170525 馬と人 <科学の森 サラブレッド、なぜ速い?・・>を読んで
今朝は暗闇の中、雨音がしっかりと聞こえてきました。風がほとんどのないせいか静寂な雰囲気を醸しだし、闇夜の雨もなかなかいいものだと思いながら、子規がなにかひねっていないかしらとウェブ情報を見ましたが、闇夜となると蛍が出てきても、雨はあまりおつなものではないのでしょうか、見当たりませんでした。
たしかに5月末となると、蛍の季節です。ただ、闇夜というより、薄暗いうちからせいぜい8時過ぎ、せいぜい9時ころまでしか出現しないのが普通ではないでしょうかね。
ともかく明るくなって、杉木立を見ると、その前に流れるような雨脚はなんとも情緒があって、見飽きません。ただ、靄はそれほどでてなく、周囲がはっきりしているので、落葉樹の鮮やかな緑色がとても映えています。
今日は慣れていない登記申請を、事件がらみでやりましたが、司法書士にとっては朝飯前でしょうけど、私の場合はどうも苦手意識があり、終わるとほっとします。
そうこうしていると、もう4時を過ぎ、夕方は5時30分から会議があるので、このブログを仕上げておかないといけません。今日のお題もあまり関心を抱くものがなかったのですが、それでも馬は大好きなので、毎日朝刊<科学の森サラブレッド、なぜ速い? 進化で脚が長く、軽く…28日はダービー>を取り上げることにしました。
時間が1時間もないので、簡潔にしたいと思います。この記事は週末のダービーを目の前にして、科学的な視点でサラブレッドの速さの理由をわかりやすく解説しています。
たとえば<馬は速く走るために独特の進化を遂げた。その代表が、後ろ脚にある「第3中足骨(ちゅうそくこつ)」だ。人間の脛(すね)に相当するように見えるが、実は足の中指の骨。前脚にも同様の骨がある。中指だけが長く太くなり、他の指は退化した。その結果、脚全体の長さが増し、広い歩幅を確保できるようになったという。つまり馬は両手足の中指を支えに、爪先立ちで走っていることになる。まるでバレエダンサーのようだ。後ろ脚の真ん中の関節は膝ではなく、かかと。中指の爪に当たるのが蹄(ひづめ)になる。>
そうなんですね、足の中指の骨が脛のような脚部分になっているんですね。爪先立ちで走っていることになるとの指摘は、昔、同級生で足の速いのがいて(むろん桐生選手とは比べようがないですが)、普段歩くときも爪先立ちで歩いたのを見て、だから速いのかと思いつつ私にはできないなと思ったことを思い出しました。
そのほか、サラブレッドの心臓が巨大で、大量の血液を全身に回すポンプをもっているとか、その脾臓が大量の赤血球を蓄積できるとか、そのスピード強化のために、人為的に品種改良を重ねてきた成果を物語っています。
この点、アニマル・ライト・センターなどは、競馬馬などについて批判的な指摘をしています。事実そういう実態も一部にはあるかもしれませんが、元々日本人は馬を大事にして、家族のように暮らしていた歴史が長かったのではないかと思っています。
私は競馬にはさほど関心がないというか、ほとんど見ません。賭け事にはまったく関心がありませんし、どちらかというと狭い競馬場でスピードを競い合うこと自体に興味を抱けないのが正直なところです。ではなぜこの記事を取り上げるのかというと、競馬馬自体はその形状や顔立ちがとても美しく、魅力を感じます。
私が幼い頃、まだ田舎では荷馬車が使われていました。隣家にもありました。その馬は競馬馬だったものを買い取ったものでしたから、毛並みがつややかで顔立ちもよかったのです。私はいろんな動物が好きですが、とりわけ馬が大好きです。犬や猫とは比べようがないほど好きです。それは私がこの馬の餌やりを任されたりして、毎日世話係とまではいえませんが、一緒の生活みたいに過ごしていたからかもしれません。
で、時々、その馬に乗せてもらったりして、その一体感を味わってきました。犬や猫など以上に、とても人なつっこいという気がしていました。それと馬に乗って町を歩くと、これは気持ちもいいものです。それがもし草原や丘を疾駆できたら最高でしょう。
映画で高倉健が疾駆したり、馬を世話したりしているのを見ると、とてもあこがれたものです。とはいえ長いことそのようなチャンスに恵まれたことがありませんでした。
20年あまり前、カナダに滞在していた頃、乗馬のできる牧場を知り、何度も通ったことがあります。最初は草原を歩く程度ですが、次第に谷を降りたり、上ったり、大河のそばをギャロップしたりして、カナダの自然を馬とともに楽しむことができました。
で、こういう話をするのが目的ではなかったのですが、また脱線してしまいました。このサラブレッドの解説を見て、いま読んでいる宮本常一著『イザベラ・バードの旅』を思いだし、改めて確認したくなったことがあったからです。
それは日本の馬は明治以前小さくて貧弱だったのか、それともTVや映画で登場するような立派な馬がいたのかどうかという点です。
イザベラは、『日本奥地紀行』の中で、「日本旅行で大きな障害になるのは、蚤の大群と乗る馬の貧弱なことだ」と指摘しています。そしてこのノミと馬が繰り返し登場するのです。
この後者について、宮本常一は「馬の貧弱さなのですが、明治のはじめまでは、日本の馬は非常に小さかったのです。馬は原種というのは北アメリカで、多くの化石が出ているといいますが、それはロバより小さく、犬の少し大きいぐらいのものなのです。」(前著27p)と明快に認めています。この小ささについては鎌倉時代の馬の発掘骨などを詳細な指摘をしつつ、さらに次のように述べて明治以降の軍事的要請で大型に改良されたというのです。
「これは日本の封建制が遅れさせたこともあるでしょうが、やはり馬が小さかったわけで、馬が大きくなったのは、明治になって陸軍で馬を使うようになり、馬の改良をするよう
になってからなのです。」(前著30p)
ではどのくらいの大きさだったかですが、高さ(首の付け根まで)が130cm程度で、大きいので140cmということですから、ほんとにロバより小さいといってよいのでしょう。ひょいと飛び乗れる感じでしょうか。ほんとかなと思ってしまいますが、これは歴史的な史料で確立しているようです。
実際、それは日本だけでなく世界中がその程度の大きさだったようです。ダービーのような競馬の改良が進むまでですね。競馬馬は平均の高さが180cmというのですから、それは大きな違いです。
で、それだからといって、戦国時代の武田騎馬軍が優れていなかったかというと、そうではないと思うのです。騎馬を得意とする蒙古軍などの馬はいずれも小ぶりといってよいと思いますが、やはり強かったし、恐れられていたと思うのです。
そういえば兵馬俑には実物大の兵士と戦車と馬が残っていますが、兵士の身長はおおむね平均180cmくらいだそうですが、それと比べ、馬はかなり低いですね。中井貴一さんが案内役で兵馬俑の中をNHKで放映されましたが、そういう実感を得ました。
で、なにを書きたかったか、きちんと表現できたか不安になりましたが、もう時間となりました。今日はこれでおしまいです。
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