私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 80  へいとうこそぼうず

2008-07-21 13:41:38 | Weblog
 「古くから開けていた土地でおますな。仰山な話がおますのやなあ。そうどすか、・・・そうそう真承さんとか言うお坊様が書いてくれはった、夕立がなんとかという色紙見てみとうおますな」
 「すいません。こちらにお嫁に来る時、宮内の家においてきましまったもんで、今、ここには・・・」
 「いやいや、その色紙をおせんにも見せたらどないなもんやろかと、ちょっと思たさかい。・・・そうどすか。偉いお坊さんもいてはるんですな、宮内には」
 「偉いお方なのでしょうか。あの辺りの人はみんなして、「へいとうくそぼうず」と言って馬鹿にしていますのに」
 「馬鹿にしておったか、そうかもしれへんな。そのお坊様は、何もないことが一番いいことだと言うことをよく知っておられたのじゃおまへんやろか。何もないことは、世の中のものが、人の心も何もかもが総て分るのだそうどす。欲が人をだめにする。その欲を捨てて何にも持たへんかったら、かえって総てが分るのだそうどす。わてみたいなぼんくらには到底分らしまへんけど。だから、その真承さんとか言わはるお坊様は偉いお人ではないでしゃろか。・・・出来たらいっぺんそのお坊様に会って、おせんのこと尋ねてみとおます。 お園さんが貰った色紙には、夕立がどうしたとか何が書いておましたかな」
 「はい。夕立が降る どかっと大きな石がある と、書いてありました」
 「そうどすか。ようわかりしまへんけど、・・・夕立が降る、どかっと大きな石どすか。どかっとがようおます。ええどすなあー・・・・大きな石、お園さんは、いいもの貰いましたな。石、それは、きっとお園さんのことだと思います。考えてみいな、夕立は、どこでも何時でも誰にもでも降りかかります。そんなもんにびくびくしたら外は歩けしまへん。人は生きてはいけません。どかっと構えて、お園さん、生きてくれなはれ、と呼びかけているのではおまへんやろか。・・・お園さん、そんなことぐらいのことにくよくよせずに、夕立に会ったようなものだ、大きく強く生きなられという励ましの言葉とちがうのやあらしまへんか。その色紙は。そう思いますねん」
 「そうでしたのでしょうか。私はそんなことが分りませんでした。あほなンは私のほうだったのですね。あほな坊さんと蔑んでいましたのに」
 「その真承と言うお坊様なら、おせんに何書いてくれはるでしょう。いっぺんおせんと吉備津さまに参りをしてみとうなった。向畑の山神様も少々気になりますねん。一度おせんを見舞うてくれはらしません。何かおせんがしきりお園さんに会いたと言っているらしいのどす」
 そう言うと、いつものように、
 「ほなごめんなさい、お邪魔してしもうて、平どんにしかられるわ。」
 と、すたこらお帰りになります。その何ともいえない人の心までをくすぐるような仕草に、自然にクスと柔らかな笑みが浮びます。遠ざかる大旦那様の後ろ姿を表戸の前で深々とお辞儀をしながら見送るお園でした。
 「私のだんな様、今日もまた遅いのと違いますやろか」
 くすっと首を縮めるながら奥に入ります。