人で小石川トノサムクと言う人が出て来て「そうか綾井さんのセカチ(愛奴語であって子供と言う意味)か、うちの鹿毛はおとなしい馬だけどなぁ、次郎、お前気をつけて行けよ、怪我をさすなよ。」と言いながら、馬の準備を整えてくれた。
 
 小石川老人が引き出して来た馬は、当時農用と一口に言って居たのだが、とても肥満体の馬であった。
 
 次郎は巧みな手練でたて髪を摑むと、いとも鮮かに馬上の人となったのだが、私には幾度試みても、馬の背には乗れなかった。
 
 そうした私を、傍で見て居た小石川老人が、見るに見かねて私を馬の背へ抱きあげてくれた。
 
 「次郎、お前はあまり馬を飛ばすなよ。それから綾井さんのセカチよ、お前はしっかり次郎に摑って居るんだぞ。」と私達二人に忠告をする小石川老人の声をあとに乗鞍の無い裸馬の背上の私達二人は、似湾沢に通ずる神社前からの道に出て鵡川川の渡船場へ、次郎が馬を進めた。
 
 
 
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 「次郎、お前何処へ行くつもりよ。」と言う私に、「似湾沢さ行って、イチゴ食ってくるべや。」といった次郎は、ポンと軽く馬腹を蹴った。
 
 馬は次郎の合図でパカポカと駆け出したが、馬に始めて乗った私は、馬の駆ける反動に、ポンポンポンと弾機仕掛の人形のように、馬の背で踊って今にも振落されそうなので、必死と次郎の腰にしがみついて居た。
 
 「オイ次郎、俺なんだか腰が落着かないので落ちそうな気がするんだが、大丈夫だろうか。」と言う私に「何を言って居るんだい。大丈夫だよ、俺もなあ始めはそうだったのだが、すぐ何とも無くなるよ。ビクビクしないで俺にしっかり摑まって居れよ。」と平気で言い放った彼は、「チッチッ」と口を鳴らしては、軽く馬腹を蹴って馬を追い続けた。
 
 「義章さん、それでは駄目だ、体全体の力を抜くんだ。そうして両足をだらりとするんだ。」
 
 「まだ駄目だ、もっと肩の力を抜けよ。」
 
 「足がまだ堅いぞ、俺のようにぶらん、ぶらんにすれよ。」と熱心に、適時に適切な注意を次郎がしてくれたので馬が、一粁程走った頃には、それまでポンポンと馬の背に尻が弾んで居た、私の馬上踊りは止んだ。
 
 「オイうまくなったなあ。もう大丈夫だぞ。馬に乗ることを覚えるのはなあ、裸馬から馴れるのが一番良いんだぜ、裸馬に乗れるようになったら鞍掛馬なんか屁の河童さ。」と次郎が言った時に私達は、渡船場に着いた。
 
 
 
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