知らないと幸せでいられる。
知ると不幸せになる。
そんなこと一杯あるよね。
全て自分の頭に入れて把握するなんて無理。
それをしたいと思うことがもうお門違いというか・・・なんというか。
相手を信頼する。というのでもなく。
相手を不信に思う。というのでもなく。
祈り。
具体的に、例えば受験や就職試験に合格しますようにと祈る。
知らないでいるあいだは、ただただ祈り続ける。
どうぞ上手くいきますように、どうか全力を出し切れますように。と。
そして、吉報を待っている。
知らないでいる時間は、なんと不安でなんと心細いことでしょう。
かたや当事者。
合格という結果が出た。
しかし、なんらかの事情で連絡が遅れる。
待っている者は、ずーっと祈り続けている。
不合格か・合格か。その時点で祈る者にとっては、想像することしかできない。
悪いように考えてみたり、喜びの準備をしたり。。
ここで、結果は、もうすでに当事者には合格と出ている。
しかし、知らない者は知らない。
そして、やっと連絡が入り、合格したという喜びが自分にも湧き上がる。
祈りが叶ったという実感。
というか、祈りが通じたという思い。
だけどそれは、とうに分っていた事実がある。
祈っていた人が知らなかったというだけ。
どこでどんな事故や災難に遭うか分らない。
今の時代すぐに、情報は伝わる。
病院から・警察から、家族のもとに伝えられる。
だから、そんな通達が無い以上不安に思うことも心配する事も無い。
知らせの無いのは無事な証拠とは良く言ったもので。。
やみくもに心配するのは、身体に毒。
祈りつづけていくのも、自分の満足以外無いのだろうか・・・とふと思う。
祈りが叶ったのではなく、知らせが来るのが遅かっただけ。
祈っている者と当事者の時間的ずれのため。
合格したと聞けば、祈りが叶ったと思う。
先日。
私の妹家族が珍しく我が家にやって来た。
本当に珍しいこと。
旦那さまの出張で行った先のお土産を持ってきてくれた。
それが。
以前にも書いた妹の長男坊。今年定時制の高校を卒業するだろう甥っ子。
彼が運転をしてきたのだっ。
信じられるだろうか。
つましい生活の中、自分出バイトをして教習を受け、車まで買ったという。
びっくりだ。
私の知らないところで、みんな成長している。
いつまでも、小さな甥っ子じゃない。
いつまでも、同じ環境で留まっていない。
みんな、前へ前と進んでいる。
そう実感した。
これで私の荷も下りたような気がした。
なんの援助もしたわけじゃないけど、心配な妹家族だった。
それが、息子の運転する車に乗って家族でうちに遊びに来られるようになっていたなんて。
それは私の祈りが通じたのだろうか?
それは私の祈りが叶ったのだろうか?
違うょね。
妹家族のみんなが頑張っていた結果なんだ。
知らない時点での祈りは、なんだったんだろう。
結果の出たあとまで祈り続けていたのは何なんだろう。
時空の悪戯とでもいうのか。
途中経過を教えて貰えなかったのは、私への何の配慮だったんだろう。。
昨日。
遅まきながら、長男よりプレゼントを貰った。
何が良い? 言ってもらわないと分からないよ、と訊ねられても、何もいいよ。
満足だよと答えていて。。
(*≧m≦*)
長男も望むものになった。
美味しいご飯の炊けるもの。
これがプレゼントだぁぁ。。
一緒に家電量販店へ行き、ああだこうだと吟味して決定。
値引きされていたうえに、更に値引きをしてもらった。
祈りって、目の前ですぐに叶うのが・・・・良いょね。。^^