ここでは、社長 (寺川 勲雄) の介護日記を掲載しております。
現在進行中の介護です。はじまりは2007年ですが、近年のものより順次載せております。この介護日記は、みのりホームの 「ティータイム通信」 にて掲載し続けているものですが、ぜひこちらでも紹介したく、掲載の運びとなりました。
※今回は、2009.2月号に掲載の内容です。
逝く。と言っても、うちのおばあちゃんの事ではない。私が敬愛する知人のおばあちゃんんの事である。
その知人のお宅へ伺った時、おばあちゃんが出てこられて畳にキチッと両手をつき、こちらがタジタジとなる様な上品な挨拶をして頂いた。
かつて知人からは、認知症が出てデイサービスやショートステイに通っていると聞いていたので、想像していた姿と随分違うので大変驚いたものである。
奇しくも、このあばあちゃんと我家のおばあちゃんは大正8年の同い年である。
生まれと育ちが良いと認知症になってもかくも違うものかと感心させられる。
さればもはや我家のおばあちゃんには望むべきも無いが、せめて自分の老後は品の良い老後を目指してと思うけれども、我が身に浸みついたものはどう頑張っても無理だろう。
そのおばあちゃんがこの夏逝ってしまわれた。
焼香の時遺影を拝むと、なんと遺影が揺れている。視線をそらしてもう一度見てみるが、やはり揺れている。自分の体調のせいとも思うのだが、きっとあの律儀なおばあちゃんが、また丁寧な挨拶を返していただいているのだろうと思って、自分を納得させた。
知人はつきあいの広い人であるが、葬儀は殆ど身内だけで済まされた。故人を偲ぶと云う点で、我家もその時はそうしたいと思っているが、本人は時々「早くお迎えに来て欲しい」と云うけれど「それじゃあどんな葬式がいい?」などとは、いくら親子でも聞きにくいもので、本人の意思は確認していないが、さて、どんなものだろう。
それと写真も必要だ。うちにはその時用のおばあちゃんの写真が無い。
その時は喪主として挨拶もせねばならぬが、知人の様な立派な挨拶も自信が無いし、何をしゃべればいいんだろう。
それにしても、うちのあばあちゃん、最近の病院の検診では、血色も良く特に問題無しと医者の太鼓判、貧血も改善されて薬を減らす処方が出た。
この調子だと100才は大丈夫かも。
「あれ、そうするとひょっとして、私のほうが先に逝くかも・・・」