箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著
「病の時に読む言葉」⑰ あなたの生命は、何世紀も何十世紀も、さかのぼることができるのだ。
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唯物論者や科学万能者達の歴史の古さは、遺跡の石碑や化石の存在が全てであり、その他の物は邪推であって歴史には採用できないものだとする信者である。
そして、さらに古い化石が発見されると、歴史が塗り替えられるという、後手後手の決め方である。化石でしか歴史を証明する手段を持たないから、歴史学が停止するのです。化石が見つかる前も、真実なる歴史があったのですから、邪推扱いするのは、人類の魂としては何も学ぶ姿勢がありませんね。
人類はアメーバーから生まれたとするならば、今もアメーバーが存在するのは? 猿が進化したものであるとするならば、今の猿が、じっと観察すれば、アメーバーから次なる生物へと、猿から猿人へと変化する現象があるはずですね。
人間は生まれる時に、過去の記憶を忘れさせられて、魂の磨きの前提となっているのです。この前提を知らなければ、記憶から外れた過去の事は、子文書や遺跡や化石に頼るしかないのです。
でも、あの世に還ると、過去の記憶が戻り、前世どころか前々世、そのまた前々世と分かってくるのです。生きている間に、この事実を知るには仏法真理を学ばない限り分からないのです。単なる一つの知識としてしか記憶していたとしても、あの世に帰って、真実のことだったと魂の奥深いところで納得するのです。これが、見えないものを信じる、そして、体形的に説明されている仏法神理を信じる事が、この世を創られた神様の考えと一致し、悩みも苦しみもすべては魂の磨きとなって、幸福な人生を歩むことができるのです。
信じない自由を選べば、事実と違った思いの結果は自己責任という因果の理法によって、苦しみの地獄へと行くわけです。
あの世の事を説明するのは、宗教の役目ですが、邪教もありますから、正しい選択をする知識も必要です。
何が正しいかを因果の理法から結果を類推してみることです。推測する範囲を広め、深さをさらに深めるには、仏法真理を学ぶしかないのです。
目に見える範囲だけの考えでは、人間(魂)の真実を理解するのは不可能なのです。