母の48回目の法要に行って来ました。
いよいよ四十九日の法要を来週に残すだけとなりました。
納骨は弟の都合でお盆にすることにしようって兄弟で決めました。
それまでに墓標(っていうのでしょうか?)に
母の名前を彫ってもらわなくてはなりませんし
まだやらなくてはならないことがあります。
結構忙しくって気持ちに余裕のないときもあったり、
姉の言葉にいらついたり…したこともありましたが
これで本当に母とはお別れなんだなと思うと
なんだか悲しい気もします。
生きてるものの我なのでしょうね。
この世に生を受けて生きてる以上いつか訪れる死と言う事象。
法要は仏教の一宗派としての規律にのっとって行ってきました。
だから母は、安らかに黄泉の国に旅立ち
父と出会えたのだろうかって考えますが
私自身は、仏教も神様も関係なく
母は宇宙のはるか遠くにあると言う虚空への旅だったのだと思っています。
虚空とは何にもない空間と評する人もいます。
サンスクリット語でアーカーシャと言う虚空を意味する言葉があります。
その言葉によると、
虚空とはすべてのものが存在する場所と言う意味に捉えています。
古来、インド哲学では万物の存在する空間を虚空と定めたらしいのです。
なんでこんなことを書くのかと言うと ずいぶん前になるのですが
死生観について述べてる本を何冊か読んだ時
この虚空に関して書いてあった本が一番私には腑に落ちたのです。
以来、まだその日が来ませんが
私はいずれ虚空に向かって旅立とうと思うようになりました。
そう思うと自分を大切に生きれるようになりましたし
死は、怖くはないって思えるようになりました。
だから姉のようにいつまでも母の死にこだわっているのは
なんだかみてるのがつらいものがあるんです。
私って冷たいのかな? やっぱり・・・。
母の所へ行く途中、車の窓から
それはみごとな桜並木が・・・。
ピンとあってませんが、河原の土手が見事でした。
一瞬で通り過ぎてしまったのですが・・・。
この花
クレマチスに似てると思いませんか?
外来種のクレマチス。 モンタナって言います。
去年買って、冬の間はビワの葉と一緒にサンルームの中に入れておいたら
花が咲いてくれました。
ビワの樹は強いので心配してなかったのですが
この子は心配で いらない毛布でくるんであげてました。(^_^;)
そうしたら表のクレマチスは未だ影も形もないのですが
この子は私の愛情に応えてくれてもう咲いてくれました。
植物って愛情を注ぐと それだけで倍にして返してくれる。
いいですよね