たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

所有と金融の目的 <地銀サバイバル 新事業開拓・再編に活路・・改革は限界>などを読みながら

2017-08-06 | 金融経済と合理性・倫理性

170806 所有と金融の目的 <地銀サバイバル 新事業開拓・再編に活路・・改革は限界>などを読みながら

 

私は時折、ヘンリー・D・ソロー著『ウォールデン 森の生活』を読んでいます。今日はその一つの章「どこで、なんのために暮らしたか」の中から、いくつかの文章を取り上げたいと思います。

 

ソローが住む場所として選んだのは、ボストンから(当時で言えば)遠く離れた田舎のコンコード村、そのさらに僻地にある森に囲まれたウォールデン池のほとりでした。彼はその場所を次のように表現しています。

 

「私は、住んだ途端に野の鳥と隣人になっていました。もちろん私が、鳥をカゴに閉じ込めるわけはなく、私がカゴに入っていました。私は森の家のおかげで、畑や果樹園で出会う小鳥ばかりか、もっと野性的で、もっと魅惑的な歌声を聞かせる森の鳴禽類(めいきんるい)―町の人たちのためにはめったに歌を歌わない烏たちーモリムシクイ、チャイロツグミ、アカフウキンチョウ、ヒメスズメモドキ、ヨタカ、その他多くの小鳥と友だちになりました。」

 

その家は見事なほどに自然と一体化しています。鴨長明や吉田兼好の庵はちいさくてもきっとすきま風も入らないように作られていたのではないでしょうか。まいえば、良寛さんの五合庵に類するようなものでしょうか。ソローその人の言葉で語らせましょう。

 

「屋根は完壁で雨は防げても、漆喰は塗っておらず、暖炉の煙突も組んでいませんでした。壁は風雨にさらされて銀色になった板をあてただけで、大きな隙間だらけで、夜は寒いほどでした。でも、まっすぐなマツを切り倒して作った真新しい間柱や、カンナで仕上げたばかりの戸板と窓枠のおかげで、家はすがすがしく、優美なたたずまいでした。特に朝は、材

が露に濡れて生気を取り戻し、昼には香りの良い樹液を吹き出しそうに見えました。」

 

そういう場所ですので、一日の始まりも自然の雄大さ、精神の高揚を感じさせます。

 

「朝は、ギリシャの英雄の時代を蘇らせます。夜明けに家の窓を開けると、部屋から聞こ

える一匹の蚊のかすかな羽音さえ、私の耳には、英雄讃歌の歌声のように朗々と響き渡り

ました」・・・「朝の中でも、だんぜん印象深い朝は、目覚めの朝です。眠気が最少に限られる覚醒の朝です。普段ならいくらかはまどろむ心も、目覚めて少なくとも一時間は、十二分に覚醒しています。」

 

さらに朝を高らかに賛美します。

 

「朝の太陽と共に自由で活力のある考えを働かせる術を心得た人は、一日をずっと朝の時間で過ごすことができるでしょう。時は時計が計るのではなく、人の考えや労働の仕組みで決まったりもしません。朝とは、私が目覚める時であり、夜明けは目覚める私と共にあります。自分を新たにするためには、眠気をさっぱり拭い取るやり方を身に付けるべきでしょう。」

 

ソローは朝の覚醒こと自らの力で自らを発見し、高めるというのです。「私たちはいつも覚醒し、その状態を保てるようになるべきです。その方法を私たちは、機械や薬の助けによらず、私たちを決して見捨てない、尊い夜明けへの飽くなき希望によって目覚めることから、学ぶのです。・・・暮らしを高める能力が自分にあることを、自ら知ることほど、うれしい発見はありません。」

 

そしてソローは森の暮らしを選んだ理由を決意を込めて明確に断じるのです。「生きるのに大切な事実だけに目を向け、死ぬ時に、実は本当には生きてはいなかったと知ることのないように、暮らしが私にもたらすものからしっかり学び取りたかったのです。私は、暮らしとはいえない暮らしを生きたいとは思いません。私は、今を生きたいのです。私はあきらめたくはありません。私は深く生き、暮らしの真髄を吸いつくしたいと熱望しました。」

 

そこには躍進留まらないアメリカ産業や文明をしっかり見据えながら、働くことに明け暮れ、その文明化された暮らしを追い求め、欲望を追求するあり方に疑問を痛烈な疑問を投げかけています。

 

ソローは「それにしでもなぜ、私たちはそれほど多くの人の命を犠牲にして、忙しく働いて生きなければならないのでしょうか?私たちは、お腹がすいてもいないのに、餓死を恐れます。私たちは、備えあれば憂いなしと言って、明日の必要の何千倍も蓄えようと働きます。」

 

ソローは所有とか占有とか生産とかより人間にとって大切なものをある詩を引用して、あるすばらしい農場についてその「景観は私のものです。」というのです。

 

「私は 見渡す限りの土地の王

誰が そういう私に 文句を言えるものか」と。

 

さて今日の本題を語る前に、長広舌の前置きとなりました。できればこうありたいと時折思いながら、日々、ソローが批判する生き方をしているなと自戒を込めて、少しいんようしました。と同時に、これから取り上げる、金融を巡る問題も、なにかある種、自縄自縛に陥っていないかといったことを、ソロー的な視点に立つと感じてしまうのです。

 

さて毎日朝刊は<クローズアップ2017地銀サバイバル 新事業開拓・再編に活路 金融庁後押し、改革は限界>のタイトルで、大きくこの問題を取り上げています。

 

