180925 宗教と信仰 <伊藤正敏著『寺社勢力の中世』>を読みながら
今日は久しぶりに病院に行きました。待ち時間を読書にと思い、最近は表題の本を持ち歩いています。少しずつ進んでいますが、一挙にまとめてというわけにはいきませんので、断続的なかたちで著者の意図を垣間見ています。
この医師の場合、残念なことに(いや、うれしいことになんですが)、待ち時間がわずかなことが多く、今日もそうで、なかなか読み進みません。
その後打ち合わせとか、調べものとか、問い合わせとかあり、今日はもうそろそろ出かける時間になりました。今日はすでに一本ブログを書き終えていますので、あえて書かなくても良かったのですが、このテーマなかなか面白くて、いつか書こうと思いながら、一向に一歩が出ませんでした。今日はともかくその一歩を踏み出して、できれば連載的に書いてみようかと思っています。
なにが興味を惹くかというと、やはり宗教とは何かということと人が何を信じるかと言うこととの間にある種大きな隔絶があるのではということです。いや、それはこの著作の本の一旦でして、さまざまと中世寺社の実態に迫る興味深い話が盛りだくさんで、面白いのです。
そして「境内都市」という特異な概念がもつ実態や「無縁所」というものの複層的な意味合いを解き明かすことも大きな眼目ではないかと思うのですが、私も適当につまみ食いをするような読み方をしているので、紹介しながら学んでみたいと思っています。
今日はその一つ、「ダイシ信仰」を取り上げたいと思います。私たち日本人は、聖徳太子、弘法大師(空海)、伝教大師(最澄)をタイシとかおダイシさまと親しく呼びかけることが多いかと思いますが、それぞれどのような宗教を生み出し、広めたか、理解している人は少ないと思います。
私は以前からそれを不思議に思っていたのですが、それが日本人の信仰であり、宗教観ではないかと、そのように伊藤氏が喝破しているようにも思えるのです。この3者、なお、最後は最澄の弟子、元三大師良源のことをいうようです。
いずれにしてもダイシ信仰(聖徳太子も含む)はだれもが親しみをもって巡礼など現在も活発にしていますが、その宗教のなんたるかを知っている人はごくわずかでしょうね。
ではなぜダイシ信仰が広まり、多くの人が長く信じて、生活の基本にしてきたのか、それは実態があるのですね。宗教というものとは少し異なる社会の面でさまざまな力をもっていたということなんではないかと思うのです。
そのあたりを今後、少しずつ考えていきたいと思います。そのことにより中世史はもちろん、現在の社会を見る目も変わってくるように思うのです。
今日はこれでおしまい。また明日。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます