180923 愛と憎しみ <映画「ダブルジョバディー」>を見てあれこれと思う
今朝は明るくなってだいぶたった6時半頃にようやく目が覚めました。その後久しぶりにちいさな庭の手入れをして一汗かきました。草刈りはわずかですのですぐ終わりました。
その後前から気になっていた、庭の隅にがらくたのように積み上げた小石に気づきました。これらは以前土を掘ったときに出てきた小石を隅に積み重ねていたのです。そこを整理して花を植えると少しはましになるかと思い、活用法を考えました。そう庭に小さな小道をつくろうと。
ただ、もうひとつ、庭木の枝をいっぱい切ったままこんもりと山になっているのもなんとかしたいと思い、小道の一方を小石に、他方を枝木にすることにしました。枝木は小さく切って(造林?)垣根のようにとまではいかなくても仕切りにしたのです。そうするとこんどはこれまた放置していた枯れ葉の山もなんとかしたくなり、小道に敷くことにしました。枯れすぎているので、とてもシーダーロードにはほど遠い、貧相な感じになりましたが、ま、少し前進でしょうか。
その後読書をと思って窓辺の雲のたなびく風景を楽しみながら本を読み始めた途端、疲れからか眠り込んでしまいました。目が覚めてもボッとしたままで、そして気になったNHK囲碁番組は秋山次郎九段と河野臨九段の勝負は序盤が終わり中盤の壮烈な戦いになっていました。
その後本を読み始めたのですが、たまたまチャンネルを動かしたら映画「ダブルジョバディー」を放映していました。日本では2000年放映されたようで、その頃見たように思いますが、当時はなかなかスリリングで面白い内容だと記憶していて、本を読みながら見ようかと思って、つい引き込まれてしまいました。
映画ですから、なんでもありといえばそうなんですが、どうも腑に落ちないことだらけで、それが気になって最後まで見てしまいました。
アシュレイ・ジャッド演じるリビーは、理性的で勇敢、一途な凜々しい女性役が多いように思うのですが、このときはなにせ、逃亡者役ですからすごいですね。
で、問題の出発点、リビーがブルース・グリーンウッド演じる夫ニックをヨットの中で殺害した容疑で逮捕され、殺人罪で服役するのですね。
アメリカの映画ではヨット上の殺人、とくに偽装殺人という設定が時折見かけますが、もう少しヨットという自然の畏敬を感じスポーツマン精神を堪能できる舟について尊重した扱いをしてもらえないものでしょうかね。北米のように大衆化し、水面に面した住宅などでは当たり前に保有されているヨットなので、舞台道具としてはいいのでしょうけど。
それはともかく、リビーがヨットで目覚めたとき、自分のガウンや手など、ヨット内のあちこちに血痕があふれるほど残っていました。そして甲板には血のついたナイフ。それを手にしたとき頃合いを見計らったように駆けつけた沿岸警備艇のライトが彼女の犯行現場をクローズアップさせます。
でも、これおかしいですよね。血痕がある、それも大量に。それがニックの血痕であることをどのように認定したのでしょう。最近の再審事件でも有力証拠として取り上げられるDNA鑑定で、一発、このストーリーはおじゃんになりますね。わずかの血痕ならともかく、大量の血痕であれば、ニックのものを使うことができませんね。
<DNA型鑑定>をウィキペディアでチェックすると、<1984年にはレスター大学の遺伝学者アレック・ジェフェリーズ(英語版)が、科学雑誌「ネイチャー」に論文を発表した。>のが嚆矢でしょうか。
その後<2000年台のアメリカ合衆国において、FBIの犯罪者DNA型データベースCODIS(英語: Combined DNA Index System)上に登録されていた6万5千人のアリゾナ州の犯罪者のDNA型プールで、113兆分の1の確率と考えられるDNA型の「偶然の一致」があったとの報告を端緒に類似の例が報告>などがありますが、<裁判に利用する際その判断は専門家の解釈に依拠することになる。>とまだ信用性あるいは証拠力が十分でないことのようです。
では日本ではどうかというと、<日本では血液型や指紋と異なり、データベース化は2004年に始まったばかりである。登録数は、2013年1月時点で34万件を超えたが、犯罪捜査などにおいて、現場資料のみからデータベースと照合するだけで個人を特定するには、比較の標本の数が少ない状態である。そのため、裁判の証拠としてというよりは、捜査段階での容疑者の絞り込みや死体の身元確認の目的で鑑定が行われることが多い。>と容疑者の特定の唯一の証拠となるにはまだ壁がありそうです。他方で、容疑者性を否定する場合は別だと思われます。
では映画の場合はどうでしょう。この血痕から容疑者を特定するケースでなく、被害者のものかどうかということですから、一部でも不一致があれば、否定される可能性があったと思われます。また、人間の血でない可能性があります。というのはそうでないとニックはだれか別の人を殺してその鮮血を保有してヨットに乗り込み、冷凍していたということが想定できますが、疑問ですね。
