街中の住宅街に積み上げられていた折れた木や葉っぱごみが、ずっとそのままになっていて、どうするんだろうとおもっていたが、今日通ったら無くなっていた。
オットに後で聞いた話によると、大型のトラックがごみを回収していたらしい。良かった。
街中の住宅街に積み上げられていた折れた木や葉っぱごみが、ずっとそのままになっていて、どうするんだろうとおもっていたが、今日通ったら無くなっていた。
オットに後で聞いた話によると、大型のトラックがごみを回収していたらしい。良かった。
私が住む集合住宅には、かなり大きな池がある。
ここに住んで4年。密かな楽しみが、この池で餌をやることだ。
余ったパンのヘタをほぼ毎週、この池の魚や亀にやる。亀が10匹ぐらいと、魚がたくさんいた。
一匹すごく大きな魚がいた。4年間のうちにだんだん大きくなったのだけれど、1メートルぐらい、銀色の剣のような薄くて細い体をしていた。とても俊敏で、そして獰猛だった。パンのかけらを投げると、どこからともなく静かに表れて、体をくねらせてほかの魚を蹴散らし、パンくずを奪い去って行った。
なかなか美しい。
私は、この淵から、パンのかけらを投げながら、いつか巨大になった銀の魚が体をくねらせて、私に向かって飛んでくる様を妄想しては、一歩柵から離れたものでした。(笑)
他にも15センチぐらいで厚みがあって固そうな出っ張ったおでこをもった魚が、かなりたくさんいた。それらの魚たちは、パンのかけらを奪うために、ぶつかり合って、離れたところに立っている私にも「ごつん」「ごつん」と聞こえた。
他にも小さな魚たちが一杯いて、もっと小さなメダカみたいな魚たちも一杯いた。
もともとは、ここのオーナーが、放した魚たちと亀たちだと聞いた。オーナーは、よくこの敷地にウォーキングに来て、エサもやっていた。
最近の日本では、魚に餌をやったりするチャンスってあんまりないだろうけど、エサをやるのは、とても楽しいよ。
集まってくる魚たちのやり取りや戦いは、見ていて飽きない。
亀たちは、私が、エサをやっていると必死で泳いでやってくるけど、とってもどんくさい。近くにわざわざ落としてやっても取れないことがある。陸に上がれるだけ有利で、池のふちの草のところに上がって私のすぐ近くに来ておねだりしてくる。
一番大きな魚が現れると、楽しさは、増す。凶暴なやつで、他の魚をはね飛ばしたことがあった。とばされた小さな魚は、草むらの上ではねており、柵から手を伸ばして必死で救助したよ。
今日、ハリケーンが来てから初めて、エサをやりに行ったら・・・
魚がいない!
おでこの魚も
銀色の魚も
あんなに一杯いた小さな魚たちも
そして、亀たちも一匹もいない!
ガーン
ほんの小さな魚たちが、少しいるだけで、投げたパンのかけらはふやけて浮かんでいていつまでも減らなかった。
みんな逃げたんだ!
確かに水に浸かった時は、かなり深かった。
見回してみたら、池の柵の一番低い所は、これぐらいの高さだから、確かに超えれただろうけど・・・
ハリケーンの次の日の様子
いつも餌をもらってぬくぬくと生きていたから、私は何となく、ハリケーンの間、この池の一番底に潜って難を避けていたんだろうと思っていたんだよね。
引いてしまった敷地の中で、魚たちが、干からびているのも見なかったから、みんな逃げたんだろうか?
