170116 数字の魔力と「仁義」 激寒ロシアで自宅退去の危機、なぜ?
今朝は、当地も雪が一面に積もっていて、スノータイヤが役立ちそう。と思いながら、昨夜見たNHK番組「マイホームを奪わないで~モスクワ経済危機の冬」をつい思い浮かべてしまいました。
大国ロシア、プーチン大統領の安倍政権に対する対応は、一面では、悟空を手のひらの上で遊ばせるお釈迦さんのようにも見えたり、アメリカ大統領選ではトランプ氏を懐柔しつつスパイ劇さながらの狡猾な手段を講じているようにも見えたりするのは、一方的な報道の見方かもしれません。が、そのように映るほど、ロシアの、ロシア人の実態は、報道統制が厳重なため、北朝鮮や中国並みによくわかりません。
たしかこのブログで以前取り上げたような記憶がありますが、NHKのリアルボイスという番組で、プーチン大統領の超人気の現実に迫ろうと、人気のある店の来客に直接、問いかけるということでしたが、経済統制で厳しい現実の中、ほとんどが気にしていないとか、全然困っていないとか、プーチン氏を褒め称えるばかりでした。一部に、報道が統制されていることを指摘する人もありましたが、極めて少数でした。
で、今日取り上げる上記の番組は、タイトル自体、結構ショッキングで、そんな実態があったとしても、報道できるとは思っていなかったので、興味を持って見ると、それは予想外に酷い物でした。
このマイナス20度近いモスクワの激寒のなか、助けを求めるホームレスの人が写し出されていました。また、クレムリン宮殿の前などに、プラカードをもってマイホームから追い出される危機を訴える人が次々と登場しました。これは何だろう、どういうことだろうかと思いました。
住宅ローンを払えない人はわが国でも、バルブがはけた後、リーマンショックの後など膨大な数になりましたが、そこまで救済を求める人はそれほどいなかったかなと思ってしまいました。その以前、破産制度の運用やさまざまな救済措置で、それなりに緩和措置が執られた(十分でないことは確かとしても)ように思われるのです。
さて、番組はロシア、モスクワで問題になっているのが、その住宅ローンがまず外貨建てであったこと、そのため、原油価格の急落、経済統制の結果、ルーブルの価値が2分の1以下に下落し、その結果、ローンの支払いも2倍、3倍に急増したというのです。これでは普通の庶民には到底支払を継続することが困難でしょう。
そもそも住宅ローンは庶民にとって終生の生活拠点を得るための持続的・安定的な支払を想定して設計されるべきものではないでしょうか。外貨建てで設定すること自体、住宅ローンとして不適切と言うべきであり、銀行の業務執行のあり方として疑問です。わが国では90年代、変額保険をよく知らない庶民相手にうまい言葉で勧誘して、問題となり、多くの訴訟事件が起こり、いくつかは無効ないしは一部取消に近い結果になった記憶があります。
外貨建てローンは、FX取引や外債取引などと同様、為替変動が当然あり、庶民が理解できる安定した取引形態でも支払方法でもないというべきでしょう。金融工学による高度な?制度設計をすれば安定的な取引が可能などと言った見解もあるようですが、裏付けがあるとは思えません。
ちょっと余談が長くなりすぎましたが、外貨建て住宅ローンの支払に苦しむモスクワ市民は、さらにひどい現実に直面していました。まず、多くの同様の立場の人々が連邦議会の議員に陳情したところ、議員はこの制度の問題点に対応せず、救済が難しいと述べるのみです。プーチン政権が行った、大量の住宅建築政策とそれを支えるための、庶民へのセーフティーネットを欠く住宅ローン施策だったのではないかと思われます。救済は、プーチンの施策への批判となるでしょうから、そのような議員を期待するのが難しいのでしょう。
それ以上に驚いた事件が起こりました。過大な住宅ローンの支払いができなくなった住宅では、なんと銀行が契約書を根拠に所有者は自分だと主張して、居住者がいるのに、玄関のドアを勝手に開け、鍵を取り換え、さらに内部を改装しようとするのです。中には突然、知らない人が家の中で寝そべっていることもありました。これは一体何が起こっているのだろうかとびっくりです。
私は30年以上前、かなりの件数、債権者の立場で、住宅ローンの支払いをしなかったり、さまざまな債務を返済しなかったことから、判決をとって強制執行を行う仕事をしていたことがあります。中には、暴力団が占拠していることもあり、緊張する仕事です。他方で、庶民相手だと、ほとんどが任意に話し合って時間をかけて話し合って出てもらうことが普通でした。他方で、現実に強制執行する場合は、執行官や立会人、鍵屋さん、差押物の搬出作業者、場合により警察官その他いろいろ専門家を用意して臨みます。むろん、上記のようなことは日本ではあり得ません。暴力団ならやるでしょうが、銀行や金融機関がこのようないわゆる「自力救済」をやることはありえないです。法の支配を根底から崩すことになります。
ところが画面に放映されたのは、銀行員の女性でした。まるで平気な様子で、自分の所有物だから、自由にできるといった調子で進めるのです。
