私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 79 吉備津のへいとうくそぼうず

2008-07-20 08:04:32 | Weblog
 「あの顔面はいけまへん。虫唾が沸くように思えますねん。蝮とはよくいったもんだ。もともと、親はあんな鬼みたいな顔には決して生んどりはしまへん。あの鬼みたいな顔は自分の数々の悪行が長い間にこしらえたものに違いおへん」
 「鬼ですか。ああ、蝮ですか。・・・・そう言えば、私の生まれた郷、宮内の近くにも蝮谷と呼ばれるがあります。そこに盲人塚と呼ばれている祠があります。太閤さんの高松城の水攻めの時に殺された明智方の間者と間違えられて無残に切り殺された盲人の塚だと言われています。その盲人の祟りが今でも時々出てきては道行く人々を、特に雨の日の夜なんかには出てきては、悩ますのだそうです。
 その祠に一人のお坊様が今でも住んでいます。何かわけの分らない言葉を並べては、これが本物の句だとか、言いふらしては、のんきに、ただ、その日を生ればそれでいいのだというふうに生きておいでです。乞食坊主と言われても、本人は至って平気なのだそうです。父とは気が合うようで、時々、家に来ては食事などして帰ることがあります。いつだったか、父も、“秋は今 真金吹く 吉備が踊っている”と、書いてもらったと言って大変自慢しておりました。私にも一枚位頂きました。福井から戻ってまいり、少々やけ気味になっていた時でした。父が頂いて帰ってきました。“夕立が降る どかっと大きな石がある”と、力強く、色紙に黒々と書いてありました。見ていると、書いている意味はようは分りませんが、なんだかいろんなことをあれこれと思うのが馬鹿らしいように思われました」
 「さすが山陽隋一の歓楽街だけあって、いろんな話やお人がおますのやなあ」
 「はい、絵描きの雲仙さんも真承さん、あの盲人塚のお坊様のお名前です。また、熊五郎親分のようなお人もぎょうさんおいでて、賑やか街です。・・・こんなお話を大旦那様にしてもしょうがないとは思いますが、私の里の昔話を聞いてくださりますか」
 ちょっと一息入れてお園は
 「その真承さんの蝮谷と山一つ隔てて備中の入り口に向畑と言うがあります。宮内の真向かいのです。山陽道沿いの吉備津様の参道をちょっと反対方向の山に上った所に、そこにも祠が2つ並んで立ています。向畑の人は山神様と呼んで大変大切に守っていますいます。・・・、蝮谷の盲人塚の真承さんに蝮の絵を描いて頂いて、その木札をこの山神様に一方にお供えすれば総て事が叶えられると言い伝わっています。宮内の遊女達の間でも大変に信仰されているのです。恨みつらみのある人を祟り殺すことも出来ると言い伝わっています。だからか、秋のお祭りの時は大勢の姐さん方が着飾ってお山の神さんにお参りしています、宮内の姐さん方の守り神でもあるのです。」