私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 85 琵琶湖のうなぎ

2008-07-27 13:07:38 | Weblog
 「お園さんとやら。近頃は、何かへんてこな世の中になってきておますな。弱いお人や女だけがいつも泣かされる世の中ってなってしまっているようじゃおまへんか。まともじゃおへん。苦しゅうても真っ当になんとか生きておいでのお人が笑って暮らせる世の中が、ほんまもんの世の中というもんとちがいまやろか・・・お偉いお人がなさはる事はようはわかりしまへんねんけど、刀差しておいでのお人だけが偉いのと違いますねん。刀でなんもかんも言う事を聞かすことはできしまへんねんけど。近頃は、その刀で人のお命までとってしもうとりますねん。えらい世の中ですは。これからどうなるのか分りしまへんえんけど・・・・でも、おせんさんと、また、こうしてお会い出来しましたのが、うれしゅうおす。死ぬほど悲しゅうても生きていきまひょ。おせんさん。死んでしもうたらおしまいどす。これはふくろうの大先生がいつも言ははることの押し売りでおますねんけど・・・・・・なんか、昨日まで、なんかしらへんねんけど、胸の内がこうもやもやしていたのどすが、今、おせんさんたちに、わけの分らん事を思いっきりはきだしてしもうたら、どうしたのか分りしまへんねんけど、なんかすーと体まで、こんな大きな達磨さんの体が、軽るウなったようでおます。あ、そうそうついうっかり忘れてしもうとりましたねん。昨日、琵琶湖で取れ取れのうまいうなぎが入りましてン。それをおせんさんにと思うておりましたのに。わても頂きますわ。こう軽るうなったんですさかい。わてのからだも元に戻しまへんと。・・・一緒に食べさせていたもらいまひょ」
 立ち上がり板場の方に向かいます。
 「おせんさんのことを特別に、あないに気にかけていてくれたのですね。政之輔様のうなぎでしょう。それをおせんさん一人にだけ食べさせるのですから、よっぽど何か特別な思いがあるのではと思いました。・・・・生きていきまひょと、言われた時のあの女将さんのおせんさんを見る目にはいっぱいに涙がが光っていました。死んだらいけん死んだらいけんと言われているみたいでした。そうでなかったら、ここにあの思い出のうなぎなんて、おせんさんが可哀想で出せっこありません。それを、敢て特別に用意したということは、政之輔様の死というこれ以上も以下もないあせんさんだけの悲しさを、おせんさんにどうしても早く乗り切って貰らおうと思って、女将さんがうった大芝居ではないかと思います。・・・辛くても食べてあげてください。おせんさんにも分っているはずだと思いますが。出す方も出される方も悲しさで胸が張り裂けんばかりの辛い事だと思いますが。・・・乗り越えるために。おせんさんのためにも。女将さんも、口にこそはお出しにはなられませんでしたが、おせんさんと同じぐらい辛い気持ちになられたのではないでしょうか。政之輔様の死をおせんさんに、まず、知らせたのですもの。・・・今度の事で誰もが、みんな一生懸命の思いがあるのです。何時どんな風にと女将さんも一生懸命に考えていたと思います。そのきっかけを琵琶湖のうなぎにしたのだと思います。よくお一人で考えられた事だと思います。・・・・私も、余り好物ではありませんが、是非、ありがたく頂かせてもらいます」