地銀を含む地方金融機関の再編・統合は急速に進んでいますね。都市銀行がすでに(私も統合前にどことどこが一緒になったかわからなくなっていますが)ほぼ再編が行き渡ったような印象もある中、金融庁がはっぱをかけているのかスピードアップしていますね。

 

でもほんとに大丈夫か、だれも不安がないのでしょうか。人口減少に対応するのに統合が必要というのでは安直な結論ではないかといった疑問はわかないのでしょうかね。市町村合併も、ある種、反省もあるでしょうし、なかには統合しないままで頑張っている自治体もありますね。

 

そういった地銀サバイバルの行き過ぎについて、記事は次の問題をあげています。

 

一つは銀行カードローンの急速な増大ですね。<無担保で使途を問わないカードローンの2017年3月末の融資残高は5兆6024億円で、10年前から約6割も膨らんだ。10年の改正貸金業法施行で消費者金融に「年収の原則3分の1」の融資上限が課せられたが、銀行は無制限。しかも最大年15%程度の高金利が稼げるため、地銀などが営業に力を入れたためだ。>

 

私自身は、最近、債務整理事件がほとんどなくなり、貸金業法改正で総量規制が有効に働いているのかなと思っていましたが、この実態に驚きであるとともに、それだけ簡単に借りることができるのであれば、借りようとする消費者も多いと言うことでしょうか。ソローがいう清貧に生きるというのはなかなか容易ではないということでしょうね。

 

それにしても私の感覚ですと、この銀行カードローンは都市銀行系が比率的には桁違いに多いのではと思っていますが、実際の貸出残高を見ていないので、自信はありません。でも日常的に見られるあの膨大な宣伝広告の主体は都心銀行系ですね。旧貸金業者が傘下にはいってやっているように思うのですが。

 

それでも地方の場合、地銀もそれなりにやっていることは確かでしょう。<日弁連の昨年6~7月の利用者調査では借入額が年収の3分の1を超えたケースは約6割に達した。>というのですから、金融機関自体の貸付審査に疑問が出てくるのは当然です。

 

日弁連は16916日付けで<銀行等による過剰貸付の防止を求める意見書>を発表して改善を求めていますが、任意の対応では容易に改善されないおそれがありますね。

 

それだけ借り手は収入が乏しく、生活に困窮していることが窺えるとともに、消費生活の自立・抑制ができなくなっていることも要因ではないでしょうか。他方で、金融機関が日銀のゼロ金利政策続行の中、国債以外に適当な借り手を見いだせない、体質・構造に問題があるのだと思います。

 

このまま行けば、自己破産や再生といった法的手続きによる解決というまた来た道を歩むことになりかねない、ように思えるのです。

 

同種の問題として、<行き過ぎが目立つのは、賃貸住宅を建設する人向けの「アパートローン」が取り上げられています。<個人が建設する賃貸住宅への地銀の融資残高は、17年3月末で前年比7・2%増の13・8兆円に達し、日銀による09年の統計開始以降最大に。相続税対策のための需要を度外視した建設も目立ち、金融庁が調査に乗り出す事態となった。>というのです。

 

たしかに新しいアパート建築が増えている印象があります。他方で空き室のアパートも。ほんとに人口減少に対応する事業といえるのか疑問です。家賃保証を含めさまざまなテクニックは以前から開発されてきていますが、それらはほとんど見かけ上のものにすぎず、適正な費用対効果が計られているとは言いがたいと思うのです。莫大な建設費用の借り受け負債が残り、土地も建物も売り払っても、負債だけ残り、遺産も残らないという例はバブル期以降、なんども目にしてきましたが、それとどう違うのでしょうかね。

 

アパートに限らず、介護施設や保育所など最近需要の高い施設建設も同様の十分な事業採算性を考慮しない貸し付けが行われている例がありますが、安倍政権の金融拡大路線に影響を受けて、金融庁も迅速・適切な監督業務が行えているのか注視が必要でしょう。

 

<地銀の外債運用>についても指摘されていて、<超低金利による国債の利回り低下を受け、各行は高利回りの外債にお金をシフトしたが、昨年11月の米大統領選後の米長期金利急上昇(国債価格は急落)で、多額の含み損が発生。>といった問題が起こっています。

 

地銀は外債だけでしょうか。他の金融商品は扱うことができないのであればいいのですが、これまで地銀であれば、外債自体についてのリスク管理ノウハウがあるとは思えず、その他の金融商品についてはさらにということになるでしょうね。

 

顧客は、地銀というと、地方では安定していて、信頼性が高い評価をうけていることから、そこから勧められれば、外債というリスクの大きい金融商品でも、金利が高いとか、評価高いという一時的な価値で、買い付けるかもしれません。それこそ、高い信用を利用するもので、より適切な説明責任を果たす必要があるでしょう。

 

大手証券会社や都市銀行ですら、その説明のあり方には疑問なしとしません。それを地銀の担当者が相当研修を受けていても、簡単なことではないように思うのです。

 

地銀の将来は、地域を盛り上げる、新規事業への融資が中核ではないかと思うのですが、それは地域の多様な資産を活かす事業、新たに発掘する事業ではないでしょうか。地域には多様な価値が隠されているのではないかと思うのですが、それらを連携し、新たに豊かな価値創造を果たす担い手として地銀に期待したいと思うのです。

 

今日は少し長くなりました。これでおしまいです。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