190129 永代供養と宗教 <本堂再興 興福寺貫首><NHKファミリーヒストリー▽伊東四朗><NHK拡大家族>などを見聞して
今日はうれしい発見がありました。図書館で何気なく書籍をスキャンしていたら、先般、私がまるで前方後円墳と指摘した場所が遺跡調査で古墳とされていることがわかりました。最近10年くらいは何かを見て古墳の形状を思い浮かべるくらいですから、ちょっと思い過ごしと思っていましたがばっちりでした。ただし、円墳で、方墳に匹敵する部分は別の遺跡だったようです。たしか霜山城趾だった記憶です。で、円墳はというと、上兵庫古墳ないし岡山古墳として比定されています。
歩く道というテーマは私の運動不足を補うために始めた思いつきのプロジェクト?ですが、私にとっては意外な発見(むろん私自身の)があり、毎回面白く取り組んでいます。この岡山古墳についてもいつか調査記録を読んでみたいと思います。なお、<遺跡ウォーカーβ 上兵庫古墳/岡山古墳>でも掲載されています。ついでにすぐ南方、紀ノ川河岸段丘の直上には、「血縄遺跡」があり、縄文時代とも言われていますが、別の文献では弥生時代のものとの調査資料もあり、いずれにしても古代の生活が偲ばれます。
その血縄遺跡に関係する民話があり、<隅田地方に伝わる民話>の筆頭に取り上げられています。興味深い地域です。中世・隅田党の武士団が活躍する以前、万葉時代に和歌の舞台になる以前、そして神功皇后が人物画像鏡を下賜するさらに前に、豊かな文化を彩る生活があったのかと思われるのです。
さて、古墳の話とは直接関係ないですが、永代供養の話を少しだけしたくなりました。こういった古墳は日本各地に膨大な数で残されていますが、その供養が永続的に今日まで続いているという話は聞いたことがありません。日本最大の仁徳天皇陵や次点の応神天皇陵(今回は通称?を使います)でもそうですね。
ところが、ほとんどの日本人は、宗派を問わず、むろん神道、仏教はもとより、キリスト教など異教?とされる宗教の信者も、おおむね供養という宗教行為を行っているのではないでしょうか。法要も当然ながらそれぞれの宗派、地域の慣習に従って行っているのではないかと思うのです。むろん最近は次第に簡略化される傾向にありますが、その顕著な例として永代供養があるのかもしれません。このような供養さえしないことは考えられないと思う人が普通かもしれません。
でもそれは宗教が要求していることでしょうか。だいたいキリスト教の信者も供養するというのですね。祈る行為は本来、イエスキリストに対してだけのはずですが、どういう祈りでしょうか。そういう意味では、仏教も釈迦・仏陀に対してさえ祈ることがどうかと思うことがありますが、あるいは宗祖くらいはと思うのですが、それが祖先崇拝ということで細かな法要ルールどおりとか、それができないから永代供養とかが最近広がっていますが、どうして供養にこだわるのでしょう。そこが私にはどうも分からないのです。
そういう考え方がおかしいと論難する人もいます。でも先祖崇拝というのですが、3代前くらいの先祖ですら知らない人が多いのではないでしょうか。それ以前となると、まったくどんな人かも知らないということが普通ではないでしょうか。
私は仕事柄、ときに4代以上前に遡る調査をしますが、その人柄までを理解できる資料に出くわすことは希です。せいぜい古文書があれば少し推測できる程度です。墓が残っている家も少ないと思います。明治維新以降、それまで個人墓か共同墓で遺体埋葬が主流だったのを、政府が家の墓制度を持ち込もうとしましたが、都市圏はともかく地方では従来通りで、火葬導入も地方では遅々として進まなかった記憶です。
共同墓(埋葬)だと、誰がどこにといった特定が容易でないですね。両親、祖父母まではお参りするかもしれませんが、それ以前の代だとどうでしょうか。
昨夜放映された<ファミリーヒストリー▽伊東四朗~思いがけず平氏と源氏 たどりついた喜劇の道>では、伊東四郎さんは祖父母になると少し知識が怪しくなり、それ以前は皆目見当がつかない印象でした。彼のことはてんぷくトリオ時代から知っていますが、あまり目立った印象がなかったのですが、役者として芸達者なイメージを持っていました。昔の同級生や仕事の同僚などの話だと、すごい記憶力だったようですね。演ずる役者の台詞をすべて覚えていたというのですから、なかなか努力家であり、芸への熱い情熱を感じます。
それだけの記憶がある彼も、先祖となると危ういのですね。藤原鎌足につながる伊藤という家系とか、源義経に仕える熊井なにがしという家来の血流とか、NHKもいろいろ調べるものです。きちんとした過去帳でフォローできたのかは知りませんが、飛鳥天平に遡ったり、そこまでいかなくても平安末期まで遡れば、誰もがなにかつながってくるのかもしれません。いや逆に遠くでは、などにたどり着くのかもしれません。
ともかく、私たちの血はたしかに連綿とアダムとイブ?からなんらかの形でつながっているのでしょう。でも先祖崇拝、血のつながりをどういう形で崇拝するのでしょう。それがいまひとつわかりません。いや分かる人、そういう秩序を大事にしようとする人は沿う会って欲しいですし、私もその理解を尊重したいと思います。しかし、そういう気持ちはひとそれぞれに委ねてはどうかと思うのです。
社会秩序やしきたり、慣習などで、なんらかの形で強いるものではないと思うのです。
興福寺中金堂の再興を祝う<そこが聞きたい300年の悲願、本堂再興 興福寺貫首 多川俊映氏>では、多川氏のことばが私なりに響いてきました。
興福寺は法相宗の大本山で、多川氏は< 法相宗の根本教義は「唯識」という考えです。一言でいえば、「私たちが今、見ている世界はすべて見ている人の心の反映である」「人間は自分が知りえた限りの世界に住んでいる」ということ。>というのです。そして <「唯識」の思想に立てば、お互いの違いを知り、尊敬しあい、自分にない違いを取り込むことで発展することができます。>と。
人間の認識を大事にすると言うことでしょうか、それは他の何者にも影響を受けない心を大事にすると言うことでしょうか。勝手な論理かもしれませんが、そこには祖先崇拝とか、さらには永代供養とかという考えはむろん本質的なことではないでしょう。
興福寺では、唐に留学して一切経を持ち帰った玄昉を日本人としてかず少ない宗祖の一人とされているとのこと。彼は奈良時代、一時代を作った政治力もあった僧侶ですが、最後は左遷され誰にも知られない形でなくなっています。長く弔う人もいなかったのかもしれません。
話は変わりますが、今朝のNHKで、「拡大家族」というテーマを取り上げていました。縁もゆかりもない何十人かの人たちが共同生活をしている様子を報道していました。親子も一組いましたが、ほとんどが単身です。それぞれ自室があるのですが、だれもが勝手に出入りするのです。そして話し合いでそれぞれが役割分担をするのです。食事や買い物、おそらく掃除、洗濯とかの家事でしょうか。そして可能な範囲で共同して食事をとるのです。一人の生活をエンジョイしつつ、暫定家族を演じるのです。それぞれの血脈家族と少し離れて。
こういった家族も成立していくのでしょうね。さらに発展するかもしれません。むろん死に至る過程、死後のあり方も今後さまざまな有り様を模索するのでしょう。それは私たちに多様性のある生き方、死に方を相互に尊重する社会づくりを受け入れる用意を迫っているように思うのです。
今日はこのへんでおしまい。また明日。
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