地域によって様々でしょうが、ここでは、こんな感じの盆棚を作ります。
決まりごとはあるのでしょうが、義父の思いを飾り付けたものです。
こういう写真を撮ったのは初めてです。
今年は記録と思い撮ってみました。
従兄弟2夫婦。義父と義父の弟。主人が買い物に出ている時に記念撮影。
全員が揃ったところで、持ち寄りのおつまみが更に並びました。
このまま夜中の2時まで宴は延々と続きました。
義父と伯父さんは、早めに就寝し、残る従兄弟同士は、自分たちの親への思いを話したり、体がどこそこガタがきている話したり・・・
それぞれが年を重ねてきて、親の若かった頃・威勢の良かった頃の話しをして、当時は嫌だったことも今、自分の子供たちを通して、その有り方に理解をしているような話になっていきました。
それでも、それは皆血のつながりのある者同士の暖かな話。
やはり、その中いても、嫁という立場の女性陣は、全て同感ではなく、酔っ払いへの同調で頷いていると感じました。
主人が義父と距離が出ていると感じている最近の私ですが、その原因となる出来事があったようです。
それは、当たり前といえば当たり前のことで、私としては、今さらそんなこと、という感じと、へぇ、初めてそんなことを感じたのか、という気持ちでした。
義父は、自分の老いにイライラしていて、耳が遠くなっていることで疎外感も感じているのかもしれない。
私に対しては、生意気な口を聞きやがって。と一喝したことを、自分の息子にもしたという。
何度同じことを説明しても、耳に入らず、ただ分かった風で、体裁を整えるだけの自分の父親に腹立ち、耳の中にまで入るようにと大きな声で話す息子に、「喧嘩づらでなんだその態度は!」と言われたそうです。
もう何事も必死で言うことは止めた、一度説明して分からないならそれで良い、自分は1度説明したんだ、義務は果たしたからそれ以上はもう止める。というのが主人の言い分でした。
それからというもの、しつこく義父が納得するまで話しをすることがなくなったというのが理由のようでした。
私は、今までとなんら変わっていない、理不尽な怒りをぶつけてくるのは今までと同じだと咽喉元まで言いかけていましたが、言う必要はないと話を聞いているだけに徹しました。
今更、主人が義父のそういうところを見たり言われたりしたとしても、親子ですから、私がそれに対して、自分は長年そうされてきたと言っても、理解するとは限らない。
ただ、やっとそういう感情を経験したのか・・という思いでした。
今朝。牡丹餅を握り、供え、朝食の用意をする。
班内の新盆2軒を廻る。
面白いことがあった。。
我が家が檀家となっている寺の住職が玄関先に。
ご挨拶も簡単に上がりこみ、盆棚に向う。
私は、初めてのことで、義父が頼んだのか・・? と思い、確認すると、知らないという。
読経が始まり、ますます、???なこと。
へ? もしかして、前の家の新盆に来たのではないかと、前の家の旦那さんを呼びにいった。
その通り。。住職が家を間違えたらしい。。。
これはこの夏の漫画のような出来事の1つとして、語り継がれてしまうね。。
そんなこんなで、お昼のお供え物を上げ終えると、睡眠不足のせいで、気持ちの悪さがあって、仮眠も取るがなんとも、意識朦朧という感が抜けきれない。
泊まった従兄弟達・伯父さん・義父も親戚の新盆に出かけた。
その後、違う兄弟の家に行くまでまた我が家に戻ってくる。
主人の弟・妹は来ない。義父の兄弟が居ることを承知でかち合うことをなんとなく避けている。。それは毎年のこと。
やっと夜。夜のお供えを上げ終えて、今日が終る。
まだ、明日・あさってとお盆は続く。
庭のもみじの木で、つくつくほうしが鳴く。
「おーしんつくつくおーしんつくつく、もーいいよーもーいいよーもーいいよーー」って。