猫だから

2004年9月。
変な模様のあんまり可愛くない子猫が迷い込んできた。
予想通り溺愛する自分にあきれつつ。

どれ猫

2007-02-22 21:46:10 | 
最近の、たらのあだ名は「どれ」である。

「どれちゃん」とか。

理由は「どれ」と言うと鳴くからだ。

たらが膝に乗っているのを、仕事に行く時間が近付いてきたり

夕飯の支度をしようとして膝から降ろすときに「どれ」とかけ声をかけるのだが

そのことに気付いたたらは「どれ」と聞くと抗議の鳴き声を上げるようになったのだ。

それが面白くて別に用もないのに「どれ」と声をかけて遊んでいるうちに

あまり反応しなくなってしまった。

ごねんよ、だまして。
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少なくともわたしは幸せ

2007-02-06 17:50:10 | 
猫の恋の季節だ。

近所の猫がわおわおと鳴き、たらも気になるらしく出て行くがすぐに戻ってくる。

ふられたの?ふったの?

たらは関係ないもんね。

動物の本能はセックスをして子供を産むことで、それが一番の幸せだから

自分は飼い猫の避妊をしないんだと、猫殺しの作家は言ったが

わたしが前に飼っていた猫は、避妊をしなかったが子供を産まずに11歳で死んだ。

まったくさかりがつかなかったのだ。

オス猫が来ると、怖い顔で追い返した。

しかし迷い込んできた子猫には優しかった。

たらの避妊をするときに、わたしの勝手ですまないという気持ちはあったが

たらと暮らすためにはそうするよりなかった。

それをエゴと言われるのはかまわない。

動物と暮らすのなんて、元々エゴでしかない。

ただ、産む性でありながら産む能力のなかった前の猫を思うと

セックスや子作りという本能だけが動物の幸せではないと思うのだ。

人間にも言えることかもしれないけど。
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