ブロブロガー@くつログ

Proと呼ばれたい...そして日々悪戦苦闘する
Brofessional な職業人の安息の日誌

◇善悪の彼岸を再考する~白熱ブログ@くつログ[第1回]

2011-02-04 | 哲学
> 「平成の開国」およびTPPへの参加問題に関連して,「ナショナリズムVS
> グローバリズムの相克」について,今流行りの「ハーバード白熱教室」のマ
> イケル・サンデル教授風に考えてみよう,と云うのが前回の宿題でしたよね。


そうですね。。。もう,考えはまとまりました?
結構,奥が深いし,厄介な問題だと感じるのですが…?


> 先日,「白熱教室JAPAN 千葉大学」の第四回目の講義をテレビで見ていて,
> 少し面白い議論を耳にしたのですよ。。。


「ハーバード白熱教室」の日本語吹替え版の解説を担当した,小林正弥教授
講義ですね!


> そう言えば,千葉大って,Broの母校でしたよね…?
> Broは専攻が経済学だから,小林先生が教えている法経学部のOBじゃん。。。


私の在学時代は,未だ学部組織は「人文学部法経学科」でしたけどね。

> そうそう,伊東光晴先生が教鞭を執っていた時代でしたよね…たしか…
> ちなみに,Broは「公共哲学」の単位も取得したのですか?


いや,当時は未だ「公共哲学」の講義自体が無かったですからね。
「公共政策」も,未だ「経済政策論」として,伊東先生から教わりました。
ミクロ経済分析の手法を主に利用して,公共政策の経済効果等を功利主義的に
アプローチする方法が中心だった様な気がします…
尤も,私は「日本経済史」のゼミでしたので,当時,政策論には関心が薄かっ
たですけどね,中曽根政権の下で土光臨調が設置されて,行政改革が強力に推
進されつつあった時代でした…JRやNTTの民営化も,この時代の事ですよ。
伊東先生は,論壇だけでなく,中央官庁でも大きな発言力を以ていましたから,
当時の官僚達の政策思考にもかなり影響を与えたはずですよ!

> ‘80年代初頭は,米国では共和党のレーガン政権時代ですから,リバタリアン
> 達が日米ともに力を発揮した時代ではないのですか??


日本でリバタリアン達が主流になるのは,小泉改革以後の事ですよ。
元来,日本国憲法自体が,とてもリベラルな自由主義思想ですものね。
当時の日本では,「福祉国家」の政策理念を切り捨ててはいなかったので,
「最大多数の最大幸福」を政策的に如何にローコストで達成するのかと云う方向
に議論が向かった
のだと思います。


> 成程,日本国憲法の理念の下で,功利主義的な費用対効果分析で以て,公共
> 政策を論じていた訳ですね。。。
> バブル後’90年代に累積した巨額の財政赤字を背景に,その伝統を打ち破って,
> 「福祉は悪」的なリバタリアニズムの理念を導入したのが,小泉改革だった
> と云う訳ですね!
> そして,リーマンショックを経て,現在の民主党政権が登場してから,「最小
> 不幸社会」が「貧乏な福祉国家」の政策理念として掲げ直された訳だ。。。


厳密に言えば,民主党の理念ではなく,菅内閣の政策理念だと思いますけどね。


> ちなみに,「公共哲学」の様な,思想・哲学系の講義は無かったの??


法経学科と人文学科が一体化した学部編成でしたからね…
哲学・心理学関係の講義は人文学科の方が担当していて,政治思想ではなく,
もっぱら「認識論」「科学哲学」「実験心理学」等が中心だったと思う...

> そうだ,当時「頭の体操」の多湖輝先生が心理学の看板教授でしたよね!


当時私は「経済学の科学性」と云う事に大きな疑問を感じていたので,「認識論」
「科学哲学」の方面に興味を抱いていました。
以前,この「@くつログ」でも紹介したカール・ポパーや,トーマス・クーン
「科学革命の構造」を読んだのもこの頃でしたし,ノーム・チョムスキーの
言語学理論にも,この時期,英文の原書で触れていました。
残念ながら,その学問的意義が全く理解できていませんでしたけどね。。。
後にコンピューター・メーカー企業に就職して,ICOTの第五世代コンピュータ
開発プロジェクト人工知能の研究開発を見てから,生成文法理論の革命的な
意義に目覚めましたっけ…「後悔先に立たず」の典型ですけどね!