一旦、鍵を取り換えられた住宅の住民は、新たに鍵を購入して自分で新しく鍵を取り換えて、知らない第三者が入れないようにしていました。その銀行員の部下が最初やってきたとき、鍵を開けようとして開かなかったので、大声で文句を言って一旦帰りました。次には上司の銀行員女史がやってきて、今度は鍵屋という破壊屋を連れて、ドアを壊して開けてしまいました。そして居住者と対面しても、銀行員女史は所有者だからというだけで、強引に部屋の中に入っていこうとしました。それで居住者が警察に連絡し、警察官がやってきましたが、両社の言い分は対立するばかりです。居住者は、この住宅ローンの未払いを理由に明渡請求が裁判中で、退去等の認定がまだ裁判所から出ていないことを根拠にしていました。
結局、警察官が間に入って、裁判所による認定がないことを踏まえて、銀行員女史らの立入を認めず、一旦、住宅の平穏が戻りました。
居住者は、その後弁護士とともに、裁判所に出頭し、内容は判然としませんが、一定期間の居住が認められたようです。そして裁判所の認定も審理が続いているようです。
外貨建て住宅ローンという異質な取引形態は、適切な説明がない限り、その取引の公正さを担保する説明責任を果たしたといえず、勧誘方法や、その契約の合理性に重大な欠陥があると考えるのが契約における信義誠実の原則という一般法理ではないかと考えます。
さて、ようやく本題に入れそうな状況設定ができたような気がします。いま世の中、数字が、とくにマネーという数字が世界中を席巻しているようにも思えます。老若男女、誰もが支配されているような一面も否定できないかと思います。
お金は単なる手段といいながら、その数字のあくなき追求がとりわけ世界の主導者といわれる一部の人の中に居座っているようにも思われます。そこには人間として求められるバランス的感覚を失いつつあるように思えるのです。
話は変わりますが、江戸時代初頭以来、わが国では和算、ときに算額が極めて盛んになり、武士階級だけでなく、士農工商の階級を問わず誰もが、数字、さらに数学の魔力に惹かれて、夢中で楽しんだという記録が伝わっています。
算額の中には、12歳の少年が設定した問題は、現在の高校一年生で習う程度としても難解なものもあったようです。で、これを願掛けに寺社に奉納した場合も多かった一方、その額を見て問題を解くことを誰もが競って行う公共の場となったとも言われています。
和算の飛躍的な広がりのきっかけは、1627年に吉田光由が「塵劫記」を発表したことと言われています。彼の塵劫記は、「九九・そろばん等の基本事項や、米の売買・利息計算・土地の面積計算など生活に即した 様々な実用的問題に加えて、「継子立て」「ねずみ算」などの数学パズル的な問題も多く収録され、人気を呼びました」とされています。
その内容のおもしろさに加えて、彼がその後出版した中で、「あえて解答を載せない挑戦問題(これを遺題と呼び ます)が12問掲載されました。この挑戦に応じた人が、解答と新たに自分が考えた遺題」を提示したことです。この「遺題」こそ江戸時代を通じていわば流行語大賞ともいうべき数学革命を起こした偉大で魅力的なものだったと思われます。
江戸人もお金の魅力に取り付かれた人もいましたが、わずかだったと思います。数字、数学といった頭脳の働きによる魔力に惹かれた人は、人を巧妙に欺したり、勧誘して設けようと思ったりする人にはなりえなかったのでしょう。
そこには、江戸時代の人々を支配した、儒教精神が影響していたのかもしれません。「儒教は、五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教える。」仁は人を思い遣ること、義は利欲に囚われず、すべきことをすること、礼は仁を具体的な行動として、表したもの、智は学問に励むこと、信は真実を告げ、約束を守り、誠実であることなどとされています。
新渡戸稲造は、武士道を英文で出版し、西欧諸国の人々に日本人の精神構造の気高さを訴え、多くの賞賛を浴び、日本人の地位を高めたと、今なお高い評価を受けていると思います。このことに異論を挟むつもりはありません。ただ、武士だけが高い精神を持っていたのだろうか、そういう疑問が以前からあります。
高度の数学的才能を涵養し堪能していた江戸時代の庶民たち、決して際限のない富を求めたり、人の気持ちを踏みにじるような態度を潔しとしなかったのではないかと思うのです。
そのような一人として、何度も取り上げている大畑才蔵という人物の生き方が一つの証にもなるのかなと、つい思ってしまいます。
彼は、江戸初期からはやった和算の普及の影響を受けたのでしょう、見事に和算を実務に体現しつつ、同時に名誉や利益といった欲望から常に油断なく一線を引き、仁と義、礼や智と信を支えにして生きていたのではないかと思うのです。彼が各地の調査に出かけるとき、常に携え筆写を繰り返したと思われるのは、徒然草第38段です。
いま世界は、先進国を中心にグローバル化という名目で、恐ろしい勢いのマネーによる無限増殖原理が支配しているかのようにも見えます。その裏で、ロシア、アメリカ、中国、もちろん日本でも多くの人がさまざまな余波を受けて苦悩しています。庶民の意識はそんなに違いはないと思います。
才蔵の精神や行動力をもつことは容易ではありませんが、絶え間ない努力があれば可能だと信じています。
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