161121 長寿社会への道 寿命100年時代とプレシジョン・メディシン
小泉進次郎氏は、若いがずばずばと本音を述べ、将来を見据える議員の一人とも評されています。私も意見は違っても期待している一人です。その小泉氏、去る11月8日早稲田大学で、学生を相手に、2020年以降は「人生100年を生きる時代」として、新しい社会保障制度の提言を熱弁したようです。(ニュースソクラ 11/8(火) 11:00配信を要約します)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161108-00010000-socra-pol
それは、「20年学び、40年働いて定年を迎え、20年の老後を過ごす」ことを前提に設計されたいまの労働法制や社会保障制度は持続できなくなるとして、新たな提言を3つの柱で説明しています。
一つめは「勤労者皆社会保険制度」の創設。社会のグローバル化、IT化により、人材が流動化し働き方が多様となる社会では、雇用形態を問わず勤労者全体にセーフティネットを張り巡らすことです。共通する哲学は、「自助を最大限に支援する」ことです。
二つめは「人生100年」にむけた年金制度改革。今後、AIやロボットなどの技術革新により、高齢者はより長く働くことが可能になるため、支給開始年齢の引き上げ議論と合わせた「長く働くほど得をする」年金制度への改革。
そして三つめは、「健康ゴールド免許」の導入。健康管理に努力した人、つまり国の医療費削減に貢献した人にはゴールド免許を与え、診察料の自己負担が一部軽減されるという仕組み。
それぞれ新しい時代変革に備えた一つのあり方かと思うのです。ただそれは政治家らしい制度論かもしれません。人の心に響くかどうか、気になるところです。その講演の中で、いろいろ質問がでていますが、ある学生は「そもそも100年も生きたくない人は、どうすればいいのか?」といった質問を投げかけています。小泉氏は「IOTやロボットなどのイノベーション」を前提に新しい100歳の姿を肯定的に描こうとしています。それはそれで夢がある話しといえるでしょう。
もう一つ別の観点を取り上げてみたいと思います。昨夜のNHKスペシャルは、“がん治療革命”が始まった~プレシジョン・メディシンの衝撃~とのタイトルで、がん治療最前線を、がん発生因子である遺伝情報を個人毎に集積解析し、その問題遺伝子に適合する「免疫チェックポイント阻害薬」「分子標的剤」を選択投与し、副作用が少なく、がん細胞の縮小、延命化に飛躍的な実績を残してきた最近の治療実態を報道していました。
http://juntarouletter.hateblo.jp/entry/2016/11/20/235735
これまた結構なことで、AIの発展など、技術革新は、医療分野を含め多方面で大きな効果を収め、それが痛みの軽減に止まらず、延命・長寿化を促進することになるでしょう。
で、それはほんとうにいいことなのか、気になっています。政府が、行政が、あるいは医療や社会保障の機関が、その担っている役割について、長寿化を最大目標、ある意味、最大幸福として、邁進することは、組織としての必然かもしれません。
それはまるで、秦の始皇帝が永遠の生命を求め、徐福に命じて空想の蓬莱山を探させたことにつながる、何か人間の尊厳・生命の機微に触れないのか、という懸念が湧いてくるのは私だけではないように思うのです。あの小泉氏に質問した学生も多少類似の気持ちが湧いたかもしれません。
なぜか、始皇帝が莫大な金を投じて、蓬莱山調査をさせ、と同時に、兵馬俑を含む始皇帝陵を建設させた考えは、個人的な欲望に過ぎず、現代の長寿化思想とはまったく質を異にするもので、比較すること自体問題であることは承知しています。しかし、このような施策は、他方で、無数の人々の貧困、飢餓、絶望を見落とすことになるという観点では、なにか共通する思いをぬぐえません。日本単独で考えてもそうですが、もしグローバル社会を考えるのであれば、途上国のそれを無視したまま、自国だけの理想とならないか懸念します。アメリカ・ファーストと同様、ジャパン・ファーストは、地球という一つの惑星に生きる人というレベルでは、慎重な選択が必要ではないでしょうか。
より重要なことは、個人一人ひとりは、より重要な選択が許容されることこそ、もし成熟社会における人のあり方を考えたとき、極めて重要なファクターにならないのかと思うのです。むろん健康管理を持続的にした結果、あるいは天寿として長生きできた人がいれば、それは慶寿でしょう。しかし、長生きこそ絶対として、その制度化を進めることは、それを拒否する自由を奪わないか、気になります。
とはいえ、たとえば、90年代、アメリカ各州がたばこ産業を相手に、過大な医療費増大の原因がタバコの有害性・その不当な誘因広告などを理由に何兆円の懲罰的賠償請求を勝ち取る訴訟が頻繁したとき、わが国でも、同種訴訟を検討したことがありました(私がその一人でした)。しかし結局、健康被害を受けたタバコ病患者を原告とする訴訟を選択する意見が主流となり、前者はわが国ではついに日の目を見ないままとなりました(最近の状況はフォローしていませんが)。肺がんなど意図しない短命化の原因を作出している、あるいは過大な医療費増大をまねている産業があれば、その責任は追及されるべきと考えています。
また別の観点では、私自身、ある子宮体がんの検診診療を継続していた患者で、発見が遅れた結果、死亡された事例について、医師・病院に対し損害賠償請求の訴訟を提起し、勝訴的和解を勝ち取ったことがあります。これは当時、割合一般化しつつあったエコー検査を行っていたのですが、がん細胞を見落とした事案でした。病理検査も行っていましたが、適切な
細胞採取が行われていなかったことから、検査しても発見できませんでした。
この事例を見て、気になったのは、いくら技術が進展しても、技術を使うのは医師という人間です。見誤ることはありえます。と同時に、この病院では診察室はよくあるように、簡単なカーテンなどで仕切りされ、その前には多くの患者が待っています。そういう中で、がん告知が淡々と短時間で機械的に行われ、患者側に深い衝撃と医師への不信を抱いたことがきっかけです。これはがんセンターといった中核医療機関でもありえます。まだまだ医師・看護師の医療スタッフが人として、患者に向き合えているか、そういう側面への配慮を欠いている気がしています。
ところで、プレシジョン・メディシンについては、15年1月、オバマ大統領が一般教書演説発表したイニシアティブで、下記事項を内容とする2億1,500万ドルの予算を要求し、イノベーション促進を図りましたが、逆に白人や若者層に格差の拡大を意識づけた要因の一つだったかもしれません。
・がん治療の拡大・改善
・任意による米国の研究コホート作成
・プライバシー保護の確保
・現状に合わせた規則修正
・官民パートナーシップの拡大
言うは易く行うは難し、と自分なりの意見を書きながら、感じつつ、自分の立つ位置を見つめる日々です。
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