川まで600メートルぐらい、海までも600メートルぐらい。
オットは、魚たちは、匂いか何かでちゃんとどっちへ行けばいいかわるんだっていうけど・・・
流されてしまって、外へ出てしまって、どっかで干からびていたらかわいそうだけど・・・そういうのは、まったくみなかったしね。
きっと逃げたんだね。
今この敷地の柵は、改修されていて
既に2辺はこのフェンスに改修された。今までは、下からずっとこのブロックの上にあるような網だった。これでも亀も小さな魚以外の魚たちも通れないよ。丁度今だけ、一辺が工事中でフェンスが半分倒れたようになっていたんだよね。
まさに、一生に一度のチャンスだったんだ。
守衛さんに聞いたら、亀は、どっかにいるだろうと思って、みんなでかなり探したけど、一匹もみつからなかったんだって・・・。彼は、とってもがっかりしていた。
このハリケーンは、魚や亀たちにとってたった一度のチャンスだったんだよね。すごいねぇ~。そういうチャンスを生かせれるというのは・・・。
(8月12日記)
テレビとインターネットは当分なおらないと諦めて、「私も普通の生活に戻らなくちゃ」と考えて、ヨガ教室に行くことにする。
ベラマバスに乗って奥の方へ回ってから行った。ベラマ地区の奥に方は、グアテマラからの移民の人々が住んでいる地区で、貧しい。家も木造が多く。捨てる木を寄せ集めて作ったような建物もある。一見した所、被害は、ものすごくひどいわけではなかった。
木造の小さな家なのにちゃんともっている家が多かったが、中には、屋根が飛んだり、壊れたりしている家もあり、そうなったら、中の物はびしょ濡れになってもう使えなくなったのだろう、家の前に、ゴミが山と積まれていた。
ここでも 「貧しいほど、被害が大きい」と感じた。
ヨガ教室のあるのは、ベリーズシティの中央に近い住宅街なのだが、家は、それほどひどい被害ではないが、庭木や空き地の木がやられたらしく、道の角々にうず高く木や葉っぱのゴミが積んであった。
仕事を終えて帰ってきたオットに「インターンネットがなおっているよ!」といわれて、ビックリ!
テレビも見れるようになっていた。もう当分は、だめなものと諦めて、今日は、朝から、一度もチェックしてなかった!しまったなぁ…もっと早くから使えたかもしれないのに・・・。
ベリーズの人は、文句を言われるのを恐れて、遅めにを言うのかもしれないね。
ともかくインターネットもテレビも治ってよかった。これで私も普通の生活に戻れる。
事務所の電気と水がなおったと連絡があったので、今日は日曜日だけれど、オットは、出かけて行きました。通じなかったインターネットもなおったそうで、何よりです。
家の方は、インターネットもケーブルテレビも復旧の予定もわからない。
家にいることが苦痛になったので、昼前にでかけた。ちょっと買いたいものがあって、もう一つの大きなスーパー、セイブユー(Save U)に行った。
駐車場に車が少なくて「変だなぁ。」と思いながら、近づいた。スーパーの入口にも何も書いてない。閉まっているなら、当然なんか書いてあるだろうと思いながら、入り口に向かったら、普通の格好をした男の人が出てきて、「ノー パワー(停電中)」と言う。停電中でも 営業しているならそれで良いんだけど.…。前に停電の時、手書きで計算書を作って電卓で計算してくれた店があった。
店はやってないらしい。本当によくわからない。やってないなら、駐車場の入り口とか店の入り口にはっきり書いておくべきだろうが.…。
後でわかったのだが、セイブユーは、金曜日も土曜日も、ちゃんと営業していたのだそうだ。自家発電で電気もあったらしく、私の行った時、たまたま電気が来なくなったのか、我が家のことで心配したように自家発電の燃料がなくなったのかもしれない。
その後、オットが珍しく「タカサン(日本食レストラン)に行こう。」というので、喜んで出かけたら、タカサンは、ビル全体が閉まっていた。新しくできたビルだけれど、自家発電とかの設備が、充実していないのかもしれない。
仕方がないので、中華のレストランへ.…。我が家の近くの中華のレストランは、2軒ともちゃんと営業していた。さすがだね。
午後には、オットが、「退屈で死にそう!」と言うので、海岸に散歩に行った。
海岸は、まともに風を受けたらしく、荒れていた。
この地区は、高級住宅街で、お金持ちが多い。立派な家でも屋根が飛んでいる家があった。
船着場は、だいたい壊れていた。
すべて流されて、杭がわずかに残っているだけのところもあった。
海岸の散歩道も、こんなに痛んでいた。
やっぱり海に面した所は、被害が大きい。
ハリケーンがくるといつも一番被害を受けるのは、海の観光地キーカーカーやサンペドロなんだそうだ。
平らな低い島なのでハリケーンがくると、島全体が水没しちゃうんだそうで、ハリケーンの前に島の人たちは、避難したはずだ。
皆んなが、避難できたんだろうか?島には、すごく貧しいと思われる人々もいたから、気になる。
今日も軍艦ドリが数羽上空を舞っていた。
我が家は、今もテレビもインターネットもだめなので、情報が入らない。
ピーマーケットという少し庶民的なスーパーへ行ってみる。私が日本に行って留守の間にオットは、何度か通っていたらしい。新鮮な野菜と果物があるのだそうだ。(ブロディーズよりましな・・・というべきか?)