とはいえ、映画制作が99年以前ですから、当時のDNAの科学的段階はまだまだとすると、こういった脚本も特段、違和感なく許容されたのかもしれません。
とはいえ、次の生命保険の話は不可解です。映画ではニックが破産寸前で、被保険者を自分、受取人をリビーにして、多額の生命保険をかけていて、その保険金はリビーが逮捕訴追され、息子マティに譲渡するのです。で、彼の保母でニックの愛人だったアンジーに後見を託すのですね(アメリカ法を知りませんが任意に後見人を選任できるとは思えませんが、ま、これはよしとしましょう)。
実際は、ニックが、マティの保険金を自由に利用しようと殺人事件を偽装したものですが、これ保険契約で成り立つはずがないのではと思うのです。参考に日本の例を見ますと<保険金がでないケース(免責事項)>には、最近問題の自然災害が面積対象となっていますね(地震保険などを別途契約するなどで対応する必要があるわけですね)。
こういった免責条項は約款に書かれていて、交付される小さな文字にきっちり書いてありますね。私も昔、約款作成の法的アドバイスをしていましたので、これはいかがなものかといつも思っていました。
この映画との関係では次の規定が問題になりそうです。
<・契約者または死亡保険金(給付金)の受取人の故意によるとき。
・契約者、被保険者または災害死亡保険金受取人の故意または重大な過失によるとき。
・被保険者の犯罪行為によるとき。>
この映画では受取人であるリビーは「故意によるとき」ないし次の「故意または重大な過失によるとき」に、ま、裁判結果からすれば、前者がまさにぴったり該当するでしょうね。
映画ではリビーが無罪を争っていますので、保険会社としては、少なくとも保険金の支払について保留できるのではないかと思います。受取人が息子となっても、受取人の地位を承継しますので、同じことだと思います。
このような理解はわが国の保険制度では当たり前ではないかと思うのですが、アメリカの場合違うのでしょうか。たいてい保険約款は米英制度を導入していると思うのですが。
もう一ついえば、結局、この殺人劇は偽装で、死亡者はいなかったのですから、保険金支払の前提を欠いていますね。ましてやニックによる殺人偽装という<被保険者の犯罪行為>ですから、免責条項にもあたりますね。ですから保険金は、ニックが最終的に死亡したとしても、保険会社から返還請求されてもおかしくないのではと思うのです。
そんなくだらない法律論より、映画「逃亡者」リメイク版のFBI捜査官役を演じたトミー・リー・ジョーンズがこの映画では保護観察官トラヴィス役として、再び迫真に迫る追跡劇を演じた方に目をやるべきだというような点は私も同感です。
ただ、この保護観察官、普通の方はあまり関係しないでしょうが、私のような仕事では時折お目にかかります。わが国では更生保護法で次のように定められています。
「(保護観察官)
第三十一条 地方委員会の事務局及び保護観察所に、保護観察官を置く。
2 保護観察官は、医学、心理学、教育学、社会学その他の更生保護に関する専門的知識に基づき、保護観察、調査、生活環境の調整その他犯罪をした者及び非行のある少年の更生保護並びに犯罪の予防に関する事務に従事する。」
とてもお堅い仕事で、地域で長く社会的業績を積んだような温厚で、かつ、しっかりした方が多くなっているように思います。とてもジェラード保安官補のような保護観察官は想定されていません。逃亡者を追跡したり、身柄を逮捕し連行するような、あるいは捜査をするようなことはまったく想定されていません。アメリカの制度は知りませんが、それほど大きな違いはないように思うのですが、これも映画ならま、いいでしょうか。
最後に、これがいいたくで長々と続けてきました。この監督はサスペンスで求められる、推理とか、アクションよりも、親子の愛とかを大事にしているといったコメンテーターの解説があったように思います。ほんとかなと、つい思ってしまいました。
たしかにリビーだけでなく、保護観察官トラヴィスも子と離れて暮らしていて、子への親の愛情を強く示唆するものがあります。
たしかにリビーの子に対する愛情が、殺人偽装で騙され、子どもを奪われ、服役までさせられたことに対する、ニックへの憎しみは、真実を知ってからリビーの姿によく現れています。その憎しみがいつの間にか子に会いたいという愛情に変わったのはなぜか、よくわかりません。しかも自分の命まで奪おうとしたニックであるのに、憎しみは薄らぎ、子への愛情に変わったのはうまく表現できているのかなと思うのです。
アシュレイ・ジャッドの表情や姿に、そのような変化を見いだしにくいのは、彼女の演技に強さや怒り、冷淡といった風なところに印象を刻まれた私の偏見かもしれませんが。
ただ、憎しみが愛に変わるのはいいことではありますね。この映画ではその相手が違うのですが、それでもニックを殺す強い憎しみがなくなり、子どもへの愛情に変わったのはやはりストーリーとしてはいいですね。
今日はこれにておしまい。また明日。
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