私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 68 吉備の言葉「おえん」

2008-07-05 12:23:29 | Weblog
 この時、茲三郎は、にわかに思いついたことがありました。
 年恰好も似かよっている、平蔵の妻お園に、留守の間、心も身体も衰弱しきって、一歩も外にも出ようともしないおせんの話し相手になってもらったら、ひょっとしてと、いう思いが突如として胸に浮んでくるのでした。
 部屋に籠りっきりで、あれ以来お琴のお稽古にも、何やかやと気を揉んでくれている里恵やお慶に対してすら、逢おうとはしません。まして「梅が宿」などは、話の端に出るだけで、目にいっぱいの涙をうかべて、余計に自分の中に閉じこもるだけでした。「大丈夫、元気出して」「これ食べて」と涙声で、あれ以来、そんな言葉しかない母親とばあやのお千代だけしか寄せ付けません。
 春暮れてのちに夏が来るのではなく、春がやがて夏の気を催すように多くの因果な関係が生まれる中からある偶然が生まれるのです。茲三郎のおせんを一心に思う心が、その偶然と重なり合って、お園とおせんを結びつけるのでした。
 お園と平蔵もこの偶然によって結ばれたのです。伊予行きを決めた舟木屋の相談も、又、その偶然です。お園が、かって「女の恥です」「宿世です」と、茲三郎に毅然として言い放ったのも、また、この偶然なのです。おせんを取り巻く多くの人たちのいろいるな偶然が積み重なって、それが雨の短じか夜の長い話になったのです。
 短夜も白々と明けて来たのか障子にうつろほのかな朝の淡い光がおせんの顔を照らしています。そこには、もう、涙はありませんでした。話し終えたおせんは、お園の顔をこれもまたじっと見つめているだけでした。しばらく、二人の間をあるかないかのような色も何も付いていない光の帯が通り過ぎていました。
 「女は損でしょうか。でも、強いのも・・・・・・」
 ぽそりと流れる光と同じようにお園。おせんは黙っていましたが、
 「強い。強いでしゃろか」
 「私にもよく分らないのですが、今まで、おせんさんのお話聞かせていただいて、強くなければおえん。・・・・あら、ごめんなさい。おえんというのは、私の里の言葉で、だめですという意味です。ただ、そんな風に思ったのです。おせんさんのお話の一番最初にお聞きした、決して死にはしませんと、きっぱりと言われた意味がはっきりと分りました。損かどうかは分りませんが、おせんさんは強いと思います。そんな悲しさとも、誰にも相談しないで今まで戦ってこられました。おそらくこれからも戦いは終わらないと思います。そんな時こそ、女が強うならなんだらおえんのじゃないでしょうか」