客は、少なく、普通に営業していたが、通路に入荷したものが一杯おかれていて、カートでは通りずらかった。このスーパーは、平常でもそうで、それが私があまり好きでない理由でもあった。
午後は、いつものべラマの散歩へ・・・。
こんな時に散歩など行きたくなかったが、情報がなくて、自分で見てくるしか知る方法がないからね・・・。
我が家の横の道。柵に枯れた草がからまっているでしょう。ここまで水が来たということ。結構な高さだ。私は、知らずに寝ていたけど、我が家も床上浸水ギリギリだった、かも・・・。(ひゃ〜)
近くの教会。とたんの屋根が一部めくれている。
この家立派だけど、屋根がめくれたらしくブルーシートをかけててあった。 土地を上げずにそのまま地面に建てた家は、床上浸水したみたいだった。
この家は塀というか門が倒れたらしい。中にある車の凹みは、今回のハリケーンで出来たか、もともとあったか分からないけど・・・。ベリーズでは、こんな感じの車は、いっぱい走ってる。
生き物たちは、元気だ!
屋根が飛んだ家は、かなり強い雨が何時間も続いたから、中はぐちゃぐちゃになったらしい。気の毒だ。
小さな小屋のような家でもなんともないものもあった。
私たちが時々買い物する中国人のミニスーパーの隣の家がかなり被害を受けていた。ここもその店の関係の人たちが住んでいるはずだ。
パームツリーは、軒並み、葉っぱが無くなっていた。
この家が、この辺りで一番、ひどいように見えた。
特に裏の方が、無くなっていた。もともと人が住んでいるのか空き家かわからないような家だったけど、人が住んでいたらしい。
この木は、根こそぎ倒れていた。
以前、鳥たちがいつもいた木は、かなり姿を変えていた。建物は、最近増築中だったけど、一応飛んではいないけど・・・。
橋の上から、向こうの岸を見たら、川辺の風景がすっかり変わっていた。
今日の散歩で一番びっくりしたのは、木の被害が、大きい。木は丈夫と思ったけど違うのだろうか?それとも、風が、私の予想以上に激しかったのだろうか?
それから、「ベリーズでは、災害の被害は、貧乏な人ほど大きい」と はっきり感じた。
この夜から、べラマ地区でも電燈がついた。(電気が復旧したの意味)
8月5日(金)
この朝、なぜか軍艦ドリが、我が家のある集合住宅の敷地の空高く舞っていた。
概ね、水は引いた。
この日は、朝から、ワーカーさんも10人ぐらい来ていた。
昨日は、みんな自分事が精いっぱいだったけど、今日から作業開始という感じ・・・。
8時過ぎにシャッターをあけに来てくれた。やれやれこれでほっとした。シャッターが閉まって自分で開けれない家というのは、とても気が重かった。
ノーザンハイウエイもバスも走っている。
この集合住宅のオーナーも、マネージャーも姿を見せた。オーナーは、他にもいっぱい店や倉庫を持っているから、よく来てくれたものだ・・・。この人が来たら、もう大丈夫という気がする。
倒れたままになっていた飛んできた屋根と電柱も6人ぐらいで、割と速やかに片付いた。電気会社が来ないと触れないのかと思ってたけど、そうではないらしい。
べラマ地区のバスも走り出した。
夫は、車で事務所に出かけたが、すぐに戻ってくる。事務所は、電気も水も来ていないし、インターネットも使えないので仕事にならないのだそうだ。町は、かなりひどいことになっていて、町のちこちで、電柱が倒れ、電線がぶら下がっており、木が折れていたそうだ。
ベリーズシティは、広範囲にわたって停電中らしい。
お昼前、近くのスーパーに連れて行ってもらう。スーパーのブロディーズは、ちゃんと営業していた。ここも自家発電機を使っているらしい。店の品物も普通にあった。お客は少なめ・・・日本だったら、災害の前とか後は、必要な物の棚は、空になっていたりするけど、そういうこともなかった。いつも買う食パンの棚は、ほとんどものがなかった。それ以外は、きわめて、平静。まだ、普通の人の家は、電気も来ていないので、お買い物もしないのだろうか?