> 学生時代に,もっと勉強しておけば良かったと悔んだ?
> 昔は,哲学って「食えない学問」の代表格と信じられていましたものねぇ…
> でも,コンピュータ・サイエンスのおかげで,哲学が身近になりましたよ!
> ちなみに,この「@くつログ」では,2005年のスタート当初から,白熱教室
> 風の対話型の議論形式で一貫して来た訳ですが,Broはスタート当初からサン
> デル教授の政治哲学の講義を意識していた訳ですか...?


対話型の議論形式は,ギリシア時代の哲学者ソクラテスが元祖ですよ。
『産婆術』と呼ぶのですが,私はソクラテスの方を意識したのです。
ハーバード大学のマイケル・サンデル教授を知ったのは,YouTubeにハーバード
の講義内容が公開されてからです。


> じゃあ去年,この「@くつログ」の記事で紹介した時の事ですね。
> でも,今回のサブタイトルで『白熱ブログ@くつログ』とつけたのは,明ら
> かにサンデル先生の方を意識した訳だ。


ところで,「白熱教室JAPAN 千葉大学」の第四回目の講義の話に戻りますが,
議論内容の,どこがそんなに興味深かったのですか…?


> 主要テーマとしては,「ウィキリークスを議論する」と云う内容が第四回目の
> 議論の軸だったのですが,関連して,例の「尖閣ビデオ流出問題」が話題に
> なっていたのです。
> サンデル教授的なコミュニティ志向と「共通善」と云う道徳主義への回帰
> 伴に,ここで問題になったのは,海上保安庁と云うコミュニティの一員であ
> る保安官が,コミュニティのルールを敢て無視して,「日本国民の知る権利」
> に奉仕する国家公務員本来の目的意識と使命感を優先して行動した事実につ
> いてです。
> 「この行為は果たして正義か?」が問われた訳です。


なるほどね…
海上保安官は,海上保安庁と云うコミュニティの一員であると同時に,日本国
のコミュニティの一員でもある訳ですから,この行為の決断には,深刻な道徳
的ジレンマ
が内在している訳ですよね…
法的な面の問題点では,ビデオ映像の機密性の部分にあった訳ですけれども。
しかし,彼は「大義に殉じる」と云う,日本古来の倫理観に従った!
土佐藩を脱藩して,日本国民として国益に奔走した坂本龍馬の行動とも,形式
的には相通じるものですよね。
そして,最近の例では「たちあがれ日本」を離党してでも,日本の財政健全化
の方針に殉じる覚悟を決意した,与謝野経済財政相も同様だと,私は感じます。

> 与謝野さんのケースについては,異論も多々ありそうですけどね…とにかく,
> この種の「道徳的ジレンマ」の構造は,「ナショナリズムVSグローバリズム
> の相克」の議論にも適用可能だと感じませんか??


えっ…それでは「大義に殉じる」のが妥当との結論ですか!?
しかし,これまでの事例では,「大義=ナショナリズム」の側ですよ!
「ナショナリズムVSグローバリズム」の場合,どちらが「大義」なのですか??


> 即ち,問題の核心は大小では無く,どちらの側に自己のアイデンティティの
> 由来をより強く意識するかと云う,「認識論的次元」に帰着する訳でしょう?
> 実際,小林先生もコミュニティ認識と帰属意識の間に在るダイナミズムにつ
> いて,講義の中でも若干言及していました…


「認識論的次元」の問題ならば,以前,靖国問題について考えた際に,「歴史認
識の相対性理論」にまで議論が発展した
のと同様,「認識の相対性」に留意する
必要がある訳ですよね…
「普遍的な正義観」ではなく,「相対的な正義観」に後退する訳ですか…?
では,再びニーチェの「善悪の彼岸」の世界へと回帰する事になるの?


> Broは,ニーチェの哲学も読んでいるのですか?


ニーチェや,夏目漱石の作品群は,高校時代に好きで良く読んだ本ですが…
振返って見ると,「道徳性と云う制約ないしは暴力」に対峙する,自由な人間性
の非理性的な本質に対して,憧憬に近い感情を抱いていた時代もあった訳です。
「善悪の相対性」について想い,結論として「正義とは力なり」と云う俗論を
信じていた青年時代でした。
ニーチェの「悲劇の誕生」では,非理性的,「ディオニュソス的」な力強い生命
力を讃美しているのですが,特に芸術家などが創造的な仕事を行うエネルギーの
源泉は,決して理性的な力などでは無く,エゴイズムに近い本能的な獣性の生命
力なのだと感じました。。。とどのつまりは,反理性的な道徳破壊の哲学ですよ!


> う~ん…
> 昔から在る,「個人VS共同体」または「個人VS国家」の相克ですね…
> では次回,小沢さんの「政治とカネ」問題を題材にして,このテーマについ
> て考えてみましょうよ!



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