猫だから

2004年9月。
変な模様のあんまり可愛くない子猫が迷い込んできた。
予想通り溺愛する自分にあきれつつ。

きっといつか

2022-03-08 15:08:33 | 
新聞で高校生の投稿を読んだ。

飼っていた動物に、つらい治療を受けさせたことを後悔する内容だった。

病院が嫌いなのに連れて行ったこと。

腹水がたまったのを針を刺して抜いたこと。

最後を家で看取れなかったこと。

ほぼ、わたしと同じだ。

だがきっと、投稿者も分かっていたと思う。

そうしなければしなかったで悔いが残ったであろう事を。

ベストな選択ではないことが分かっていても

治療に一縷の望みをつなぐしかなかったことを。

自分を責めても後悔しても、取り返しがつかないこと。

一緒に暮らした日々がもう戻っては来ないということ。

どんなに輝かしい時間をくれたかということ。

何年経っても、今だって泣けてくるんだ。

その子は苦しみの中にはいないんだと思うことでしか

安らかな気持にはなれないと、いつかは気づくから。




仕方のないこと

2022-03-02 22:42:35 | 
久し振りにタクシーに乗った。

一時期、頻繁に利用していたので

顔見知りの運転手さんが数人いる。

今日の運転手さんもその一人だったのだが

顔を見て(また聞かれるんだろうな)と思った。

果たして「猫ちゃんは元気ですか」。

やっぱり。

前に乗ったときにも、その前にも同じ事を聞かれ

同じ返事をしているのだ。

「死んじゃったんですよ」

今日は「もう3年半になりますかね」と付け加えた。

すると「ああ、もうそんなになるの。

じゃあその後、ずっとお客さん(わたしのこと)を乗せなかったんだね」

悪気はないのだろう。

毎日たくさんの人を乗せているのだし。

でも何度も聞かれて同じ返事をするのは

悲しくはないけど、だるいのだ。

頻繁にタクシーを利用したのは猫を病院に連れて行くためだ。

車が嫌いなのに何度も車に乗せた。

つらい治療を受けさせた。

でも、自分を責めることはもうしない。

いつも最善が選べるわけではないことと

それを選ぶしかないって事があるのを

もうわたしは知っている。

その運転手さんも猫を飼っていたという。

もしかしたらわたしの猫に元気でいて欲しいという思いが

何度も同じ質問をさせるのかもしれない。