昨日は来ていなかった、昼間の正門の守衛のフリオさんと話すことができた。
「停電は、そう簡単に治らない。8日ぐらいはかかるよ」という。そんなにかかったら大変だ。彼の話によるとここの自家発電機は、ずっと大丈夫という。自家発電機の燃料は、ディーゼルらしいけど、そんなに長く持つわけはないし・・・。まあ、くよくよ心配してもしかたない・・・。それにしても燃料のタンクはどこにあるんだろうか?敷地全体が水に浸かっても大丈夫なんてすごいよね。
我が家には、シャッター付きの車庫があるが、そこも水が入ったいた。家の中からガレージにはいるドアがあって階段が一段あってビーチサンダルを置いてあったら、それが流れていた。その段までは、水が来ていたことになる(22センチ)。水が引いた後、ガレージの床に細かい粒子の泥が溜まってそれがすごく滑った。
ワーカーさんが、高圧の噴霧器でガレージの床や玄関前の石畳をそれで掃除してくれた。こんな時にそこまでしなくても良いのになぁとちょっと違和感があった。
夕食時、オットが、「電気会社の人たちがやっと来て電柱を直していたけど、5時になったら、さっさと帰ってしまった。」と言って憤慨していた。「日本ではあり得ん!」
災害時に生活に最低限必要な必要な電気と水の復旧は、無理をしても早くしてほしい。ベリーズはやってくれないんだろうか?明日は、休みだけれど、明日は、復旧工事しないんだろうか?とおもいながら、ふと気が付いたら、あんなにうるさかった自家発電機(ジェネレーター)の音がしてない。
カリビアンタイヤ-のネオンサインも輝いており、停電は、なおっていた。
ノーザンハイウエィ沿いは、電気が来たらしい。我が家の後ろのべラマ地区は、今夜も停電らしい。
インターネットが、6日間もつかえなかったので、「いまさら~」という気もするが、記録なので書いときます。
8月3日(水)
私は、早めに夕食を終え、片付けも早めに済ませて、早めにベットに(7時ごろ)・・・。だって、家じゅうシャッターを閉めているので、外の様子は、全くわからないし・・・まだ日本から戻って来たばかりで、時差ぼけで、夕方に猛烈に眠くなるのです。
ぐっすり眠って、最初に目が覚めたて、時計を見たら、まだ12時になっていない。
かなり大きなの風の音と雨の音がした。風が強くなるのは、3時ごろだろうと思っていたので、「早いなぁ。」と思った。
既に停電しているらしかった。我が家は、この集合住宅の自家発電機が動いていて電気も来ていた。
家じゅうシャッターが閉まって入ので外の様子が全然わからない。
すごい閉塞感。閉じ込められている感じ・・・いざという時に逃げれるんだろうか?(これってよくないよな~)と思いながら、もう一度寝なおす。
8月4日(木)
その後、何度か目が覚め、家の中を見て回る。
今まで、嵐のような雨は何度か経験したことがあって、その度に、結構雨漏りというか、激しく浸水している。
客間の窓の周りから激しく雨が降り込んだことがあった。ここをチエック・・・今日は大丈夫!
玄関の上の壁から激しく雨が漏ったこともあった。ここもチェック・・・大丈夫!
一番心配なのは、主寝室・・・以前大雨の時、寝室の壁を伝わって大量の雨が漏ったことがあって、買いだめしてあったトイレットペーパーを全部だめにしたことがある・・・ここは、原因が分からず、頼んだけど治ってないはず・・・また漏る可能性は高かった。・・・けど・・・ここも大丈夫。
他にはやることないので、寝るしかなかった。
激しい、雨の音と風の音で、不安は、高まったけど、閉じ込められている感じで、どうすることもできない。時々目を覚ましながらも結構しっかり寝た。
明け方になっても雨の音と風の音は、激しかった・・・。「結構長いねぇ~。」まだ通過してないんだろうか?気象衛星の画像をチェックしたかったが、我が家の電気は来ていても周り全体が停電なのだから、インターネットは使えない。情報は、欲しい!・・・ラジオの放送は、日本のように充実していない。つけてみることもしなかった。
4:30am
我慢し切れず、2階のバルコニーに出てみた。このドアだけがシャッターがない。
まだ雨が降っていたので、あわててシャッターを切ったので、手振れ。辺りは一面水・・・。
夜が明けて、主寝室の引き戸のシャッターが少し開いていることに気が付いた。夫は、開けてないそうだから、風で自然に開いたらしい。知っていたら、もっと早くからのぞいていたのに・・・
6:00am主寝室のバルコニー(東向き)から
同じバルコニーから、べラマ地区方向
周りは、水没していた。といっても、我が家の周辺は、低くて、雨が降るといつも浸かるのだけど、今回は、東側見渡す限り水に浸かっていた。
玄関のシャッターを内側から自分たちで開けて外へ出てみた。6:45am
玄関の階段の下は、水が来ており、かなり深い。ゲートに向かう方で、電柱が倒れている。
膝までの長靴をはいても水が中に入る深さ。ガードのJさんが、自転車に乗って、巡回している。うちの裏は、いつも水に浸かる。その時多くの人がこの方法を使う。自転車なら、何とか進めるんだけど・・・止まるわけにはいかないんだよね。
池がが完全に水没。びっくりしたのは、隣の森の姿がすっかり変わっていることでした。強い風で、葉っぱがみんな飛ばされ枝が折れたんでしょうね。
比較のためにハリケーン前日の写真です。森の姿が、すっかり変わっている。同じ方向なんですが、角度が違うんですよね。
携帯電話はつながっているが、固定電話は使用不可らしい。この集合住宅の門は、固定電話で、携帯からそれにかけてもつながらない。
Jさんを呼び止めて状況を聞きたいが、この水の抵抗の中では、かなり必死でこがないと進まないし、話をしようとすれば、止まってしまうだろうし、そうすれば水の中に足を着かなくてはならない。だからそれもできない。
うちに関係のある人々は、みんな無事が確認できたので・・・まあ良かった。
後は、復旧を待つだけ・・・。我が家は、今のところジェネレーター(自家発電機)がちゃんと動いているので、電気も水もちゃんと使えるのでありがたい。
家の中が暗いのでシャッターを開けようとしたのだけど、これができなかった。蛇腹のような感じで両方から閉じるようになっていて、中央きちんと重なって、上と下の枠にかんぬきで止める構造。本来なら、内側からは、かんぬきをはずしてあけれるはずなんだけど、窓は、重い2重ガラスの上下開きで、この開き方は知っていたが、網戸があって、それがきっちりはまっていて、びくともしない。夫と協力して開けれたのは、戸が2つと窓が2つだけ…。
我が家は、何とか2つだけでも窓が開けれたけれど、向かいの棟は、全然違う構造で、外から、金属製の戸をはめ込んだので、自分たちでは、あけることは不可能で、ここの人たちは、暗い家の中で、エアコンを付けっ放しで、じっと待っているのだろうか?
私達は、幸い水も電気もあったので、暗くて、インターネットとテレビがないという以外は、全然生活には困らなかった。
水は、深くて歩いては出れそうになかった。夫は、職場のことも気になって、車ででかけたいようだったが、我が家は、共同住宅の敷地の入り口付近で電柱が2本倒れて道をふさいでいるので、動きが取れなかった。
隣の敷地(私たちが、引っ越してきた頃、ブロックを作っていたところ)の小屋の屋根が飛んで、その屋根が、うちの集合住宅の電柱を直撃して倒してしまい。その線に引っ張られて、ゲートの近くのもう1本の電柱も倒れて、しかもそれが、ゲートの上に倒れ込んで、ゲートを壊したらしかった。
家で、おとなしく、待つしかなかった。
情報は欲しかったけど・・・。ラジオをつけてみた。ここのラジオは、日本のラジオとは全然違う。
自分での取材能力が、すごく低いんだと思う。視聴者からの携帯での情報を集めて放送していた。
朝一番の放送で既に、我が家のある集合住宅の敷地内の電柱が倒れていることもニュースの中に出てきたので、ある意味すごいと思った。
日本では、災害の時は、まずNHKを聞く。聞けば、知りたいことは、わかる。しかしここは、何もわからない。日本では、災害時には何度も何度も同じニュースを流すので、頭が痛くなるような気がするけど・・・やっぱり日本は、いいよね~。
このハリケーンで死者はいなかった。観光と農業に大打撃だった。沢山の家が壊れた。屋根が飛んだ。多くの家が、水に浸かって入る。そういうことぐらいしかわからなかった。
午後になって、同じ敷地内に住むGさんが、4WDの車のドアや、ハッチバックをあけて車の中を乾かしているのに気がついた。気になってうちの車も点検したら、ガレージに入れていたうちの車は良かったのだが、家の前に止めていた事務所の車2台の床も濡れていた。
新しいバンは運転席の床は、濡れていなかったが、ハッチバックをあけたら、水がザァーって流れ落ちた。(うひゃ~)
後々分かったんだけど、水は、かなり高くまで来ていたらしく。車は、浮き易いらしいから、強風だったし、よく流れなかったというか、動かなかったなぁと思う。きわどい所だったと思う。
インターネットがないと、何もできない気分。家の中で、おとなしく、読書。
ハリケーンが去ったら、すっきり晴れるかと思ったけど、曇り空でうっとうしい。日本でも台風が去って空がきれいに晴れるのは、秋の台風だけなんだそうだ。いくつになっても、オットの方が物知りだね。
夜の9時ごろにまた、強い風が吹いていて・・・情報がないので、なんだか不安な気持ちになった。
(お詫び)最初の投稿時、日付を間違っていました。